頑張れば何ともなるって。
…それを勿論、今の自分は何とも言えない。
自分はゲームを作りたかった、”それ”でどうやって維持運営していくか?はもう、高校生の頃から意識していた話であり。当時の理解で言えば「クオリティの維持」がその最善である、と言う事だった、が。”それ”はまあ、紆余曲折の末に一つの結末は見る。「虹色宝珠」それは、その後にコンテストでグランプリ入選を果たし、50万円の賞金を得ている。「タケル」と言うソフト自販機で市販もされたのだ、一つの目的は果たしている。
問題は「その先が無かった」事だ。
自分の親は、”こう言う事”創作に関しては、ほぼ理解は無かった。時代の問題であり、それに対してどうこう言える状態でもない、が。ともかく親の主義主張か、それはその「入選」に至る道には、大きな糧には成っている、だろう。それは短絡指向と気楽さの合併と言うべきだろうか、ともかく、自身としての目的、その入り口には届いた、が。
まさかコンテストその物が何の前触れも無く終了する、とは誰が予想し得ただろう。
その時、”この”結果はブランドに成らず、無意味に成ってしまった。
そして、この結果に対して、自身の親は、何が出来ただろう?
時代の狭間に飲み込まれていた事に気づくのは、そこから更に、20年は必要とするのだ。
その間、多分、コンテストの破壊と共に「黄昏の狩人」それを盗んだその人々は、何かの成功と共に、スターダムへと駆け上がっていく、のだけど。
こういう事態は今、打開されたのか?
ともかく自身の境遇は、今に至ってもほぼ変わっていない。
新型コロナウイルスの猛威、それは相変わらずだ。単なる風邪だ、と解っていても、何かの威光?そう言うのに世間は逆らえない、”それ”が黒と言ったら白も黒になる、そう言うパワーは今も、自身の、しかし昔の、欠陥の残る「黄昏の狩人」”それ”を土台にして、下がる気配は微妙に見えない。
「正義は勝つ」のだろうか。
しかし、20年前後で命も終わるとしても、その禁断の選択とその栄華に意味は無いだろうか。
30年を費やし勝者になった、正義は勝つのだ!それは、言えるだろうか?
今はもう、令和なのだけど。