あげちうのブロマガ

神の絵と悪魔の絵

構図は単純だが。

判明?しつつも、対価の様に今も、悪化は続いて行く。



現状、「九尾の狐」それが「大賀さん」それを前に暴れている、と言うのが問題の根本ではある、様だけど。
それが結局「使えない」役に立たない、そう言う声に対して抵抗する、結果と言うそれは果たして、罪は何処に有るか?ではある。

実感的な理解として、「絵」は問題を起こさない。
しかし、「文章」それは問題を起こしてしまう。

前者は、「紙の上」から出られない、が。後者は日常会話すらそのフィールドだ。原稿用紙に規約は無い、徒然なるままに、それはやがて現実を超えた夢想を、リアリティと共に語り始めてしまう。

絵は、その時、そこにしかない。
視点を動かせばそこには、現実がある。

ただ、もちろん、絵を描くには、スキルが必要な訳だが。
「視て解る」レベルに描くには、幾らかでも、”相手の要求”を呑む必要がある。
その時、”そこ”には目指す理想は無い、訳だ。

そう言う意味では、生徒ととしては、お粗末ではある。
”先生”のやってる事さえトレースと言うか、真似さえ出来なかった訳だが。

現状、”その”前に有るのは、何かの玩具の様な機械、だ。
”それ”が示す答に、「九尾の狐」それは同意できない、違う絵を描いてしまう。
「間違ってます」そう言う返答、それに激昂する、状況の悪化はその結果で。
世間か、それは何故か、”それ”を止める事が出来ない、神と悪魔の戦い。

どっちが?

結論と言うか、人類の総力を賭けて、その壁に挑む訳だが。
超えられそうも、もちろんない、が。もちろん、自滅以外で相手を害さない、のもそれ。

「九尾の狐」と言えば、傾国の妖怪ではある。

それに対して、その態度を変えない、それは人間としては耐え難い。

善なる存在は、時に迷惑な壁かもしれない。

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