あげちうのブロマガ

妄想なりに続く道理の話

日本の防衛費も、1兆円近いお金が「用途不明金」に成っている、らしい。

古くは、戦艦大和を創る際にも会計を誤魔化すために、ボールペン1本百万円、とかやったそうな。

 

”戦争”を前にすると、人間何か、箍は外れてしまう、そう言う事だろうか。


本日のダイス

白:5,6:11
黒:3,2:5
白11 5632

多分、明日からまた再開するとは…思いますん。


ともかく、一つの例?と言えば、そう。まず「100兆円の借金」は存在するのか、そして返済可能なのか?

存在は可能性としてもある。そして返済は?

結論で言うと、無理だ。

1%としても、年に1兆円の利子になる?それはNHKの収入を優に超えているのだ。
…しかしその時、「返済不可能だ」となると、貸してる側も同時に”それ”が損失に成ってしまう。

なので?借金は借金として維持され続けないと、この時双方、困る。

前に、「凍結国債」と言うのを考えた事がある。「借金の利子を免除してもらい、代わりに取りにくいコンサートチケットなどの、”クリエイティブなレアリティ”で謝礼とする」と言う、破綻の回避法。借金は借金として返済の必要性はある、が。ただ「借金である」と言う体裁が続く事で、それは「財産」としては、そのまま維持される事には、成る。利子の支払いさえ停止?するなら、借金の額は問題ではなくなる、毎年10万円でも、永遠を前に返済し続ける、という事は何時かは返せる、という事だ、が。

返す為には、収入が最悪でもプラスになってる事が条件、ではある。

なんで100兆円なんて借金が出来たのか?問題はそこ。その解決が無い限りは、凍結国債と言っても、打開は難しくなる。

「価値」それは、人々の同意の束、である。

高額な”その”中には神が宿っている、というのが、「大衆は神である」その、理屈の一つ。

その”神”が納得する提言を出来ない限りは、その借金は何時、壊滅的な天変地異になるか解らない。

 

借金が出来る経緯に可能性はあるのか?というと、地デジ化した際に、素人目にもかなり無理している?雰囲気は有った。地デジ施設の新設等々、どれだけのお金をつぎ込んだんだ?ってのは、良く考えた部分。そして、問題はその結果、テレビの需要は著しく減退した、事だ。広告収入で成り立つ業界からの突き上げはそれはそれは剣呑だった、可能性はある。それを埋める単純な方法は、「広告主様の売り上げはちゃんと出てるでしょう?」そういう、事実。それさえ創れればいい。

当然の様に、地デジ化を進めたのはNHKである。

責任は、NHKに廻っていく。”その事実を創れるお金”をしかし、たかだか8000億円に満たない予算では、維持し切れない。「間違ってない!」我々は勝たねばならないんだ!!という、敗北を前に、何かの狂気に憑りつかれたら、ゼレンスキー大統領の様に、不退転の決意で国を質に入れる、という話には成ってしまう、訳で。そして、良くも悪くも借り入れる事が出来る相手がいた、ら?だ。勝たねばならないという、何かの共有するベクトルで、「ユダヤ教の王」それは、そこに居た、のかも。

一部の人間にしか利益を生み出せない、という世界はおかしい。
学べば誰でも成功者に成れる、そんな世界でなければ成らない。
王の権威に勝たねばならない、それが逆に、王の権威を解放し得る唯一の術でさえある。

昔から、ユダヤ資本は様々な局面で、国家に対しても、多額の貸付をしていた…それは有る、らしく。

良くも悪くも、”その”主張その物には、当時にしろ王の権威自身さえ同意してる、のだ。しかし?その結果でそこに発生する理想それは、少し歪んでしまう。

セル画一枚描いたら、どんな内容でも10万円とかに成らない?

それは無理だ。

しかし、「売れる物」を選抜し確実に換金していったら、王の権威とその周囲しか、結局は利益性が無い状態が発生する…そんな悪夢はリアリティではあり。

今も、「”雅”市場」のルールで物差しし、「ストリードの連携」や「大賀さん」によりその物差しに合致する商品を創り出しても、その結果は「王の権威が望む世界」それにしか成らない、というのは少し実感でさえある。打開は?という、それが無いまま結局は、飯塚幸三氏の起こした人身事故、そしてコロナ禍、それへ陥っていく。時間の問題で「ユダヤ教の王」が居なくなり、”経済”は著しく悪化し、隠されていた、「借金として計上されているモノ」が姿を現しつつあり、それは、容易に破綻を連想させる事には。

どうにもなりません。

しかし確かに、「結局は宿敵”王の権威”に世界は支配されました」”人々”の努力は無意味でした、それはある種の執着には、繋がってしまう訳で。

ともかく?故にこの辺の事実が前に出る、様な話は暫くは無い、だろう。

 

「商店街が総じて流行ってる光景」それが理想、ではある。その辺は、「大衆」神の同意ももちろんかある、だろう。「”雅”市場」、「ストリードの連携」、「大賀さん」による具現は、その理想の帰結としてもちろんある。個性は大事だ、価値観も様々だ、人には向き不向きがある、月額12万円前後でも、責任を背負うよりはマシだ、それは歳を重ねるほどに、実際は実感する何か…ではある。

それでも、”大衆”神は、「誰が描いても一枚10万円のセル画」そういう世界を目指す人々を、容認し続けた、否定はしなかった?そう言う現状も、ある。

神の前で、正義は混沌としている。

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