あげちうのブロマガ

地方の判断でと言う無責任

現実問題として面倒はある。

全くもって、「民主主義に逆らう」と言う事は、今の新型コロナウイルス、”その”プレッシャーを無視して、イベントを開催する様なモノ、だ。

”それ”で暮している時、その会社は存続し得るだろうか?
”それ”は全く社会その物を敵にした、場合によっては「反社会的勢力」でしかない。


にも拘らず、この新型コロナウイルスの危険性は今も「風邪と大差ない」のだ。

それに怯えて経済活動を止め、それによる異様な損害を前にしても、「耐えろ」と言う、その民主主義と言う王の正義…、その是非ではある。


地方に「独自の判断で」と言うのは今?これに立ち向かえ、”そう言う意味”ではある訳だが。

これは、何かの危険性さえ感じる状況だ。逆らったら?どんな騒ぎ、いや、「損害」が発生するか解らない様な、かなりの不安感。それでいて、要請した国は責任を問われない、のか?「そこは問いたい」部分はある。政府の対応もかなり混沌とはしている。小学校を一斉に休校にしても、家族は外に働きに行くのだ。そもそも「国会自身がかなりの密集度」の様な気はする。”そこ”で何かを声高に飛散しまくって白熱?した議論をしている、その光景とは、一体何を止めようとしているのか。

…とは言え、日本国家も或いは、「地方自治体の一つ」位の意味かもしれない。WHOの勧告とはそう言う意味なのか、ともかく世界は何かの大きな統一的統制、その中に有るのかもしれない訳だが。

”それ”に、何かの混沌はある。
風邪を風邪として安心しない奇妙さ、だ。

古い世界と新しい理想、その衝突は、今も続く?



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