あげちうのブロマガ

昔に有った当り前その共有

事態に複雑さはある。

「自然は面白い」その辺の小川で有ろうと、生き物が居ると言うのは良い物だ。
そのテーマは今、どの程度重要だろう。


不意に、か。「ダライアス」このゲームに有る物語?とは何であろうか、少し考える。一体、何が面白かった、のか。当時のゲームには、何が求められ、何を描こうとしたか。

解る事はある、「ゲーム」と言うモノの「定型的な作法」が、或いはその「テーマからゲームデザインし、物語を載せる」と言うベクトルだった、その時、物語への比重が低い、訳だ。

興味さえ持たせれば、ほぼどうでも良い。
”それ”が、物語の方を重視する「ストリードの連携」それと衝突する。

この事態は何を招くか?と言うと、何だかシニア層への否定、ではあり、それは物理的な事象として発生しかねず、その時しかし、”それ”に依存する「その後の世代」それを、逆に窮乏させてしまう。

その上で、しかし、「シニア層」の庇護、それに未来は有るのか?と言うと無い訳で。
護り続けても、やがては消えていく人々、しかし、それが抱える物は今も、重くある。

平成と言うか、昭和の継続、というか。その世代の、その職能と言うか…良くも悪くも「我の強さ」だが、それがそのまま自身の命に直結している…そう言う感覚が有る。

そして、「そう言う感覚がある」のは自分だけ、かもしれない訳だ。
第三者の同意は得られないのに?何故か、切迫感が重い。

こちらが、利益性?或いは問題の無さ、それを盾に今風のやり方を圧せば、彼らは、或いは現場は、ダイレクトにダメージを受けていく事に成る。という悪夢を意識しながら、それを圧すべきか、否か。

「エヴァンゲリオン」にしろ、その後のリメイク的な作品は、どれも物語への比重が下がってる、訳だ。インパクト重視、内容は問わない、そんな感じになって、ブランド的には随分下がり、否定感を持ってしまった。その原理が、その「システム2」時代の、その方法論、しかし「シニア世代を支配していた何か」へ、繋がっていた?かもしれない。

「ダライアス」と言う作品は、「画面いっぱいに動く海産物系ボスメカ!」という、理解では”それだけ”で何かの知名度とブランドを維持してしまった。物語のエンディングは多岐に渡り、「どれが正解?」それは決まっていない。それに対して、今も、現場は”そこ”にあり、「これで良い」そう、彼らは言っているし求めている、のかも。

利益性だけを問うなら、”これ”は、その方法論は「市場管理者」それに否定されている。しかし、「ユダヤ教の王」それにとっては、これで良かった、訳だ。この「ダライアス」と言う作品が産まれた経緯が、自身の想定するモノであれば、それは「昭和天皇」その意向では無かった、と言う事に成る、「それによる成功」と言う、それは、そこに何かの希望はあった、彼らには。

元ネタになった「ザリガニの絵」その作者の意向は、この時、意味を持つのだろうか。

とは言え、当時の小学生が、描いたザリガニに何を見ていたか?は、定かでは無い。

「豚の絵」にしろ、それは、「先生になんか描けと言われて、その時その中で好ましいと思ったモノを描いただけ」だ。そこにそれ以上の意識はなかった。ユダヤ教の王も、それを否定はしなかった、或いは?「兵士として優秀」そう言う点こそが、その時、評価されたのだろうか。

「ブルーガンダム」そこに何故かある、「エグザム」と言う特殊な機能の存在ではある。それは、パイロットの意向は無視してその時、”最善”を選択した。ザリガニに、それは何を見たのか。ともかく当時のその子にとってそれは遊び相手の様なモノではあって。

「自然は面白い」その辺の小川で有ろうと、自生する生き物が居ると言うのは良い物だ。

物語の重要性?「売れる場合に有る物」その、「テーマ」の様なモノ、だろうか?

売れれば良い、その時の、その深淵の先に有る物。


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