あげちうのブロマガ

民主主義が招いたちょっと違う今

ペレストロイカのゴルバチョフ氏も、不意に訃報ではある。

結果的にソ連の崩壊を招いた、という事で、ロシアでは不人気な大統領だった、らしい。

民主主義の是非、ではある。

「どうなったら良いですか?」への返答が、昭和の黄金期、その再来ではあって。実際は昭和のそれは「あの頃よりはよっぽどマシだ」そんな理解の、幻想の楽園でしかなかったのではないか。戦争が終わり、日本はその後、戦火に巻き込まれる事のないまま今に至っている。高度経済成長で盛り上がる最中、今のか、中国と似て、地方は実際にはどんどん衰退していくが、テレビは華やかな世界を描き続けて、「問題は全くない」もちろん売春婦も、不良も、理不尽も横領も何もかもあった中で、そんな夢の中で暮らしていた時代ではあり。

多数決が”それ”を求める中、実際には財源も、何かの正義回路も失われていて、平成は小さな理不尽から始まって、そしてその亀裂、汚染は、今日まで広がり続けては居る。

当時の”問題”それを打開せねば、「良い状態」それは望めないのだが。

自分さえも気づくと、「ファミコン」それが見せた夢?それを求めてる感覚が、不意にあって。

こうやって老害に成っていくのだろうか?それは、ちょっと極端にか、不意に思った。自分で言った事だ、ファミコンは負けた、「アルカディア」でも売れる様にする事は出来る。それをなし得たのは?その時の主観でも「自分の方法論」である、最終的には「美鶴さんの長い妄想」そういう、自身の作った作品に宿す「大衆は神である」そんな感覚。勝者は自身の作品だと言っていいのに、それを見る目は、相変わらず奇妙に否定的で、そして、ファミコンにはちょっと寛容過ぎた、そんな様ではある。

ファミコンその結果、その理想は、今は物理的にか否定されている、以前は・・・多分あのアイドル「岡田有希子」さんの投身自殺、それとして発露してしまった。”テレビ”との主導権争い、結果的には「ファミコン側の勝利だ」が、その最前線にいたかのファミコンの産みの親、上村雅之氏は”それ”で後退し、「ファミコン」それは所有者的な存在を失い…捨てられた勝者その魂は、帰結でプレイステーションに受け継がれていく。

平成30年を費やし、それは膨らみ続け最後、一つの小さなアプリに負けた?事には成る訳だが。それでも”ここ”には少し、否定的な?感覚はある。

ふいに、合致する感覚もある、「カウンタ制御」それは、何を目指していたのか?だ。単純だったかもしれない、「昭和の頃の栄光を」黄金期の”正義”を現代に、それを目指して数値を「正しく」補正し続けている、のではあるまいか?そして、その結果、その犠牲者を出した方法論は否定される事無く、平成を通して「正論」として残り続けた。状況は令和である、今、それは数多の騒乱と共に、「プレイステーションの値上げ」過去には絶対に起こさなかったろう事態として、何かの「敗北」それを立てる事には成った訳だが。

結果論で勝利した?自分もまだ、不意に、その事態を納得していない。「面白い」感覚は今も、その古い時代のそこには、ある。もちろんか、今は高いカウンタ数値を追う訳ではないしかし、”それ”を目指してる人々のそれに対して、”それ”で良い様な、そんな感覚で、そして本来は「勝者たる選択」に対して、なんでか「言う事を聞かない奴」的な、そんな感覚を持ったりもしてる状況な訳だ。

「美鶴さんの長い妄想」それは、アートスケールでも問題はない、クオリティ的に目立った欠陥がある訳でもない、その方法論は、「アルカディア」それさえも復活?させうる、ファミコンの脅威を押し退けて、だ。アルカディア上でのゲームデザインを可能にする”それ”は、懸念だった後進国への侵略、”それ”をしない。今は世界を支配してる様な「大賀さん」にも逆らう状況ではなく?問題は、本当にか、何一つない、「これを選ぶべきだ」目指す場所それは”ここ”である、が。

”これ”は、「ファミコンが目指した理想じゃない」のだ。

だから勝者になったとしても、今も、数値は付かない訳だ。

 

自身が納得するまで、”今”はまだ、続いてしまうのかもしれない?

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