平成8年(1996年)6月1日付 「広報ささかみ」に旧笹神村(現阿賀野市)山倉は白魚の特産地という記事が載っていました。
江戸時代の「越後土産」という番付表に(上の写真。広報には3×2cmの大きさで載っています)「山倉の白魚 赤い矢印の先」と「水原 椿餅 緑の矢印の先」が載っています。現在の山倉集落内の川を考えると、透き通る美しい白魚が捕れたなどは考えられないのですが。 広報によると「福島潟」という本(県教育委員会1970)を見ると39ページに「諸猟稼人種類村別表(明治27年)」に白魚網漁をする人が山倉村(大字山倉新田2名、大字飯山2名、大字高田2名)で計6名。その他に本田村3名、天王村2名「本田と天王は現在、新発田市」とあり、山倉村がトップでした。山倉村が白魚漁の名産地だったそうです。山倉村とあるけれど、正確には福島潟に隣接する山倉新田・飯山・高田集落になります。知りませんでした。 写真の表の時代は「山倉村」。その後に合併し「神山村」。その後に合併し「笹神村」。その後に合併し「阿賀野市」。ずいぶん前の時代の話です。