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阿賀野市 ハート形土偶 2020(改定版)

2020年12月14日 | 歴史

2020年9月 阿賀野市の土橋遺跡で発見されたハート形の土偶(どぐう)。阿賀野市内8遺跡の、土器などの出土品約140点が、水原公民館で12月8日~13日まで公開された。  以下の記事は、2020年9月8日付の新潟日報モア(ネットニュース)の記事から書いています「詳しくは前記ニュースをお読みください」。会場には土偶の説明などが詳しく書かれていなかったので。

縄文時代後期(約4千~3500年前)の土橋遺跡で見つかったハート形土偶。頭部は縦8.5㎝。地元産とは違う粘土で作られている。他の地域と交流があったと思われる。このハート形土偶頭部は、県内最大。これまで県内最大だったハート形土偶は、村上市の元屋敷遺跡から出土したもので、それより1.4㎝上回った。同様の土偶は関東や東北の太平洋側で多く産出しており、国指定重要文化財の群馬県郷原遺跡出土品によく似ている。

 縄文時代後期

阿賀野市の土橋遺跡は、約千年前の平安時代と、縄文時代後期の遺跡が上下の層で重なっている。 つまり、縄文時代後期の遺跡があった。その後、河の洪水や土砂の堆積があり、縄文時代後期の遺跡が土中に埋もれた上に、約2500年後の平安時代の遺跡がある。平安時代にも人が住んでいた。その遺跡も、土砂の堆積などで埋もれ、その層の上に現在の農地などがある。 土橋遺跡は、ドーナツ型の環状集落で、主に3エリアで構成。中央は祭・生活の場。東側は大量の土器を捨てた「モノ送りの場」。西側は墓とみられる20基以上の土器が出土した「葬送の場」だったと考えられている。

  約3500年前の土器

 約3600年前の土器

天然アスファルトの塊も多く出土。周辺一帯でとれるアスファルトは、矢じり(上の写真の右側)の固定や土器の補修に欠かせない生活の必需品で、交易品として非常に重要だった。糸魚川市産とみられる蛇紋岩の磨製石斧(せきふ)も見つかり、幅広い地域と交流していた可能性がある・・と発表されています。

 「現地」とは水原公民館

 

(上)安田地区 ツベタ遺跡の土偶。縄文時代中期の土偶です。「上の地図 右下の端」

 

(上)京ヶ瀬地区 猫山遺跡の勾玉(まがたま) 弥生時代 前・中期

(上)阿賀野市内の旧河道「青い濃い色の部分」 上右が、旧水原町の中心地。

(上)土橋北遺跡「どばしきたいせき」 画面右に安野川。右端は百津町の分譲地。安野川拡幅工事で見つかった遺跡。

(上)阿賀野川から旧水原町市街地までは過去に何度も地震により液状化した地域。その為、陥没や隆起した地層が見えます。

(上)画面中央の白い建物はJA北蒲みなみとライスセンター。その奥が国道49号。画面下の中央斜めの部分が土橋遺跡。ここが見つかったのは、道路新設工事のため(?)。画面下に市街から分田方面への県道が通っています。

YouTube「阿賀野市公式チャンネル」で「とみがえる土橋遺跡」の動画が配信されています。ご覧ください。

 

(上)軟弱な地盤に建物を建てる際、柱が沈んで建物全体が傾かないようにするために柱の下に敷く「礎板(そばん)」。この板、昔の物なのに、地下の水分の多い場所に埋まっていたので、現在の板のように綺麗です。驚きました。外輪橋遺跡は、大野地集落の横に安野川があり、その川の横・堀越集落側です。

  

阿賀野市役所のHPを検索。次に「生涯学習課」に進みます。上の画像のような「土橋遺跡発掘調査だより」が閲覧できます。たまには、遺跡の勉強をするのも楽しいです。こういうのが閲覧できることを、もっと広報したらいいのにと思います。

 

 

 

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