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阿賀野市 三角ダルマ ・今井徳四郎  2022

2022年05月23日 | 歴史

2022年5月、阿賀野市の水原農業歴史資料館で三角ダルマ展を見ました。水原代官所隣です。

 

 上記で展示しています(撮影禁止)

(上)作品展会場にある三角ダルマ。入口にある三角ダルマは撮影OKです。

阿賀野市役所のホームページと「すいばら町だより」によると、初代・今井伝十郎が人形を作り始めたのは文化年間(1804~1818年)。1808年に間宮林蔵ら、樺太探検に出発。1814年に滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」第1集刊行された時代です。 2代目長助までは木製竹製玩具(木馬・コマ・竹笛・ぺたくた・がらがら等)を作っていた。3代目長𠮷の頃から土人形も加えられた。本格的に土人形を手掛けたのは4代目伝蔵(弘化初年~大正15年)である。5代目は早世したので、6代目徳四郎(明治28年3月20日生)は祖父伝蔵から厳しい指導も下に9歳頃から達磨の重し作りを手伝い、14、15歳ころから人形作りに精進した。素材の相違から、はじめは土人形と三角ダルマは別々の存在だったが、今日では一括して産地の名をとり山口人形と呼ばれる。 土人形(えびす・大黒・馬乗鎮台・天神・小町娘・福助・子守・熊金太郎・つぐら児・鳩笛・三番叟など20数種)は多分に京都伏見人形の流れをくみ優美な姿であり、彩色は赤・群青・黒と賑わしく明るく近代的な配色の調和を示している。

6代目・今井徳四郎の時、戦中から戦後にかけて材料入手が思うようにいかず一時中断したが、昭和31年(1956年)に当時の柄沢利清水原町長はじめ山口人形愛好会有志の支援と家族の理解のもとに復活、製作を再開し、三角ダルマが世間に広く知られるようになった。「今井徳四郎の三角ダルマは、土地独特の素材を生かして他の追従を許さぬ表現と工作はまさに天下一品」と賞賛された。 横目づかいのおどけた表情と雪国のイメージを払拭した明るい色づかいが注目された。縁起物だから、結婚式や出産祝いにつきものだった。 7代目は、子の伝三。 昭和52年(1977年)の年賀葉書のお年玉欄の意匠として紹介された。 現在(2022年5月)は、三角ダルマの製造はされていません。

山口人形鳩屋六代目徳四郎は、晩年自らを不倒翁と称し、三角ダルマ独特の顔、形を大成されたが満足せず、鋭い眼光で新しい人形作りに励んだ。

     

           

(上)青はお父さん、赤はお母さん、白は子供。お母さんはお父さんより大きいです。

←本の表紙(白黒) 

昭和62年(1987年)10月、今井徳四郎さん80歳の時に非売品「人形と共に八十年」という本が刊行された。今井さんは14歳から人形作り。平成7年(1995年)12月 100歳で亡くなられました。

「皆様のお陰でございます」と素直にさりげなく言われたその律義さに、人間の生き方を教わった人は数多い。聞き上手で話術のうまさ、頓智のよさは若い頃に培われた弁論会のおごりと思われる。

 

(下)本の目次

     

(上)山口人形   「左」鯛乗りえびす 「中央」神楽舞 「右」馬乗鎮台

      

(上) 「左」福助 「中央」小町娘 「右」子守

昭和53年(1978年)の全国郷土玩具展に三角ダルマは、ベストテン入りしました。その後、当時の通産省や新潟県をはじめ、全国関係諸団体より、伝統的工芸品ならびに伝統技術の継承保持者として数々の受賞に輝いた(上記展覧会会場に置いてある紹介文より) 下記の文は、管理人が平成4年に下記の三角ダルマを購入した時に箱に入っていた文。

明治28年(1895年)3月20日 今井徳四郎さん誕生

明治42年(1909年)徳四郎さん、14歳で三角ダルマなど山口人形を製作始める

昭和8年(1933年)頃、全国福助展に入賞、 昭和9年(1934年)宮家が4種類8個お買い上げ

昭和11年(1936年)41歳の時、フランスとドイツの人形展に出品

戦後、天皇陛下御巡幸の際の県案内書と表紙絵に三角ダルマが選ばれた

昭和31年(1956年)旧水原町などの力強い支援を受けて、徳四郎は三角ダルマの製作を再開。61歳。

昭和33年(1958年)全国郷土玩具展には推奨品となり、日本十大人形新潟県三大人形の栄誉を受ける

昭和36年(1961年)東京・浅草国際劇場でSKD春の踊りの三景に三角ダルマの公演   66歳

昭和40年(1965年)水原町の文化財に指定される。70歳

昭和52年(1977年)三角ダルマ、お年玉年賀はがきの意匠に決まる 82歳

昭和60年(1985年)伝統的工芸品産業功労者として、又、伝統的技術の継承保持により、通産省と社団法人日本顕彰会より それぞれ表彰される 90歳

昭和62年(1987年) 92歳の時「人形と共に八十年」という本を刊行

昭和63年(1988年)日本民芸協団、日本工芸館の第30回公募展で優秀賞、日本放送協会より表彰される

平成2年(1990年)2月 上記の説明文作成。今井さん 95歳

平成4年(1992年)3月 下記の三角ダルマを管理人が購入 今井徳四郎さん 97歳

平成5年(1993年)9月 水原町役場発行の「町だより すいばら」に載った。 98歳

平成7年(1995年)12月 今井徳四郎さん亡。 100歳。

(上)赤い達磨「母」高さ45㎝、青い達磨「父」高さ32㎝、 白い達磨「子」高さ16㎝

現在、三角ダルマは製作されていません。購入するには中古品をネットで買うしかないようです。

ネットで購入できるのは最近(?)のもので、徳四郎が描かれた顔と違います。上の三角ダルマは貴重品だと思います。 徳四郎さんが92か93歳の頃、私は仕事の関係で家にお邪魔し徳四郎とお話したことがあります。私よりはるかに高齢なのに、気持ちが若々しく驚きました。高齢になっても収入(三角ダルマ作り)があると、人間は元気なんだなぁ・・と思った記憶があります。上の三角ダルマは知人宅で同じもの見て、知人に依頼し徳四郎から購入。「97歳」の文字を書き入れて頂きました。

下記は、平成5年(1993年)町だより すいばら9月号の記事。今井さんが写っているので写真をお借りして投稿。私が上の写真の三角ダルマを購入した翌年の写真です。

表紙と下の2ページで紹介されました。 今井徳四郎さん 98歳です。

 

 

2022年6月14日追記  下記で平成27年(2015年)11月、個展が開催されました。

会場は五泉市(旧村松町)の「蕎麦処 阿弥陀瀬、併設ミニギャラリー蔵」

今井徳四郎が100歳で亡くなった、20年後の個展。現在から7年前の話です。 

 


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