ともかく?貧すれば鈍する、というそこに一理はあるだろうか。
ただまあ、「売れば金になる物を山ほど持っている」でも金は無い、は貧乏かどうか?は謎ではある。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
視点での「勝者」は、物理的なそれか?というとそこは謎である。
ハマスとイスラエルの戦いは、深刻さを増しては居る。紛争解決機構で、の話がもし事実だとしても、昨日今日の話で、昨日殺した奴も死んだ奴も、既に無かった事には出来ない。ウクライナにとっては「戦争」それが拡大する方が有利?には成る、それは良くも悪くも国際上の「主流」それかもしれない訳で、「介入」は或いは続くかもしれない。色々裏の事情はありそうではある、武器供与を見返りに、何を要求していたか、それはまあ、不透明だ。
ともかく思想的には「大衆は神である」その総意としての発露が「大賀さん」紛争解決機構、それでの決定として現れる。仮想現実での戦争結果は、物理的なそれに等しい。”それ”に反するそれは、神に仇する行為であって、末路は破滅しかない。
が、物理と等しい結果である限りは、100kmで曲がれないコースにそれ以上のスピードで突入する事を止める物は、物理的には存在しないそれは、現実としてある。
ただともかく、それが出来る奴は、その一瞬だけでも「物理という神より上位」には意識が居る訳だ、出来ない奴には踏み込めない所に踏み込める。彼らが後者の言う事を聞かない、それはまあ、当然ではある訳で。
ただ良くも悪くもだから、この思想は主体には成らない、訳だが。
「不可能か?」と言うと、”それ”用に作られた車ならもっと早い速度で曲がれるかもしれない。或いはテクニックの問題で打開出来るかもしれない。「やってみないと解らない」と言う真理はまた、自身の視点では笑みを浮かべて妨げようとするものを邪魔したりする。ともかく現状では、人間の自由意思、それを侵害する行為は大罪として定義されてはいる、何故か「強制力は存在しない」訳だがしかし。何もしない罪、というのはこの場合有るのだろうか、どうも衝動は残っていく訳だが。
なんにせよ、思想的には”神”に仇して経済的に打開される、事はまずない。切り捨てを創る社会と作らない社会では、後者の方がパワーかそう言う物では上になる。物理的にか、前者は貧し、後者は富める。前者は後者に攻撃する、それを後者が撃退するのは善としては定義される。しかし、後者の社会が前者のそれを侵略する事もまた、或いは許されない悪としてはあり。後者はただ、前者を見守る?様な事しか出来ないそこに、何の神の意志を見るべきか、そこはちょっとまあ考える話。
紛争解決機構では、ハマスは負けた、として。ならこの先はハマスが「負けを認めない」と言う悪に踏み込んでる事には成る訳だ。”ここ”での定義的には、「戦争」と言う状態では無くなった、とは言えるのかもしれない。懸念されるべきは人の命や財産その喪失では有るのだけど。ともかくイスラエルにとっては、結論でガザ地区制圧までも正義には成るのだろうか。
理想と言うのはどうも、最終的には存在しないという結末には至る。