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●「憲法くん」…《「変なうわさを耳にしました。本当でしょうか。私がリストラされるかもしれないという話」。…無関心ではいられない》

2020年08月22日 00時00分18秒 | Weblog


敗戦の日、杉谷剛記者による、東京新聞のインタビュー記事【「私の初恋」 12歳だった彼は、原爆で死んだ 渡辺美佐子さんインタビュー詳報】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/48997)。

 《松元ヒロさん…「憲法くん」…「私は(憲法くんは)70年間、戦争という名の下に1人も人を殺してはいません1人も殺されていませんそれを私は誇りに思っています」》。

   『●『憲法くん』の誇りとは? 《私は六六年間、戦争という名前で
                他国の人々を殺したことがない。それが誇り》
    「東京新聞の竹島勇記者による記事【初恋の少年に誓った不戦 
     渡辺美佐子 映画「誰がために憲法はある」】」
    《「誰がために憲法はある」は危機感なき映画界への挑戦状
     ドキュメンタリー映画「誰がために憲法はある」が注目を集めている。
     これは、芸人・松元ヒロが舞台で演じ続けている日本国憲法を擬人化
     したひとり語り「憲法くん」を基にした作品。
     演じるのは、ベテラン女優の渡辺美佐子(86)。
     この短編を挟んで、初恋の人を疎開先の広島の原爆で亡くした渡辺が
     続けている慰霊の旅と原爆朗読劇のドキュメントが描かれる。
     朗読劇は渡辺が中心となって同世代の女優たちと33年間続けてきた
     もので、今年が最終公演。未来に託す戦争の記憶と女優たちの平和への
     思いが語られる。井上淳一監督(53)…》

   『●《歴史に名前》? 憲法99条無視な違憲な壊憲…《この憲法を
             尊重し擁護する義務を負ふ》はずのアベ様が…
    「マガジン9の記事【こちら編集部/誰がために憲法はある(芳地隆之)】
     …《映画『誰がために憲法はある』が上映され、その後に監督の
     井上淳一さん、製作の馬奈木厳太郎(まなき・いずたろう)さんによる
     舞台挨拶がありました。…一人芝居『憲法くん』の原作者である
     松元ヒロさん…。ここでは、映画全体の語り手である女優、
     渡辺美佐子さんが東京・麻布の小学生だったころ、通学路で顔を
     合わせ、ほのかな恋心を抱いていた水永龍男君のことを》」

   『●《戦争という名前で他国の人々を殺したことがない》
     『憲法くん』の《未来はわれわれ主権者に託されている》
    《「変なうわさを耳にしました。本当でしょうか。私がリストラされる
     かもしれないという話」。女優の渡辺美佐子さん(86)が演じる
     「憲法くん」が静かに語りかける。沖縄市のシアタードーナツで
     上映中のドキュメンタリー映画「誰がために憲法はある」の一場面だ
     …憲法くんの未来はわれわれ主権者に託されている
     無関心ではいられない》

 《「変なうわさを耳にしました。本当でしょうか。私がリストラされるかもしれないという話」。…憲法くんの未来はわれわれ主権者に託されている無関心ではいられない》。

 渡辺美佐子さんは《戦争って、何ですかって聞かれたら、人間らしさが全部奪われる、と。食べるものが何もない。大事な家族が兵隊に取られる。夜寝ることも十分にできない。自由がないとかじゃなくて、人間が本来生きていくのに必要なこと全部取られちゃう。私の実感です》と。
 アベ様や支持者の皆さんは、そんな世の中に逆戻りしたいのね? 攻め入り、攻め入られ、殺し、殺され、そんな戦争に子や孫を行かせたいという親らの気が知れない。

   『●要《戦争絶滅受合法案》!: 憲法9条第2項抹殺…
       戦争したくてしょうがないアベ様ら自公与党議員達
    「《戦力不保持と交戦権の否認を定めた条文》憲法9条第2項を
     抹殺…アベ様の「我が軍」を持ち、国外に進軍したいらしい。
     「軍拡」は必然だ。そんなに「人殺し」に、戦場に、子や孫を
     行かせたいのならば、まずは、アベ様ら自公議員が行けばいい。
     《戦争絶滅受合法案》をまずは、制定して下さい。平和子さん曰く、
     《隊員一人でも、何かあってからでは遅い。行かせたいなら、
     憲法をねじ曲げ、海外の紛争地域に自衛隊を駆り出すことを決めた人
     が行けばいい》。全く同感だ。」

   『●「子や孫、未来を生きる世代のため」に壊憲?…
     「憲法9条…軍隊は禁止…子どもたちに、うそはいけない」
   『●アベ様の「積極的平和主義」とガルトゥング博士の
     「積極的平和主義」と中村哲さんが実践してきた「平和主義」と
   『●「防衛装備移転三原則」と「武器見本市」…《歴代政権が
     踏襲していた武器輸出禁止政策に立ち戻るべき》(琉球新報)
    「「防衛装備移転三原則」と「武器見本市」…「武器輸出三原則」の
     《歴代政権が踏襲していた武器輸出禁止政策に立ち戻るべき》だ。
     本当に悍ましい…人の親として子や孫にそんなに〝人殺し〟させたい
     ものかね。それに、《日本の技術が市民の殺戮に使われる》…、
     考えただけでも悍まし過ぎる。《政府の武器輸出支援》…
     輸出されたその武器の矛先には、誰が居るのか?」

