あげちうのブロマガ

喪失する椅子に座る理由

それが真理?

「なんで売れないんだ!?」
「いや、君ら素行そんな良くないでしょ」

結論として、至極当然ではありつつも、何となく、切ない。


ともかく求める”責任”或いはその喪失としてあるのが。

「ゼビウスは売れませんでした」

その、同意ではある。

当時はまだ小さい業界ではあり、数十億円?その位のコストがあれば見た目上の「売れた!」は創れてしまう…そんな世界だった、かもしれない。そこには何かの希望、理想、未来はあっても。

それは幻でしか無かったのだ。
そしてその幻と共に、ナムコは消えた。

ゼビウスは、「面白くなかった」訳だ。

だから、売れなかった訳だ。

「責任を取る」時、そこに有った「ゼビウスは売れた」その主張は、破壊される事に。

”それ”が破壊される時、シニア世代に有る何かの壁、それもまた、破壊される。

独裁創作は、利益に成らないのだ。
それは、物理的な問題として、”無理”だ。

何かを待っている。

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