それはでも、仕事が出来ると言う意味では無い。
前にも書いたが、ニコニコ動画でのカウンタ数値には一応、傾向は有る。
カウンタ数値が低いほど、「自分の意見を曲げない」のだ。制御下に成らない。
この特徴は良くも悪くも「決められる」付和雷同しない、唯我独尊、そう言う事ではあり…良くも悪くも、「監督」創作での、”その”ポジションとしては、期待し得る能力ではある。
ちょっと、同じ展開でも、面倒なテーマがある。
「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ外伝 -賢者と戦士-」
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自分としては、こういう展開になるだろう、とは思うのだけど。
A展開
表「テロリストの現実」否定肯定
それは所詮、真似でしかなく
裏「正義は勝つ」肯定否定
テロリストは政府の非道に対して立ち向かう、様な事を言うが、結局は踊らされ利用されただけで、最後は力によって捻じ伏せられた。
B展開
表「テロリストの現実」肯定否定
正義でさえ有れば勝てるなんて嘘っぱちだ。
裏「力こそ正義」否定肯定
状況を変えるには非道な力さえも手段だ!弱き側が勝つにはそれしかない、的に挑むも、弱き者は所詮、何もかも弱き者として潰えて行った。
…どっち?
ここは本当に、趣味でしかない。土台的な事を考えると前者だが、実際の鉄血のオルフェンズ的には後者を選んだ感じはあり、その時、どっちが”正しい”?それは混沌としていて。
「監督」は良くも悪くもこの時、それを”決める”事が出来る。
その結果、総スカンを喰らっても?それは監督の責任である…それを受け入れての立場。
発生した損害も、或いは誰かの悲痛な失望を産んでも、それは監督の責任。
それを踏まえて、どっち?
それは、重い。
ともかく、現在のサンライズには、あまり期待感は無いのだけど。
「決められない」何だかふと、そんな?