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/48997

「私の初恋」 12歳だった彼は、原爆で死んだ 渡辺美佐子さんインタビュー詳報
2020年8月15日 05時50分

     (戦時中の様子や原爆で亡くなった同級生について話す
      俳優の渡辺美佐子さん=7月28日、東京・内幸町の
      中日新聞東京本社で)

 戦後75年の終戦の日の特集は、俳優の渡辺美佐子さん(87)のインタビューです。34年間、休むことなく、原爆や空襲で亡くなった子どもやその両親らの声を語り継ぐ朗読劇を続けた原動力には、幼いころ淡い心を抱き、原爆で死亡した少年への思いがありました。(聞き手=社会部長・杉谷剛)


◆「戦争って、人間らしさが全部奪われる 生きるのに必要なことが取られちゃう」

 ―広島の原爆で国民学校の同級生が亡くなったんですね。

 私が東京・麻布の笄こうがい国民学校(現港区立笄小学校)3年の時、太平洋戦争が始まりました。5年の途中から、疎開で1学年に何百人もいた生徒が15人ぐらいになった。そしたら入ってきた子がいたんです。珍しいなと思って。小麦色の肌でね、歯が白くて。家に帰る方向が同じで、行き帰りもだいたい一緒。でも、そのころの小学生の男の子と女の子ね、絶対口きかないんです。「おはよう」とか「さよなら」の一言もない。目も合わせないですね。そしたら1年たたないうちに、いなくなっちゃったんですよ。どっか疎開したんだなって。

     (母校・笄小学校の前で当時の様子を話す俳優の渡辺美佐子さん
      =7月28日、東京都港区で)

 ただ、その後もその子のことが気になって、女優になってテレビの「小川宏ショー」のご対面番組で、その子に会いたいとお願いして、当日に大人になった彼を待っていたら、お年を召したご夫婦が入ってらっしゃった。ご両親でした。息子さん(水永龍男くん)は中国・青島から中学受験で東京に帰ったが、空襲が激しくなって広島の祖母の家に疎開させたところ、8月6日の勤労作業中に原爆に遭ったということでした。遺品も遺体もお骨も目撃者もいないので「まだお墓が作れないんです」と。私は立っているのがやっとでした。それも戦後35年間知らなかったなんて…。その時、私は大きな重たいものを胸にもらいました。

 5年後の1985年に始まった朗読劇に喜んで参加しました。送られてきた資料の「広島二中1年生322人全滅の記録」の巻末の名簿に龍男くんの名前があったんです。その時の出会いが34年間、朗読劇を続けたいちばんの理由です。


 ―初恋の人、ですか。

 初恋なんて言葉も知らなかったし、まだ11歳ですからね。でも相手が12歳で死んじゃったんだから、恋が成就するわけなんてないじゃないという怒りと、口惜しさと切なさを込めて、私の初恋だっていうふうにわざと言ってるんです。


 ―どんな子ども時代でしたか。

 校庭で棒を持たされて、エイエイと突く練習ばかりさせられた。毎晩B29が飛んできて、父が庭に掘った防空壕でうずくまり、焼夷弾の「ヒュルヒュルヒュル」、爆弾の「ザー」って落ちる音を聞いていた。

 おなかはいつもぺちゃんこで、歩くとふらふらして、よく生きてたと思います。1日の食事は煎った大豆一握り。普通は飼料にする「ふすま」という小麦の皮をおかゆにしたり、空襲で焼けた米をもらってきたり。米は、母がといでもといでも真っ黒な水が流れる。それでも炊いたけど炭を食べているのと同じ。あと父が庭に葉っぱを生やしてた。東京の花小金井とか武蔵野のお百姓さんのとこに母と2人で着物を持っていって、米か芋に換えてもらった。

 終戦の年に長野県篠ノ井町(現長野市)に疎開しました。ろくに勉強しないで松の根っこを掘るんですよ。(航空用燃料としての使用も試みられたが実用化されなかった)油を搾るために。東京から父が送ってくれた配給のたばこ1箱をリンゴと交換して、3日間リンゴだけって時もあった。

 玉音放送は町長さんのおうちのラジオで聞いた。何をおっしゃってるか全然ぜんぜんわからない。誰かが「戦争が終わったらしいよ」と教えてくれた。これで東京に帰れる、と思った。

 東京戻ったんですが、父が守ってやっと残った自宅の2階の洋室が米軍に接収されちゃって、進駐軍の将校が日本の女の人を連れて入ってきたんですよ。下には復員してきた兄3人も含めて家族7人が住んで、母が煎った豆をみんなでボリボリかんでいる時に、すごい音がするんです。同じ台所からジャーって。ステーキ焼いてるの。信じられないようないいにおいがおなかにしみて。

