それは、その通りだ。
ゲームセンターは衰退の危機に有り、方向性の変更を求められている。
しかし、或いは重鎮の何処かが、それに納得していない。
「ゲームセンターが生き残るには、売れるゲームを入荷するしかありません」
じゃあなんで私のゲームは売れないんだ?!
これは幅広く同調とストレスのある問題ではあって。
単純に、「独裁創作は利益に成らない」それは今も、揺るがない。
どんな正論も最後は、「貴方、自分が神様のつもりなの?」その返答で基本的には潰える。
結果、その返答があった時点で”それ”はどれだけ良い主張でも、利益に成らない訳だ。
普通は、物理的事実を前に屈するが、「九尾の狐」それは、一種の心神喪失状態、「私が神だ」自身の神、上位、「自制を促すモノ」を失った状態、そこに居るので、それに屈しなくなってしまう。
「貴方、自分が神様のつもりなの?」
私は神様だけど。
それは、これに勝とうとした結果、だったのだろうか。
太平洋戦争が起きる前は、ピカソにしろ、”そう言う人”が、「そう、私が神だ」それは結構居た訳だ。
神に成ってしまった存在に、神、物理の自制は意味が無い訳で、そして物理も実際には、それに対して強制はしない。
ただ、結果を示すだけ、だ。
人々は、どっちに付くか?ではある。
(自称)神か、物理か。
”神”は存在しない自由を目指す。
物理は、「それは出来ません」それを無言で示す。
「スペースインベーダー」ともかく戦争を題材にして始まった、或いはそして「ゲームセンター」は、戦争の後遺症かそう言うのを、今も抱え続けているのだろうか。
神様が居るのだ。