あげちうのブロマガ

景気がいいという不景気の中で

「原因は何か?」は、今もって明言はしにくい。

「邪悪を何故残すんです?」物語にある、”神”への疑問の様に、そこは混沌の先だ。

 

ビッグモーターの不正にしろ、内容に対して「何故、今まで?」それは、重い疑問としては残る。こういう事例は近年か良く聞く話になった、感はあって。メディアでのイメージと、内情がかけ離れている、という奴。街路樹が枯れている、なんて行政的にももっと早期に問題視してても良い話だ、それが今更分かった?様な、そんな対応は、ちょっと不自然は思う。

何はともあれ東京5輪の時も、安倍首相は?広告代理店に200億円とか支払っている訳で。その間、5輪を巡る不正それは、表面化しなかった、という…そんな経緯も或いは、ある。メディアが注目しなければ、行政や司法さえ動かない、という現実と、そして「広告代理店」と言う奇妙な存在の大きさ、そこには果たして?ちょっと考えちゃう部分は有る訳だが。

推測では、歴史ある混沌であって。

その「原理」は今、「大賀さん」紛争解決機構、”そこ”に集中している筈で、それは「切り捨てを創らない」筈で、だったら。その辺の混沌もある程度は…しかし。今も何だか「特権」それは、ちょっと意識される感じには成っている。

剣呑がある時、今の「カウンタ数値が低いモノは、報道の対象に成らない」それは、或いはむしろ安全の担保でさえ、ある。とは言っても、「カウンタ数値が低いモノは、社会的に存在しないモノとして扱う」それもまた、何かの問題の原理とは成ってしまう、訳だが。

「切り捨てを創っている」のは、或いはそのカウンタ制御、そこには原理がある。ただつまり「正義は我にあり」が言える時、逆に「何故状況を変えられない?」も、問いとして残る訳で。

「報道管制」それは、ある程度の必要性はある、世間にとって不利益になる情報、個人の生活を脅かしかねない情報、”それ”をあえて公示する必要は無い、しかし。その「選定」に関する基準は何処か?ではあり。その辺今も、曖昧なまま、ある種の「武器」権力として利用されている、そう言うのは重く有り、或いは、民主主義、その「根源」でさえあるかもしれない、訳で。

収入が上がっていても、NHKの赤字体質は変わっていない、らしい。そして今までも何度も、「今は景気が良い!」と言う、実感を伴わない報道それはされてきた経緯はある。

目の前にある現実は、果たして何を映しているのか。

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