 朝、学校行こうとするとごみ箱に真っ白の食パンが捨ててあった。手は伸ばしちゃいけないっていうのは分かってるけど、ずーっと目が離れない。しゃがみ込んで眺めてた。両親の決断は速かった。2カ月足らずでわが家を手放し、三鷹の小さな家に引っ越しました。

 戦争って、何ですかって聞かれたら、人間らしさが全部奪われる、と。食べるものが何もない。大事な家族が兵隊に取られる。夜寝ることも十分にできない。自由がないとかじゃなくて、人間が本来生きていくのに必要なこと全部取られちゃう。私の実感です。


◆初演は「ひめゆりの塔」 反戦平和への思い深く

 ―女優になろうと思ったのは。

 三鷹から井の頭線で渋谷の学校に通っていた時、電車の中で姉がファンだった俳優の信欣三しんきんぞうさんを見つけ、学校サボって後をつけたら、六本木の俳優座に入って行ったんです。のぞいたら事務の人が「あなたもですか」って俳優座養成所の3期生募集の応募要項をくれたんです。それで受けてみて…。

     (ドラマ「みだれがみ」で与謝野晶子を演じる渡辺美佐子さん
      =過去の写真はいずれも本人提供)


 ―映画デビュー作の「ひめゆりの塔」で、最後に別れを告げる先生が信さんですよね。

 ご縁なんです。信さんに随分たってから「実は私、女優になったのはこうこうなんですよ」って言ったら、「そんなうまい話あるか、うまく作ったな」と全然信用してくださらない。でも本当の話です。

 養成所の2年生でした。最初の仕事が戦争映画だったというのは大きかった。死ぬ前に「お母さん」っていう短いシーン。ひめゆり隊の悲惨な資料をたくさん読んで勉強しました。編集前の映像に映っている自分はぽっちゃりふっくらしてて、平和な顔しているってのが、すごく違うと思って、悔しくて泣いたんです。それで1週間、絶食して撮り直してもらって、何も食べなかったからか目がくぼんでOKに。飢えてギラギラして平和じゃない感じになった(笑)。


 ―デビュー作が「ひめゆりの塔」だったのは、その後の反戦平和活動に関係していますか。

 ずいぶん仕事でそういうことを教えてもらい考えました。戦争の残酷さと愚かさを身に染みて感じるようになって、龍男くんのことでますますその思いが深くなりました。


◆「人間が作った物が、人間の上に落される こんなひどいことを忘れないでほしい」

     (毎年行ってきた朗読劇「夏の雲は忘れない」の一場面)

 ―原爆詩の朗読劇を34年も続けた原動力は。

 人間が作った物が、同じ人間の上に落とされる。戦場ではない、年寄り、子ども、女しかいない普通の町にね。こんなひどいことってないでしょう。そのことをみんなに忘れないでほしい。

 戦後50年のときに、長崎の原爆に使われたプルトニウムを作った工場がある米ハンフォードで、原爆詩の朗読をしました。その町の高校バスケ部のジャンパーの背中が全部キノコ雲なんですよ。震えました。世界で一番強い物は原爆で、僕たちは世界で一番強いチームになりたいから背負っているんだって。

 朗読劇は一度もやめたいと思ったことないです。当たり前のことのように毎年7月と8月は、全国各地回って、原爆のありさまをみんなに伝えたいと思って。

     (舞台「マリアの首」の稽古をする渡辺美佐子さん)

 台本作るのに図書館に通いました。子どもたちの最期の言葉を探してもなかなか見つからない。ほとんどの子どもは即死です。なんとか家に戻ってお母ちゃんやお姉ちゃんと言葉を交わして、みとられながら死んだ子の言葉を見つけるのは70の言葉がやっとでした。

 資料で強烈だったのは、体育館の床に並べられた何百という中学生の遺体の中に、自分の子どもを見つけたお母さんが、もんぺ姿の胸をばっとはだけて、死んでいる子の口におっぱいを含ませたというもの。お母さんは命を息子に注いだんですよね。お母さんの気持ちがすごく分かりました。


 ―朗読劇「夏の雲は忘れない」は昨年まで続きました。

 女優たちもみんな後期高齢者になってしまって。悔しいけど年には勝てない。残ったお金を半分ずつ広島と長崎の資料館に寄付しました。そしたら、長崎の市長さんが「ぜひもう1回その朗読劇を長崎でやってほしい」とおっしゃって。規模は小さくしますが、長崎の子どもたちも舞台に上がって一緒にやるんですよ。この8月末に。楽しみです。

 龍男くんの妹さんも劇を何回も見に来てくださって。妹さんのお孫さんも見てくれた。そういう子たちが「ぼくたちでやろうよ、私たちでやろうよ」っていうふうになってくれないかなといつも思ってます。


