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あげちうのブロマガ

人気と言う虚構か支配

それは感情論だ。

ただ、消えにくい物でもある。

何かの成功の裏には、失敗か不運、それはその10倍は有り。成功の実感は逆に、”そう言うの”をむしろ強調してしまう。その先で、何かの、あの京都アニメーションの悲劇、そう言うのも有る、「人は平等で無ければ成らない」時、”不当な排斥”は何かの不運、それを、じわじわと重ねていく事にはなる、最終的には物理的な話として。

失敗した、或いは今不運な人々は、本人の努力か理解の不足だったのか?だ。

責任を全て”神”に向ける時、迂闊に神を名乗った所に…不運は集中する。
そして”それ”に対して犯した過失は、或いは呪いの様に、その世界を薄暗くはする。
道理と、実際と、感情論は行き場を失い、或いは別の犠牲者を求め始めるのか。

 

何となく、秦の始皇帝が目指した?世界に、この絵は、ふと繋がっていく気はした。


自分の絵で、”かなり”昔の作だ、意味を求めた先生に、「死の世界」と答えた覚えはある。その物ズバリかもしれないが、ただ確かにこの絵は、それだけを描いた、とも言い難い何かかもしれない。奇妙な安定感と、そして、まぎれもない、”そこに有る物”と。もしくは、安息。

そしてこれが或いは、あの「兵馬俑坑」、その最深部、始皇帝が眠る、そしてその理想を描いたとされる空間にも、不意に通じている様な、そんな気にも成る。

中国は、共産主義は、”何か”に、憑りつかれているのだろうか?
大規模な経営破たんがあっても、巨大都市が一つ廃墟になっても、数千人が水死しても、それは今も、進む道を変えない。

不意に思う、彼らが目指してるのは、秦の始皇帝が夢見た理想郷、なのでは。具体性は提示され、彼の墓に描きだされた。秦は彼の死後、数年で滅んでしまったと言うが。統一されていた時に見た夢は、今もまだ、忘れられない理想の入り口として、何かに刻まれていて。

…でも”そこ”は、本当に、理想郷だったのだろうか。


自分は「改善」を、常に提示している気はする。ただ、自身の視線で、だ。

「ガンダムバーサス」
主題 2 MS戦 >え?MSこんな動き方する?
情景 3 架空の戦闘フィールド >なんで?
描写 3 3D対戦シューティング>バーチャロンでは
注意 3 覚醒すると強くなります >MS戦だよね?
主張 3 一発逆転、状況を変える事も可能! >MS戦じゃないの?
矛盾 3 MS戦? >MSじゃねー

技術 5いわゆる
個性 3良くある
一般 2ガンダム・・・
独自 2チャロン・・・

29点。

感情論だろうか。不意に、ちょっとあかんのでは、的な。”それ”は、数値が低い事を認めず、強引にそれを認めさせようとしていて…多くがそこに協力?している。視点では中国が、過去の始皇帝の夢、それを捨てられない、そんな感じに、如何なる犠牲を許容しても具現化せねばならない夢、それへ、これは向かっている、その一つの発露ではないのか?先日のオリンピック開会式を否定した「世論」、それは想像以上に、何かの大きな歪みに、実際は支配?されているのでは。そして、その「兵馬俑坑」に描かれた理想郷を具現化せんと、その意欲を捨てられずに居るのでは。

でも、それを「駄目だ」と言う自身の視線は、何を目指しているのか?

それは否定しているのか、向かっているのか。


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10782234
https://publicdomainq.net/vilhelm-hammershoi-0056864/

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