あげちうのブロマガ

とある悪魔狩りのススメ

「人間を喰う」事への、何かの変化ではある。

中国の「武漢」と言う都市はでも、肉食に関してはかなり奔放、と言うか、ジビエどころか、かなりグロテスクな領域まで踏み込んでいる…らしい。肉であれば何でも食べる、そう。

だから、”そう言う因果”を、肯定を背負った都市、なのかもしれない。

現状の、特に中国経済をどうにかするには?「売春婦」その存在は不可欠だ。ともかく人間を磨り潰して食わないと、経済は成り立たない、強奪連鎖。本来の共産主義、それで行くともちろん「有り得ない事態」だが、結果としては面倒な状態に陥る。

優秀な存在が上に上がるのだ。
その時、”最も優秀な存在”は、経済をも上手く回してくれる筈なのだ。
利益を発生させ、理想的な社会を健全に維持してくれる、筈。

それが結論で、何故だか深刻な、経済的不景気に陥る。

理由は?もちろん、その上に上がる「優秀な存在」による独裁性、である。それを「神様」は許さない結果、しかしやんわりと?経済は廻らなくなる。或いは、共産主義?”それ”を考えた存在の残る思念かもしれない。破綻を前に、叫ぶ。

これで良い筈なんだ!!

この辺、もちろんあの相対性理論を考えた「アインシュタイン」でさえ、最終的には否定出来てない、「神様って何?」「知らん」そして、「テレビ」と言う構造もまた、「大衆」それが”最終的には見えなくなる”構造をしている。スポンサーに成れない様な会社に、如何なる影響力があろうか?”そこ”を無視する時、大衆、それは消える。

この時、発生しない利益を探す時、売春婦、それはむしろ貴重な存在であって。
田舎で農家をやるより娼婦になる、と言う選択の…理由かもしれない。奴隷以下の待遇を耐えるよりも、国から必要とされつつ食われて行く方が、まだ良い。

創作者、アーティスト?の多くはこの時、その国家の方向を強力に支援してしまう訳で。その自身の、美しい理想を描く為には、如何なる犠牲をも顧みてはならない!ヒットラーの著作、「我が闘争」とは或いは、”そんな内容”だろうか。

0.001%以下の不満に止まる無能より、彼はどれだけ、希望に見えただろう。

「インターネット」と言う存在は、大変貴重な存在ではある、世界全域の意見を集約して或いは初めて、”この”結論に至るのだ、独裁性は利益にならない。「大衆」が、総じて意見を上げられる環境において、その意見を拾い上げる結果として、利益性への道は見えている。ただその時?「売春婦」犠牲、それは特に必要とはしない。

中国は、或いは”その神様の決定に”逆らってる、と言う事だろうか?

武漢の新型コロナウイルス、その脅威は収まらず、死者も感染も増え続けている。しかし問題は、武漢出身である、と言う事が”そもそもの原因かもしれない”状況だ。その思想、考え方に対して、コロナウイルスが反応している可能性がある、訳だ。

何故なら?大衆は神だから、だ。

神に逆らうという事は。

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