あげちうのブロマガ

橋が有った筈の崖

多少、会話が変わってくる。


以前は。

「ゼビウスは”売れた”よ、だからこれだって売れる筈だよ」

しかし今は。

「ゼビウスは”売れなかった”よ、だからこれだって売れる筈だよ」

それは台詞として成り立ってない。


弾幕STG?だろうか、ともかくその「理由」作者らの精神的主幹、それとしてある「事実」が、実は事実じゃ無かった、訳だ。今後は、”そこ”を理由に要求はし難い。その上で、彼らは自身らの今後を探さねばならない訳だが。

テロリストの感覚の如く。

「誰かが自分らの作品を、売れない様に妨害している!」

それは取りあえず、一つの、或いは大きな足場を失った。

…と言う結果だとは、思いたい。


弾幕STGを、そのプレイを見てて不安になる感覚、”それ”には多少、ケチがついた訳だ。「それは有り得ない」その先は無い。そのゲームが、”それ”を目的にしているか?は別の話としてある、しかし。利益性、そう言うのが無いと、状況も悪化の一途だ。”それ”を目指す時、その感覚は…大いなる壁としてはあった訳だが。
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何でそんな不幸?に陥ったのか?に対しても、これは説明できる状況が発生はする。「責任を問われた」訳だ。そして、それは限度をちょっと超えた先で過失か、”被害”として発生した。「万引き如きで人生終了なんて切ない」それへの同意、その結果として。ここは或いはその人?の中で、何かの混沌としてはある。

万引き如きで断罪するのは納得しかねるが、それが理由で自分が害されるのは嫌だ。

この時、或いは二択があり。
結論として、「ゼビウスは売れなかった」万引きも犯罪であり看過は出来ない、そう言う結論には成る訳だが。


責任の喪失は、「責任の所有者」その移動ではある。
創作の、ゲームの方向性、その責任の所在が、ゼビウスから移動するなら、何かの変化は。

良い結果、それは果たして何処か。

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