それは、一番大事な事かもしれない。
「ギブ&テイクが成り立たない事はしない」
現場が出来る、現状を改善する或いは、唯一の手段だろうか。
・・・と言うと、末端の責任?みたいにも成ってくるのだけど、
テレビの叱咤激励?は、その時、何の責任も無いだろうか。
ともかくその時、今は良くも悪くもヒキニートとか、ゴミ屋敷とかが、出来る。
現状の一般論で、100万円投入して120万円になる確実性、それは無いからだ。
社会全体が利益を出せない時、何処かにしわ寄せがくる、損失を我慢して欲しい。
限度がある。
一定ラインを超えたら、そこは何かの破綻を始め、崩落していく事に。
誰が悪いか?と言うと、ギブ&テイク、少なくとも「確実な利益性」を現場に提供出来てない”上”、それが悪い。
どうすれば利益は上がるのか?現場の、”この”環境から。
テレビは、それに明確な答えを言えない”上”を擁護すると言うか…「現場が悪い!」それを何故か、徹底し、結局は、ヒキニートとかゴミ屋敷とかを糾弾する、事には成る。
「普通」と言う虚構の暴力だ。テレビが語る事に煽られる様に、世間はその「ギブ&テイクが成り立ってない」所に、更なる拠出を求める訳で。
まったく強奪連鎖でしかない。上がやりたい事を具現化する為に、”自分より弱い所”に拠出を求める、それが連鎖する先で?末端は生贄となって、消える。
そしてその時点でその世界は、利益性を完全に失う事には成るのだけど。
末端はその時、限度以上は拒絶せねばならない、訳だが。今の社会は良くも悪くも「それじゃ成り立たない」構造には成ってる、利益性が無い(;´Д`)。インターネットの登場は、良くも悪くもその「末端の声」を、上げやすくは成ってる。利益性を護らんとしたら、この声を無視出来ない、「限度が発生する」訳だが。
カウンタ制御は、”それ”を無視せんとするパワーの一つではあって。
この先、物理と虚構の戦い、ではある。トラフィックの増大、それは物理的な話、だ。一つのサイトにアクセスが集中している?と言うのは、運営側にはもちろん、”解る”事だ。それが上にとって都合がいいか悪いかの問題でしかなく、思想として「大衆は神である」時、そのトラフィックの増大は、神の意思、意向の表れではあり、それには逆らってはいけない、訳だが。不意に思う。
カウンタ制御、”それ”は死んだのだろうか。
ともかく、必要性は無くなったか、否か。
ジャニー喜多川氏の葬儀は、錚々たるメンバーによって行われて。
ともかく日本のテレビと言う物は、彼によって成り立っていたのか、そんな事を不意に考えたりはする。
何を護らんとして居たか、そこにあったパワーとは何か。
常に裏方で有り続けた、それが目指した物は、果たして。
人は消えても、残っていく物はある。
ただ或いは、”それ”は理由を失ったかもしれない。
それは利用され、汚れていた物だったろうか。
英雄が居た時代と、今。