 ―「誰がために憲法はある」という映画に出られました。

     (「今の日本の風はよどんでいる」と語る俳優の渡辺美佐子さん)

 コメディアンの松元ヒロさんが舞台で演じてきた「憲法くん」は男の子だって思ったけど、この台詞せりふは言ってみたいなと思ったので引き受けました。「私は(憲法くんは)70年間、戦争という名の下に1人も人を殺してはいません1人も殺されていませんそれを私は誇りに思っています」「戦争は絶対しないというみんなの理想を憲法にしたのに、だんだんと理想から遠くなってきた現実があって。だから戦争を絶対に否定する自分(憲法くん)は、リストラされるかもしれない、私の運命はみなさんに委ねられているんです」という台詞です。

 国に流れる風っていうのがどんなに恐ろしいものかっていうのは今よくわかりますね。日本国万歳、天皇陛下万歳の風に流されて、ひどい目に遭ったのに、あの8月15日を境に今度は民主主義の風が吹きまくって、アメリカ映画、ジャズがドドドッて入ってきて。その風に流されやすい自分も怖いです。


 ―日本の風、今流れてる風はどうですか。

 今の風はよどんでいる。この風に乗っていきたいとはあまり思わない風。とにかく、人間が人間らしく生きていけるような風が吹いてほしいです。戦争にだけはボク絶対に行かないよ」。こういう子どもたちがあふれている日本を、私は夢見ています



わたなべ・みさこ 1932(昭和7)年、東京市麻布区(現東京都港区)生まれ。実践女子学園高校卒業後、俳優座演劇研究所付属養成所に3期生として入所。「果しなき欲望」でブルーリボン助演女優賞。テレビには「みだれがみ」「ムー一族」「おしん」などに出演。
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コメント
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●『憲法くん』の誇りとは? 《私は六六年間、戦争という名前で他国の人々を殺したことがない。それが誇り》

2019年05月05日 00時00分19秒 | Weblog


マガジン9のインタビュー記事【この人に聞きたい/松本ヒロさんに聞いた:負けたらギャグで返す。笑っていれば希望がわく。『憲法くん』は元気です】(https://maga9.jp/190417-5/)。
東京新聞の竹島勇記者による記事【初恋の少年に誓った不戦 渡辺美佐子 映画「誰がために憲法はある」】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2019042102000200.html
日刊ゲンダイの記事【「誰がために憲法はある」は危機感なき映画界への挑戦状】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/252520)。

 《政治ネタや社会的発言がタブーとされる日本の芸能界において、一貫して反権力の気炎をあげ続けているお笑い芸人の松本ヒロさん。憲法の大切さをわかりやすくおもしろく伝えるために、「日本国憲法」を人間に見立てた一人芝居『憲法くん』を創作、20年以上演じ続けてきました。その『憲法くん』を、今年87歳になる名優・渡辺美佐子さんが演じた映画『誰がために憲法はある』がまもなく公開されます。映画公開を機に松本ヒロさんに『憲法くん』に込めた思いを伺いました》。
 《映画はそのドキュメントを挟みこむように、渡辺演じる一人語り「憲法くん」(作・松本ヒロ)で構成される》。
 《ドキュメンタリー映画「誰がために憲法はある」…これは、芸人・松本ヒロが舞台で演じ続けている日本国憲法を擬人化したひとり語り「憲法くん」を基にした作品》。

 アベ様に壊されゆく『憲法くん』の誇りとは? 《憲法くんが『私のことを自虐的とか言う人がいる。でも私は六六年間、戦争という名前で他国の人々を殺したことがない。それが誇りです。私をどうするか、皆さんに託しましたよ』と締めくくると満場の拍手に包まれた》。アベ様らに壊憲なんて許していいのでしょうか?
 『憲法くん』に関連した映画『誰がために憲法はある』が公開されるそうだ。

   『●「ぼくらは差別が見えていない」 『週刊金曜日』
             (2014年5月9日、990号)

    「■⑩『週刊金曜日』(2014年5月9日、990号) / 松本ヒロさん
     【写日記その30】、「ドキュメンタリー映画『ザ・思いやり予算』…
     バクレーさんが「ヒロさん、ギャラなんですが……」
     「大丈夫、『予算』がないんでしょ? 私の『思いやり』!」。
     さすが「憲法くん
     (http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/9cf92a972ac07b0d0538d9f8b4167b3a)」

   『●「放射能と学校給食③」『週刊金曜日』
        (2013年6月7日、946号)についてのつぶやき

    「■『週刊金曜日』(2013年6月7日、946号) / 松本ヒロ
     【写日記 その10】、「日本国憲法を擬人化した『憲法くん』と
     言うネタで全国を飛び廻っているお笑い芸人」「憲法くん
     『私のことを自虐的とか言う人がいる。でも私は六六年間、
     戦争という名前で他国の人々を殺したことがない。それが誇りです
     私をどうするか、皆さんに託しましたよ』と締めくくると
     満場の拍手に包まれた」」

