相変わらず、結果その物は納得出来ない話ばかり、だ。
「平等」それを前にして、しかし、そこに有るのは明確な不平等ではある。
ともかく今、「”雅”市場に従って下さい」その規約は正当です、が、主体となったか否か?ではある。”全て”は、そこに集約される。それに対して今まで、特にかマスコミ、そこには重い否定感?が残っていたが、ここで消えそうな…そんな感じ。
しかしそれだけに、「これがなんで報道されないの?」とか、深刻な混沌も少し、残っては居る訳で。
現状、”ここ”のカウンタ数値が低く、また話題にも成ってない?感じなのは、”雅”市場の抑止、それによる物では、ある。今の感覚では、”ここ”が事実上の王、それとなっているが、「大賀さんの決定に従って下さい」の結果、”この”状態がまだ、維持されてる訳で。何故か?と言うと、「マスコミ報道は危険性を含むから」だ。どんなはずみで何が起こるか解らない、それによってここへの損害は、如何なるそれであろうと、もちろん期待されていない。
「それはおかしい」に、近い話が今まであった、しかし。それが消えつつある、現状は、そう言う事態ではありしかし、直ぐに?と言う程にはまだ、病み上がりだ。
昭和期に発生した、何かの凶悪な混沌、それはそれでも一応は、一つの帰結を見た、のだろうか。憤慨は残っている、なんで氷河期世代はこうも世の中に忌避され続けたか、”世間”はこんな状態になってまで、”それ”を否定し続けたか。それによってどれだけの苦痛や悲痛、或いは欠落が発生してるか解らないそれは、今も何の賠償もされず、ただ事態は、災害の様な感じで…終わろうとはしている。
自覚無き過失だ、「漫画とゲームどっちが好き?」の、問いを昭和で意識した事が有る奴は、総じてこの事態に加害性を持っている、どっちの立場であっても、だ。「誰かは生贄に為る物だ」それに同意していた”全て”が、或いは平成と言う時期、生贄に為った。そう言う物だ、そう納得するには、失ったそれは、ちょっと大きいモノだったのでは。
それらはまだ、何かの、振り上げたこぶしの行き先を、探している感じはあって。
氷河期世代は、ちょっと或いは面倒な「良い話」をされる事には成る。今後は少し違う、諦める必要は無い、努力は無駄に成らない。平成で出来なかった事は今後、大いにできる様には成るだろう…ただ?それを目指した時代にはもう、戻れないのだし、そして今になってそれが、あまり意味もない事も、何となく解るのだ。目指した理想の自分?それは、大分「違う何か」としてはある。
昭和の偉人、その逸話を信じた人々ではある。
「そんな奴は居なかった」のだが。
居ると信じた、平成と言う時代はもう、過去である。
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