限界、と言うのはある。
マイクロソフトのWindows8が継続しなかった、のは。結局の所、「モダンUI」と言うモノが、その環境では異分子にしか成らなかったから、ではあって。それは結局は「ウインドウの一種」と言う扱いしか出来ない時、それがそれであった事に、意味がなかった。
私見では、マイクロソフトはWindows95で企業的には「限界」に有る訳だ。”これ”で世界を覆い尽くす!には、この構造?では、不足があって。結論か、倫理観か、求めた創業者のビル・ゲイツ氏を追い出しても、会社は「windows」を護る事を選んでしまった。
”この”視点で見る時、SEGA、それもまた、何かの限界には達した訳だ。
この会社は、「ドリームキャスト」それを結論で”捨てて”しまった。他のハードとは異なり、この時点でSEGAは、コンシューマゲーム機、その市場から撤退する。自分はその時、「改良するべきだ!」的な事を言っていて…それが「DC改」とか言う企画にはなる、今言うなら「HTML5」みたいな言語を搭載して、同人にも門徒を開いたらどうか?しかし、当時のSEGAは、それを選ばず、DCを捨ててしまった。
元々、DCはマイクロソフトとの共同開発、ではある。SEGAとしては微妙に、何かの違和感を内包したままの、そんなゲーム機だったのかもしれない。SEGAの家庭用ゲームそれは、或いはメガドライブ、そこで止まっているし、それ以上を求めてもいない訳だ、”会社”は。会社の本業?それは「アミューズメント施設の運営」であり、それを維持する上で、ゲーム機それは、逆に「ゲームセンターから客を奪う要素」でさえある。
内部的な「無理」にぶつかったのだろう、今は思うのだけど。
ちょっと、企画をした。
このハードは結論で、どうも「メガドライブミニ」の延長でしかない。仮構築?するに、これをSEGAが出すのは可能性として有り得る…としても、ここに既存のゲーム機を凌駕する様な!そんな「新しさ」それは、載らない感じは、する。可能性は有っても、だ。
ハードは実用性がある。スマホのキャスト画面になり、外部ゲーム機の画面その録画が出来、それらを同一画面に置いての実況動画配信も可能で、もちろんゲーム実況動画の精製も出来る。或いは動画のレンダリング中は、メガドライブのゲームで遊んでいる事も出来る。「ゲーム機?」ともかく、メガドライブミニの様なモノは、載っている。
ゲーム機へ求める何か、だ。それは解るコンセプト、だ。「ゲームセンターのゲームの方が上」であり、家庭用ゲームは”そのおまけ”の様なモノでしかない、或いは導線。メガドライブはだからか、結局はもう一つ突き抜けない性能のまま、微妙に日本では終息してしまった、しかし。しぶとくブラジルではまだ、「現役」らしい。「正論」それは、残る何かとして、何処か何か有り続けるのかも。
当時の世相?は、SEGAの意向をそれはそれで、無視してしまったという事はある。
現状、SEGAに「ゲーム機の復活、それは要求出来ない」と言う事ではあり。それを理解されないままでは、SEGAとしても否定感の壁は取れない、と言う事はある。ゲームセンターを維持したいのだ、その時、ゲーム機は、SEGAとしては今、邪魔だ。
ゲームセンターを維持しつつ、家庭用ゲーム機も同じく流行らせる、そんな芸当は。マイクロソフトも出来なかったように、SEGAにしろ、無理な相談な訳だ。昭和から続く会社ではある、古い何かに縛られつつも、”そこ”に何かの正論はある訳だ。
自分は或いは、奇異な存在ではある。