   『●松元ヒロさん「憲法くん」は語る
    「「だけど丸投げで頼むわけじゃない。
     頼まれたから何でもできると思って
     戦争なんか始めちゃダメだよ。そのために、
     憲法にしっかりと9条を書いてこれをわたす。
     この憲法に書いてあることをしっかり守って、
     頼まれごとをやってくれ、と」……
     松本ヒロさんの「憲法くん」は語る。
     アベ様をはじめとした自公議員、翼賛野党の
     壊憲派には理解できまい」

   『●死にゆく平和憲法: 伊藤真さんの憲法の
       『あなたこそ たからもの』と松本ヒロさんの「憲法くん」
    「いま憲法は瀕死の状態。アベ様により壊憲のトドメを刺されようとしていて、
     平和憲法は死に絶えようとしています。自公議員、翼賛野党の壊憲派
     それを支えていますし、彼らに投票した人達も同罪です。万死に値します」

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https://maga9.jp/190417-5/

この人に聞きたい
松元ヒロさんに聞いた:負けたらギャグで返す。笑っていれば希望がわく。『憲法くん』は元気です
By マガジン9編集部  2019年4月17日

政治ネタや社会的発言がタブーとされる日本の芸能界において、一貫して反権力の気炎をあげ続けているお笑い芸人の松元ヒロさん。憲法の大切さをわかりやすくおもしろく伝えるために、「日本国憲法」を人間に見立てた一人芝居『憲法くん』を創作、20年以上演じ続けてきました。その『憲法くん』を、今年87歳になる名優・渡辺美佐子さんが演じた映画『誰がために憲法はある』がまもなく公開されます。映画公開を機に松元ヒロさんに『憲法くん』に込めた思いを伺いました。

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憲法を人間に見立てて語る

――一人芝居『憲法くん』では、松元さん自身が憲法になりきって「私の体は、前文と103の条文を細胞にしてできています」「国民主権、基本的人権、平和主義の3つの考え方を理想として掲げています」と自己紹介し、「私がリストラされてもいいのでしょうか」と、問いかけています。これは憲法施行50年めにあたる1997年の憲法記念日のイベントで、憲法をわかりやすく伝えるにはどうしたらいいかという話から生まれたそうですね。

松元 そうなんです。憲法というと堅苦しい話になっちゃうから、そこをなんとかコントでおもしろくわかりやすく伝えられないかと、学者の先生たちと台本を考えました。そこで憲法を擬人化したらおもしろいんじゃないかと思いついて、猛勉強しました。
 お恥ずかしいことに、それまで憲法のことをよく知らなかったんですね。ただ法律の親玉くらいに思っていたんです。でも、そうじゃないんですね。一般の法律は人のものを盗んだら懲役何年とか、僕たちを縛るもの。それに対して憲法は僕たち主権者が国を縛るもの、つまり権力を持つ人たちへの命令書だということを知りました。

――『憲法くん』が、憲法前文を朗々と暗唱するシーンが圧巻です。

松元 僕、憲法の前文がすごく好きなんです。最初の頃はただ必死に憶えて間違えないように言うだけだったんですが、何度も繰り返しているうちにだんだん体に入ってきて、ふっと絵が見えるようになりました。
 たしかに英語を訳したようなぎこちない言い回しもあるのですが、繰り返し声に出して朗読していると、人権とか権利とか堅苦しい言葉の中にも、愛とか平和とか平等とか、国を超えてみんなが大切にしている美しいものが込められていることがわかって、語っている自分の心も清められるような気持ちになれる。それが人に伝わるんですね。

――『憲法くん』は1997年の初演以来、ずっとヒロさんの持ちネタで、他の人がやることはなかったのですね。

松元 はい、もう22年続けてますから、僕にとっては古典のようなものです。ずっと一人芝居でやってきたのですが、2016年に講談社から絵本『憲法くん』として出版していただいて、それがもう10刷です。絵本作家の武田美穂さんがかわいらしい絵を描いてくださって、子どもからお母さん、お父さんまで読んでくださっています。そうしたらあちこちから「紙芝居にしたい」とか、「読み聞かせしたい」とか、声がかかるようになってどんどん広まった。僕一人の舞台では、見てくれる人の数も知れていますから、こうして絵本になってたくさんの人に知ってもらえるなんて、ありがたいことです。

映画になった『憲法くん』

――それが今回は映画になったわけですね。井上淳一監督から『誰がために憲法はある』の話がきたとき、どう思いましたか?

松元 2、3年前でしたか、井上さんから『憲法くん』を映画にしたいとお話をいただいて、「それはもう喜んで」って、思わずこうした(髪を整えるしぐさ)んですけど、僕が出るわけじゃなかったんですよね(笑)。そりゃそうですよ、僕の顔がスクリーンいっぱいになったら、たまげますよ。で、お話をよく聞くと、なんとあの渡辺美佐子さんが『憲法くん』を演じてくださるという。びっくりしました。

――実際に映画をごらんになって、渡辺さんの『憲法くん』はいかがでしたか?

