A happy new year 2024
新年あけましておめでとうございます。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
「コスプレイヤーって大変」とか、本来は遠い世代の話の筈の。
唐突に、令和6年は芸能人や声優の結婚ラッシュと言う有り難い?イベントと、能登半島地震という有り難くないイベントから、というスタートには成って。流石に色々喜べない状況には成ってしまった。体感からすると阪神淡路大震災に匹敵する規模だっただけに、アナウンサーの対応も妥当だとは意識は理解しつつもしかし、その時裏側には不思議な感覚ももちろんあった…正常性バイアスと呼ばれる奴だろうか。
「そんな、大げさな」
ただ不意に、その理由、みたいな物にちょっと、思い至る感覚もある。
騒乱のるつぼと化した一夜が明けて、やっぱりそれなりの犠牲は出ている現実を前にしても。いやだから、だろうか…「なんで?」への返答に、因果的な物を考えちゃう状況ではある。結婚報道は、「当たり前だ」が多くが30代前後の人々の話、ではある。この時、再び就職氷河期世代は、何かの蚊帳の外に居るのだ。ともかく”彼ら”にはやってきた僥倖は、「パラサイトシングル」と呼ばれた氷河期世代には来なかった、訳で。
順番が違うだろう?我々の救済は何時だ、ふざけてると殺すぞ。
と、実際はそんな憤りの塊が、この惨事のトリガーに成ってしまった?様な、少しそんな事を考えた。
更に。この時、「そんな、大げさな」と考える人々の正常性バイアスが”何”を起点にしているか?というと「氷河期世代が後回し、それに何か問題が?」と言う、その理解の様な気がして、自分も不意に、少し意識を改める感じには成った。氷河期世代は少なくとも、そんな希望を考える事が既に物理的にも難しい現実はある、もう「声を上げる事も出来ない」訳だ、そして出たとしても、ろくなオチが期待できない。なのに、残してきた希望、そう言うのは残って居るという事態の中には居て。
その前の世代は、”それ”を踏みにじって生贄にしてきた…そう言う経緯は実際は、有る。
”そこ”を意識する事で、少し意識的な騒乱は落ち着く、感じはある…因果は繋がっているかもしれない。
実際どうすれば?という点で、何とか「カウンタ制御」それの是正と言うか排除というか、まずそこには成る訳だが。その後の30代前後にしろ、2024年で何かの枷が外れた、というのは有るのかも知れないが、まだカウンタ制御は残って居る、「この先自立できるとは限らない」そんな状況は続いている訳で。上の方が少しヘソを曲げただけで仕事が無くなる、そう言う現実はまだある訳だ、スキルだけで自立できる業界、状況ではまだ、ない。「ともかく人力発電所さえあれば、食う事は出来るでしょ」その人力発電所は今も無いのだ、その時、不意に社会に捨てられる、その可能性は残って居てそして、現実である。
「ちょっと待てって言ったよね?何時までだ?もう10年過ぎたんだけどさ」
内容は主観的理解の理不尽だが、犠牲になった就職氷河期世代?としては、こういう声がまだ残ってる訳で。
その視点で見る時、氷河期世代がプーチンで、その上の世代、生贄にしていた領域がウクライナ、ではある。迂闊にウクライナが負けを認めた時、ゼレンスキーを待っているのは果たして?ではある、プリゴジン氏は投降後、何故か不幸な事故で死んでしまった。「役立たず」結局、氷河期世代の苦境を打開しなかった、のは間違いなく、政策的な不足をそのままにしてた、という”無能さ”はそこにあるのだ。蓄積された憤りは剣呑さを加速していく、ことを想像すると、逆に徹底抗戦、みたいな話に成っていく、のもある種の必然ではある訳で。
なんで?
エヴァンゲリオン世代は結局、当時の状況を打開は出来ていないのだ。近年の任天堂による幾つかのヒット、バイオハザードRE3、アーマードコア6、そしてゴジラと、明言はされていないが実際は総じて「就職氷河期世代」その成果、ではある。事態は改善しつつある、”彼らの成果として”だ。なのに?何故まずZ世代から事態が打開されるのか?「60代の子供ら」と言うそれは、氷河期世代の憤りを更に加速させていくのも一つの絵として有って。
それでも相手がプーチンで有る、という時。ウクライナは、いやゼレンスキーは今、徹底抗戦するしかない、そんな状況はある。
余震はまだ、続いている。