感情論が重い。
「別に人を殺した訳じゃないから」
単に、その人を、30年以上に渡り軟禁状態にしてただけだ。
全く、「新世紀エヴァンゲリオン」それで言う「アダム」その物、ではある。当時の価値観としても”ここ”は、人間扱いされる立場じゃ無かった。”それ”に対して排斥し、或いは利用しつつも最終的には否定しようとしていた、訳だが。感情論的な「アダム」その苦痛は、或いは殺人にさえ匹敵する。
「双子星」それはだから、その人を、殺した事にしてある訳だが。
感情論か、形而上の結論か、ともかく”それ”は、否定された、が。”それ”が何故、そんな事に拘ったか?と言えば、「ハリウッドシステム」それに通じる何か、”それ”へ、「王の権威」それを渡そうと思ったから、だ。何故なら?”それ”が王の権威を欲したからでしかない。今の、多額の負債を発生させ、その実績や技能、キャリアの全てを否定される事態は、その結末として有り。
そしてつまり、「ハリウッドシステム」そこに通じる何かは、直接的には手を出してないのだ。
勿論、感情論?だ、それは、そんな行為を否定してるし、止めても居る。それでもその加害者は様々な事情の中で止まらなかった、今は、そう言う結末としては有って。
そして、結論としてだろうか。現状に対する同意もまだ、無いのだ。「王の権威」それはまだ存在し、それが”ここ”にある事に、重い?否定感はある。
「大賀さん」それが有っても、だ。
この状態が帰結なのかもしれないが、結局「クスィーガンダム」と「ペーネロペー」どっちが良い?には、結論が出ていない。様々な事情の中で、衝突の結果でしか解らない、と言うのがオチで。今は、”ここ”に王の権威はあるが、負ける時、それがいつ、別の所へ移動するか解らない状態。そして、現状に対する特に海外からの?否定、プレッシャー、それは、重く存在し、それは結局、”ここ”に対しての重い行動制限、それとしては発生する。
特にその「グラディウス」その方法論に責任が集中するのか?それはだから不透明だ。
現状、「次はどう決まっていくのか?」それは、大賀さんで勝利した存在、”それ”が、提言していく事に成る。その結果で自身の状況は変化するが同時に世界その物の反応としても、そこに有る。その時、事態は自分の期待する様な自由?それはまだ、無い。
登場は、30年前に、自分がそのまま王に成っていたら?そこに有るのかもしれない。その時、自身の「世界」それは現実へとシンクロしていく訳だが。
「何だか不当解雇されました」「新入社員のくせに無駄に前に出ようとするからだ馬鹿め」
そんな、実は前時代的な、王様。