松元 いやあ、やっぱり戦争を体験した人が語ると違うなあと思いました。一言一言に説得力があって、情景が目に浮かんでくるんです「私というのは、戦争が終わったとあとこんなに恐ろしくて悲しいことは二度とあってはならない、という思いから生まれた理想だったのではありませんか」という台詞も、当時を知っている渡辺さんが語ると真実味があって、ひしひしと伝わる。やっぱり体験者の言葉の重みは違いますね。
 僕は舞台でやるときには背景はなにもなく、語りだけでやると決めているんですが、絵本では絵がまず目に入ってきますよね。たとえば「戦争が終わったあと、こんなに恐ろしくて……」という文の背景に、焼け跡に女の子がぽつんと座っている絵を、武田さんが描いてくださったんですが、一目見てわかりますよね。ああ、こういうことがあったから憲法ができたんだ、と。だから絵本にしてよかったと思いますし、今回の映画では、渡辺さんの語りの背景に原爆投下の映像が映って、すごくわかりやすい。憲法の大切さが、より多くの人伝わるし、僕も渡辺さんの『憲法くん』にパワーをもらって、これからもがんばろうと元気になりました。

――映画『誰がために憲法はある』は、『憲法くん』を演じた渡辺美佐子さんが、33年間続けてきた原爆朗読劇『夏の雲は忘れない』の上演活動を紹介する後半へと続きます。

松元 あの朗読劇もすばらしいですよね。映画には日色ともゑさんとか山口果林さんとか、もうあこがれの女優さんたちがたくさん出てきて、どきどきしました。映像には映っていませんでしたが、学生たちが女優さんたちといっしょに舞台に立って朗読したり、上演後の交流会で感想を語り会ったりしたというのも、いいですね。「僕たちも次の世代に伝えていきます」とかいう子もいて、彼らに希望を託したいです。『夏の雲は忘れない』の公演は今年で終わるそうですが、映画の中に残すことができてよかったと思います。

媚びずに、信念をもって一人ひとりに語りかける

――戦争体験者がいなくなり、平和の大切さを今後どうやって若い世代に伝えていくかは、大きな課題です。なにかいい方法はありませんか?

松元 僕のお客さんも中高年が多いのですが、僕はあえて若い人に向けてとは、考えないようにしているんです。というのも、お笑い芸人として駆け出しの頃にこんなことがありました。その頃は、「若い人にウケたい」「どうしたらキャーッと笑ってもらえるか」って、必死だったんでしょうね。あるとき、ライブが終わって若いあんちゃんが楽屋にやってきて「なんでおれらに合わせたんだ、おれらは兄さんに引っ張っていってもらいたかったのに」って言われたんです。ショックでしたね。そうか、ウケを狙ってはやりのギャグを言ってみたり、若い人に媚びたりしてても、そんなのは見透かされている、言いたいことが伝わらない。そうでなく「平和は大事なんだ、ついてこい」って、堂々と言えばいいんだと、気づかされました。

――日本では政治や社会への風刺ネタはウケないとよく言われます。とくに若い世代には敬遠されるのでは?

松元 それねえ、年齢じゃないんですよ。僕のライブで笑ってくれるおじいちゃん、おばあちゃんの家族は、子どもも孫もみんな笑ってくれる。笑わない人の家族はみんな笑わない。テレビ見て、安倍さん、すごいって親が言えば、子どももそんなものかと思う自民党、おかしいぞとだれかが言えば、そばにいる家族にも伝わる家庭環境なんですよ
 自民党本部に勤めている人の中にも僕のファンがいます。「ヒロさんは私が毎日接している自民党の先生たちのことを、ぼろくそに言ってくれるからすっきりする」(笑)。その人もまた労働者の一人なんですね。ファンの中には自民党議員の奥さんもいるし、創価学会員の人もいます。だから年齢や国や所属集団でくくって決めつけるのでなく一人ひとりに信念を持って語りかけようと思っています。

――『憲法くん』は井上ひさしさん、永六輔さん、立川談志さんら、多くの文化人にも絶賛されています。そうした応援があって二十数年間続けてこられたともいえますね。

松元 そうなんです。皆さんのおかげです。もうだいぶ前のことですが、作家の澤地久枝さんの講演の前座を務めたことがありました。当時皇太子家の愛子さんがまだ3歳だったころで、僕は舞台で「3歳でなんの業績もないのに、なんで“さま”をつけるのか、おかしいじゃないか」ってやったんですね。そうしたら澤地さんが飛んできて「あなたすばらしい」って、感激してくれた。で、「あなた、どこかから、言いがかりをつけられたことない?」って聞かれて、僕が「いいえ、ありません」というと「そうね、あなたには信念があるから、だれも文句をつけられません」と。手をぎゅっと握られて、「信念がある」って言われて、僕はパワーをもらいました。それから僕は怖くなくなった。そうだ、正しいと思ったことは、堂々と胸を張って最後まで言い続けようと、気持ちが決まったんです。

