あげちうのブロマガ

花屋に来て欲しくない客が来る

理想と現実、ではある。

ストリードの連携、それは一応、”期待される光景”をそこに現しはする。

「商店街が総じて流行っている光景こそが理想」

その時、一店舗だけが異様に高い集客?と言うのは、基本的に否定される。

しかし、これが何を産むか?と言うと、「利益の分散」ではある。今までは10店舗しかないから、利益も1000/10で100貰えていたとしても、利益(市場)はそのまま店舗が100店まで増える、その上で”この”理想を適用したら、1000/100で、10しか貰えなくなる。その分、来客が10倍に成れば問題は無い、が。ともかく店が増える程、一つの店の存在感、”それ”は薄れていく。

新しく店を起こして、客は100来ていても、全体で言えば(メディア的には)知覚もされない訳だ。単に「新しく店が10店舗増えました」その、一店舗に過ぎない。

これは、どんどん拡大していく事には成る。世界全体が”この”感覚に支配される時、「流行」それは、意味を失う。認証欲求的な面で言うと、これは”全く”満足できない状態ではある。しかし、そのストレスは悪として罰せられるのだ。

更に、衰退を防ぐ為には「切り捨て」それは否定せねばならない。ゲームセンターは不良の溜まり場に成るからおかない、と言うのは基本的には良くないが、「理想の環境」を構築する時、どうしても運営側の”それ”は衝動として発生する。”それ”さえ無ければ問題ないのに、が有ると言う現実は、どうも我慢し難い。

”この”感覚が、どうしてもカウンタ制御に、理由を与えてしまう。

現状、日本よりもアメリカの方が上位である。そこには「王の権威」それに類する特別は基本的に存在しなかった。居るのは成功者だけで、誰だって成功者に成り得るチャンスがある!と言うのがアメリカだった訳だが。”それ”を目指す時、日本的な?この感覚は微妙に、抵抗感が強い。何処まで希望しようと1/100以上の影響力は持ってはいけない、運営側で有ろうと民意を無視してはダメだ。

その時、「けものフレンズ3」というゲームの中に、「シーサーバル道場」と言うのが存在したりする訳で。フレンズ達が全滅するまで敵と延々と戦う、と言うイメージは、微妙に硫黄島の”それ”を想像はさせる。そう言う物だ、と納得出来ない感覚が過剰になる時、環境は何かの破綻を見せる訳だが。

アメリカは?”それ”を、我慢出来るのだろうか。

東京でも、新型コロナウイルスの新規罹患者が増えてしまった。
東京で「風俗」を必要とする人々は、罹患リスクを恐れない、のだ。
「売春婦は必要無い」環境をも目指して”雅”市場それはある、が。
それに対して、人々の一部はもちろん、強い反発はある。

「理想」と言う言葉を前に、大きな対立は不意にある。

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