あげちうのブロマガ

危機的感覚とカッコ悪い話

今更、「萌えキャラは自腹傾向がある」と、言い出しても困る状況。

その肯定とその帰結、みたいな闇があるのだろうか?


本日のダイス
白:6,2:8
黒:4,2:6

白8 6242


「第3のスタッフ」として参加し、無形の給与を得ている、と思うべきか、それとも、勝手に利用され利益を横取りされている、と見るべきか。「大衆は神である」と言うその時、”それ”が評価?するものには相応の需要と意味、そう言うのは有るのだが。

この記事の中のキャラ、「ライザのアトリエ」の”ライザに似てない?

「似てる」と思う時、「萌えキャラ」とはつまり、”これ”の事だったりする、様な。

「あげちうのキャラクタ絵」を、真似る時に発生したのが「萌えキャラ」そのベクトルである、そう言いきるには、ちょっと「萌えキャラ」そういうのは普及し過ぎている、気もする。要するに把握での「エヴァンゲリオン」の様な、「黄昏の狩人」を勝手に下敷きにしてた?という話の、別の事例。元々自分は自腹傾向は強い、のだが(もちろん撒き餌、目的に対する先行投資みたいなニュアンスで、だが)、そう言う部分だけが、ちょっと誇張されちゃってる、様な。今は目的、「商店街が総じて流行ってる光景」それへ至るなら多少の持ち出しも容認する、みたいな話には成る、のだが。利用してる”現場”の目的はそれか?というと、ちょっと違う様な気も、する。

そして問題は、その「吸われる持ち出し部分」は何処から?という時、少し面倒があるのでは、不意に。

創作で描いて、それによって発生する”利益”がフィードバックされている、というならまだ解るがその場合も、「足りてる?」と、そんな気分には成る。足りない、もっと!というそれを要求されると、元ネタはかなり無理な話をされる事には成る訳だ。単に客寄せパンダ、というだけならともかく、キャラに依存し始めると、どうも内容に面倒?不愉快、犯罪性・・・そういうのが混ざってくるのでは。

ともかく?元ネタの「価値観」に依存される事には成る訳だ。

その作品は、”その”の道理に対して合わせているのか?

ここの道理、「商店街が総じて流行ってる光景」それが理想。その為には他者をけり落とす様な真似をするのではなく、協調し棲み分ける感じは必要等々。でも多く、問題は独裁性そこにある。自分がやりたい様にやる、先で、ほぼ間違いなくそれは、或いは”元ネタの”価値観と言う、壁にぶつかる、様な。

ともかく最近の理解ではある、自腹持ち出しは厳禁である。利益に成らない事はしなくていい。自分だけならともかく、”それ”を家族にも要求し始めるなら、それはもう命を削っているに等しい。故に、夢に対して拠出する、様な話はかなり否定される様になる、訳だが。

しかしすると、萌えキャラの魅力や旨味は、消えていくのだろうか?

結果でしか解らないが、奇妙な焦燥感みたいなものは、少しある。

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