笑っていれば、希望がわく。勝ち馬に乗らない。

――たしかに言い続けることが大事ですが、世の中はなかなか変わりません。自民党政権はびくともしないし、何をやってもだめという閉塞感が漂っています。

松元 確かに僕らは少数派です。選挙で負けると、ああ、もうだめだって、自分を否定されたような気持ちになりますよね。でも僕は絶望しない。「世の中バカなやつが多いんだね、僕みたいな利口なやつは貴重なんだ」とか、もうなんでもいいから、負けたらそれをギャグにして笑い飛ばす。笑っていれば希望がわいて、元気になれる。勝ち馬に乗ろうと、信念を曲げて大勢についても、それはほんとの勝ちじゃないですよ

――井上監督は「今年は現行憲法最後の憲法記念日になるかもしれない。今こそ憲法の原点を見つめ直したい」と、この映画を作ったとおっしゃいます。ヒロさんも改憲への危機感は感じていらっしゃいますか?

松元 『憲法くん』はおかげさまで、あちこちからお声がかかり全国を飛び回っていますが、最近は特に切羽詰まった声を聞きますね。
 先日呼んでくださった名古屋の主催者のかたは「今の憲法が変わる前にぜひやってもらいたい」って、おしゃるんですよ。その人に言わせると、「国民投票になったら負ける」と。国民投票はコマーシャルやり放題で、お金をたくさん持っているほうが有利だから、朝から晩までがんがん「改憲賛成!」と流れるわけでしょう。しかも、今のテレビニュースは、政権がやっていることをそのまま流すだけ。「おかしいよね」とか、「とんでもないことですよ」とか、一言も言わないから、見ている人は「世の中そんなもんだ」と思ってしまいますよ。
 『憲法くん』は、まだまだリタイアできません。リストラされないよう、皆さんも応援してください。

(取材・構成/田端薫 取材写真/マガジン9編集部)



[https://youtu.be/Dft-BL7dYhs]
誰がために憲法はある
2019年4月27日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開
公式ウェブサイト
http://www.tagatame-kenpou.com/

松元ヒロ(まつもと・ひろ) 1952年鹿児島生まれ。法政大学法学部政治学科卒業後、パントマイマーに。コミックバンド「笑パーティー」のメンバーとしてコントの世界に進出。1985年「お笑いスター誕生!!」で優勝。1988年、コント集団「ザ・ニュースペーパー」の結成に参加。村山富市元首相を演じ注目を集める。1988年に独立。政治風刺やパントマイムのソロライブで全国を飛び回っている。1997年に『憲法くん』初演、2016年絵本『憲法くん』(絵・武田美穂/講談社刊)を出版。
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2019042102000200.html

【放送芸能】
初恋の少年に誓った不戦 渡辺美佐子 映画「誰がために憲法はある」
2019年4月21日 朝刊

 女優の渡辺美佐子(86)は長年、平和や護憲への思いを地道に発信し続けている。平成から令和に変わる今年、そんな大ベテランも節目を迎えている。今月二十七日には映画「(た)がために憲法はある」(井上淳一監督)の全国順次公開を控える一方、仲間の女優たちと続けてきた原爆体験記の朗読劇は今夏で幕を引くことになった。「最近、平和が脅かされつつある」と強く感じるという渡辺。女優魂が警鐘を鳴らす。 (竹島勇

 今年で三十五年目となる朗読劇や、今回の映画に導いてくれたのは「初恋の少年」と渡辺は明かす。朗読劇はメンバーの高齢化でやむを得ず今夏限りで終える。だから、少年に誓った不戦の思いを映画に込めた。

 少年は第二次大戦末期に通っていた東京都内の国民学校の同級生だった。異性と口をきく時代ではなく、少年が急に転校してそれきりになった。時は流れ、女優として第一線で活躍していた一九八〇年、テレビ番組の「ご対面コーナー」の出演依頼に「少年と会いたい」と応えた。そして収録当日。現れたのは年老いた少年の両親だった。少年は疎開先の広島市で原爆の犠牲になったという。「息子を覚えていてくれてありがとうございます」。二人に渡辺は言葉を失った。

     (女優仲間との朗読劇「夏の雲は忘れない-」に
      出演する渡辺(左から4人目))

 「何かしなくては」。八五年から広島と長崎の原爆を体験した子どもたちの手記をもとにした朗読劇「この子たちの夏」に名を連ねた。二〇〇八年からは女優十八人で、新たに朗読劇「夏の雲は忘れない 1945・ヒロシマ ナガサキ」に取り組んできた。

 「水をください」「おかあちゃん、助けて」。映画は、広島の中学校での朗読劇の模様を収めた。公演後の交流会で中学生が「平和の大切さを伝えていく」と話すと、渡辺ら出演者がうれしそうにうなずく。渡辺は広島市内の初恋の少年ら犠牲者の名が刻まれた慰霊碑にぬかずく…。

