前に考えた事は有る、氷河期世代の一つ前が平成を創った、のだ。
その時、その世代には先にか結果か、過失ゆえに、何かの欠落を起こしている。
本日のダイス
白:2,3:5
黒:6,4:10
黒10 6423
昨日書いた話も、事態には少し関係してくる気もする。
強者による支配と安定を目指す限り、今の事態を打開は出来ないのだ。
しかしその世代は、”それ”でしか状況を改善してこなかった。その他のスキルが無い上に、そして、過失が無視できない範囲で過失が詰み上がってしまっている。
問われる感じはある、そしてその結果、喪失していくモノがあり、移動していく認識がある。
お金が無い。市場は飽和している。これ以上の、今の方向での改善は無理がある。技術に不足はないが、それを買う客はいない、全て「喰ってしまった」後だ。自覚する欠損ではある、これでは巨大で危険な肉食獣でしかない。自身らに人間的な創造性?そう言うのは期待できない。しかし餌が無い時、生き残る術は、何処に見出せばいい?
誰か雇ってくれないか。
その雇い先はしかし、今まで敵として全否定していた「裏側」にしかないのだが。
自分の実感としても今、通常の改善、それによる打開は困難だ、という感覚には成る、昨日のハリウッドの話が象徴的だろうか。力に依存した改善しか術がない時、それは逆に状況を悪化させるだけではあり。「自立する」その理解の変化、というか。その世代が言う「自立」それは現状では既に”無理”だ。良いモノを安く、たくさん売れば、それが通用しなくなってきた状況の中、そのスキルは結論では意味を失ってしまった。
「出来ません」つまり、ウクライナはロシアに勝てない、その先を考えねばならない、そんな感じ?
雇用されるしかない。その雇用者が、問題なく利益を上げられるのなら。
「一億総サラリーマン社会」と言うか、農業でさえ、そもそも補助金なしでの運営が困難な”ここ”に「自立」を要求した事に、実際には認識の異常があった、というか。単に弱い立場から搾取していただけだ、百姓を百姓扱いしていたに過ぎない、不意にそんな事を考える昨今ではある。
果たして、雇用されるとして。労働はちゃんと納得し得る対価として換金されるのだろうか。景気のいい話が続くが、悪い状況は悪いままではあって。見えている範囲は少し意識が違う立場にはある。しかし物理的な結果は、今も出たとは言いがたい。
ともかく今出来る事はただ、「雇用される」だけだ。創造性、そんなものは要らない。
雇わない事はあり得ない、それはまあ、断言し得るが。何かの理想の喪失、それである事もまた。