あげちうのブロマガ

合理性と夢の狭間で

要するに。

今のインターネット上で「お金を稼ぎなさい!」と言われても。
「VODが邪魔して出来ない」訳だ。

シニア世代に、テレビに、相変わらず話が通らない理由でもある?VODが、無い。

「無い?」

一銭にも成らない事を続ける意味って、何なの?
それは判断の材料に成らない訳だ。

気づくと、切なさは有る。正しいか間違いか?で言えばなら?つまり「シニア世代の方が正しい」訳だ(;_;)。VODは利益性が無い、現実を超えよう?病気なら寝てろ。シニア世代の感覚には、VODは存在しない。狂ってるのはその後の世代、な訳だ(-_-;)。利益が大事だとしたら…そして、その方が正しい。

「存在しない」物の上で、どれだけ頑張っても、何の意味があるのか?

ブロードバンドは、データセンターは、必要である。ソフトをダウンロードする時、高速で有ればあるほど良い。混雑しているそれはしょうがないが、ともかく”こういう事”は、速い方がストレスは低い。一時間の動画を二時間かけて落とすより、一分前後でダウンロードする、その為に光回線を導入する…”それ”は全く、合理的ではある。

映像ソフトも、”それ”で良いんじゃないか?

数分でダウンロード出来れば、ハードパワーさえ十分なら回線状況で途切れる事も無いし、レンタルしに行くよりストレスは無いかも。無理してストリーミングで動画的に連続再生する必要は、実は無いのではあるまいか。その方が、「売っている」現実に形態も近いのである。

是非ともVODで無ければ成らない理由は、今の所は何処にも、無い訳だ。

「現実を超える事は出来ない」その大前提を前にして、機能を絞り込む時。”そこ”に実用性や利益性は出る、のだが。それは或いは、「シニア世代に屈した」そう言う絵、かもしれない。目指したそれは何だったか?「馬鹿な夢を見てないで働け」その無理解な、親の文言では無かったか。フロッピーディスク一枚の中に、どれだけの可能性を目指せるか。親の世代がやってきた事は、要するに”そう言う事”で。有限の中に無限を見出す、結局は人間は、「現実」の範疇から出る事は出来ないのだ。”雅”である、それはそう言う感覚。自分はそっちに賛同しつつ、その枠内で頑張ったその結果は、結局利益に成らなかった、様にも見える訳だが。

…そうなんだろうか。今の状況は、果たして。

インターネットは今、誰の物…なのだろう。不意に、ちょっと妙な”変化”は、感じ無い事も無い。インターネットは、VODは?色々な問題を引き起こし、それは色々と責任を問われ、その賠償を要求され…その「責任」が、剥がされて行く。昔、「アメリカ横断ウルトラクイズ」と言う番組が有ったが、後期には、優勝したのに?贈呈されたのは「ロールスロイスの、パーツの塊(ただしエンジン無し)」とか、そんな話に成っていった。予算が用意出来なかった、と言うより、何かのリアリティ、だったろうか。そこに有るのは「責任」でしかない、失敗した会社、その失敗した巨大施設と投資と、その負債。

どうぞ?

”それ”が、報酬。或いは確かに、その試練を通った人なら?それを何とかし得る可能性が無い、訳でもないのだ。求めていた物とはちょっと違うだけだ。”偉い人”に成れば、そこには何かの、夢の様な自由が!

それは無い。

そこに有るのは”責任”だけだった、訳だ。

「何とかしろよ」

報酬、それは。

人には、寄る。
好きな人にそれは、何物にも替え難い、かも。
「破魔師ー美鶴の初仕事番外編 美鶴さんの長い妄想」

それは、本当に、お金に成らなかったのだろうか?

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