     (映画で「憲法くん」として語りかける渡辺)

 映画はそのドキュメントを挟みこむように、渡辺演じる一人語り「憲法くん」(作・松元ヒロ)で構成される。「こんにちは 憲法くんです へんなうわさを耳にしたんですけどほんとうですか わたしがリストラされるかもしれないというはなし 憲法くんがいなくなってもいいということなのでしょうか」。ほほえみながら護憲を訴える。

 近年の防衛予算の増大など日本の平和に不安を抱いている渡辺は静かに語る。「私は空襲の恐怖と飢えを体験し、幼い同級生も亡くした。戦争は普段の暮らしを奪う」「憲法くんは(現憲法下では)日本は戦争で人を殺さず、殺されてもいない、という。良いことよね」

 映画「誰がために憲法はある」は東京・ポレポレ東中野ほかで順次公開される。「後世に残る映画で平和への思いを若い世代に伝えたい」と願いを込める。


◆舞台・映画・テレビ、幅広く

 渡辺は1932年東京生まれ。高校卒業後、俳優座養成所へ入所。同期に愛川欽也がいた。53年「ひめゆりの塔」(今井正監督)で映画デビュー。58年「果(はて)しなき欲望」(今村昌平監督)で注目を集めた。

 テレビドラマでは庶民的な役でおなじみとなった。TBS系「ムー」(77年)、その続編「ムー一族」(78~79年)で老舗の足袋店のおかみ役を演じた。NHK連続テレビ小説「おしん」、TBS系「渡る世間は鬼ばかり」シリーズなどにも出演。2009年のNHK「お買い物~老夫婦の東京珍道中」では夫役の久米明(95)とともに、放送文化基金賞演技賞を受賞した。

 舞台でも本領を発揮し続ける。代表作は、旅回り一座の女座長を演じた1982年初演の井上ひさし作の一人芝居「化粧」(後に「化粧 二幕」)。2010年までに海外公演を含め、648回演じた。

 渡辺は「新劇出身の私は『化粧-』で大衆演劇や歌舞伎などに触れて、幅が広がり女優として生まれ変わった」と振り返る。10月には87歳になるが、健康には自信がある。「俳優に定年はない」と意欲は衰えない。

 見納めとなる朗読劇「夏の雲は忘れない-」の一般向け巡演は6月24日、東京都中央区の日本橋公会堂からスタート。8月末まで広島、四国、関東など各地で上演する。出演者は公演ごとに異なる。「夏の会」=(電)090・8004・1985。

2010年、座・高円寺で上演された一人芝居「化粧 二幕」のファイナル公演から=撮影・谷古宇正彦


◆下の世代、どう受け継ぐか

<劇作家、演出家の坂手洋二(57)の話> 昨年上演した「サイパンの約束」など、(主宰劇団の)「燐光群(りんこうぐん)」公演に客演してもらっている。彼女は新劇出身ですが、映画やテレビドラマでも活躍したスター。主役を張る方だけど、飾らないユーモラスなところも魅力。「サイパンの-」では、日本統治下のサイパンで少女時代を過ごした主人公役でしたが、ある種の官能性も表現できる貴重な女優。彼女だからこそ朗読劇や今回の映画で思いが広く伝わる。朗読劇の終了は残念でしょう。渡辺さんたちの思いを私たち下の世代がどう受け止め表現していくか、大きな課題です。
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https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/252520

「誰がために憲法はある」は危機感なき映画界への挑戦状
2019/04/24 06:00

     ((C)「誰がために憲法はある」製作運動体)

 4月27日から東京・ポレポレ東中野ほか全国で順次公開されるドキュメンタリー映画「誰がために憲法はある」が注目を集めている。

 これは、芸人・松元ヒロが舞台で演じ続けている日本国憲法を擬人化したひとり語り「憲法くん」を基にした作品。

 演じるのは、ベテラン女優の渡辺美佐子(86)。

 この短編を挟んで、初恋の人を疎開先の広島の原爆で亡くした渡辺が続けている慰霊の旅と原爆朗読劇のドキュメントが描かれる。

 朗読劇は渡辺が中心となって同世代の女優たちと33年間続けてきたもので、今年が最終公演。未来に託す戦争の記憶と女優たちの平和への思いが語られる。

 井上淳一監督(53)は故・若松孝二に師事し、若松プロの青春群像を描いた「止められるか、俺たちを」の脚本を書いた硬骨漢。

 「このまま安倍1強の政治状況が続けば、改憲は現実のものとなり、もしかすると今年の憲法記念日は、現行憲法で最後になるかもしれない。演劇界は俳優や演出家、制作者が中心となって2015年から、毎月19日に、改憲反対の駅前スタンディング運動を展開しているというのに、映画界にはまったくといっていいほど危機感がない。この映画は、そんな映画界への挑戦状でもあります。憲法に込められた理想がいかに大切か、今こそ、ひとりでも多くの人にこの映画を見て欲しい」と語る。
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コメント
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