あげちうのブロマガ

美味しいモノという異相の前で

自身の環境の、特にかネットワーク関連は、相変わらず不安定だ。

”それ”を握ってる人々の感覚は、今も何かの敵対的なそこにはある。

最近は本当、「動きが悪い」に対して、自助努力をする気が無くなっているのは寂しさというか、ではある。昔なら何とかしようと試行錯誤をした場所は、今は「治るのを待つ」一択のまま、数か月、或いは年単位か、”そのまま”に成ってしまう場合が多々ある。ともかく外部的な「脅威」は、今の自分には手に負える物じゃなく、「警察に訴えよう」というその前に?その犯行の立件さえ困難な現状の「普通」だ。カウンタ数値が低すぎる、ネットワークの通信が契約内容と大きく異なり低く安定しない、等々。昔から懸念とされたブラックボックスの脅威、それが現実になってるのは、いいやら悪いやら、だ。

不意に湧き上がるのが「役立たず」だ、”敵”に?対して言う言葉じゃないのが、どうも状況の混乱を感じてはしまう。アルカディアで失敗した文鮮明氏も、その洪水の中で狂って行った、という推測、それにかかわる話か。すると今も、統一教会は相変わらず、「王の権威」的な物に対して敵対をしているという事にはなるが。

”それ”が問題だろうか、次第に意識は統一教会の”向こう”へと移動してる、そんな感覚もする。

割と断言してもいいくらいに、「アルカディアでゲームデザイン出来ない人はディレクターに成れない」辞めてもらう、というのはリアルになりつつはある。そしてその中で、やっぱり「思いつかない」そういう人々は居て、”それ”に向くのもそれではある。不思議なくらいに「権力」動員、そういうパワーを持っていても、その先がない、そんな憤りと、”そこ”へ集中する定番の罵倒。「使えねぇな」は、彼ら?かには理不尽だろう、「使える」人々は、自分よりも非力な劣等でしかないのに。

ネットワーク等々、自分には直接どうにもならない部分の不調から”聞こえる”のも、やっぱり「そういう憤慨」ではあって。それだけに、何だかどうにもならない感は重くある。「自分は良いと思う」が、明確にか通じないのが現状ではある、象徴的なのが「アルカディア」だ、表面上のスペックで作れるゲームを「作りたい」そう思う奴は、ほぼ居ないのでは。その先で成果を出せる時?後進国は自立への一歩を踏み出せる、そんなロマン?に乗れる人と乗れない人はいて、まあ「向いてない」のを「役立たず」というそれは、正しいのか或いは。

その時もちろん?その絵もその結末も、顔をしかめる何かでしかない訳だが。希望に満ちて自身の理想を描くが客の反応が鈍い、日に日に居なくなる、想定した売り上げは単純に借金へ変わり、後に残るのは人々の無形なる中傷と苦笑、冷笑の数々だ。「アニメ監督って自分の好きな事をやれていいですね」それは皮肉か?というその先で、割と本気な人々が真実にぶつかっていく?

結局腐って、よどむ先で、なんでかブラックボックスの制御権が彼らの前にある?現実。

「ストリードの連携」それは、まずその”最初の誤認”に対して否定はしてる訳だが。まず、問題ないオーダーが無ければ、それは価値の足場にならない。その先で、”その”オーダーを尊守する先にしか評価も利益もない、自身の意向?それは多く、要らない。「面白くない」仕事だから、その先で客の評価、そして結果それに何とか満足する人々が、先へ登っていく、同意しない人々はその場で、重しと共に沈んでいく。

それをこうやって苦笑しつつ眺めてる先で、彼らは邪と手を結び、脅威となっていく訳だが。

統一教会の、更に向こうにある物、それは一体。

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