「ゲームセンター」では、耐え難い。
「ウォースペース」なら、返答は出来る。
ゲームセンターと、似て非なる似た様な空間、ではある。
それでも、”その”勝者にとっては、「ウォースペース」の方では不足?或いは過剰、余計、そう言う物しかないのだ。
この辺を悩む、と言うのはちょっと普通の感覚で理解にしくい部分はある、訳だが。ともかく思想か、良識、信仰、そう言う物として、「受け入れ難い」そう言うのは、ある。
主だったそれとしてはやっぱり「戦争」それ、だろうか。
”ゲームセンターの”領域に、「戦争」それは無いのだ。
だからこそ、安住の地で有り得るのだ、と言う理解に対して、「ウォースペース」は、真逆な事を言う。
ここは戦場だ、”世間”には存在しちゃいけない「紛争」を引き受け、昇華させる事でそれを糧に変える、そう言う場である。
前者の、ゲームセンターのそれとしてあるのが、「対戦格闘ゲームの衰退」と言うか、そう言うニュアンス、だろうか。結局、”それ”は戦争までは、昇華していかない。本当に決着まで付けない、あくまでも戦闘衝動、その捨て場に過ぎない訳で。プレイヤーは不意に気づく事には成る、「これ、何の意味が有るんだ?」それに、ゲームセンターは、返答しない。
施政者側も理解してくれなかった、と言う部分はあるし、不足がある、それも現実ではある。反社会性が集まるのはコンセプト故ではある、彼らの”それ”を吸収し消失させるのが役目だ、が。結論で言えば、吸収し切れていない、昇華せずに、変質し、或いは何かの危険性として、世に出てしまっていて。
しかし結局?その先に有るのは「戦争の処理」なのだ。
そして、”それ”の先に有るのは結論で「独裁者」或いはヒットラー的な、そういう存在ではある。
理解としては、この先はミイラ取りがミイラに成っていく様、ではあるのだろうけど。それでも今も、或いは問題なかった時代、それへの望郷はある。
ゲームセンターは、全国で、衰退方向だ。
”ここ”が主張する「危険衝動の消失」が出来ないとしたら、それは道理だろうか。
「紛争解決機構」それとしては、「ガンダム」それがある、筈だが。”これ”も最終的には「戦争ゲーム」それを必要とはする、最後に独裁者を置かないなら、だ。執着があり、結論では「ガンプラバトル」期待される”それ”は、表にはまだない、「今まで通り」を求める人々の方が今も、この辺は逆説的だ、”紛争解決機構の”戦力的には上にある。
「ウォースペース」は、前に出れない、「大賀さん」を前にし、「ゲームセンター」の壁の前に、勝てずにいる。
これで良いのかどうか、それは相変わらず、悩む所だ。
自身の信仰する「大賀さん」その結果として、現状は現状のままなのか、否か。
人間の視野範囲には、何処まで行っても限界は、ある。
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