[↑ 三上智恵監督「軽んじられている命があるのでは」 【こちら特報部/多少の犠牲は仕方ない…その多少って誰のこと? 映画「戦雲」が問いかける「軽んじられる命」】(東京新聞 2024年03月14日、https://www.tokyo-np.co.jp/article/315046?rct=tokuhou)]
(2024年04月22日[月])
《県内で別の土地を探すという国の基地のたらい回し》 ← 《軍隊は人を守らない》《軍隊は住民を守らない》《基地を置くから戦争が起こる》という教訓を沖縄ほど、身にしみている方々は居ないと思うのだが。沖縄県内での《基地のたらい回し》って、そんなイジメ・差別をやる政府って一体何?
『●三上智恵監督『戦雲 (いくさふむ)』…《多少の犠牲は仕方ない…
その多少って誰のこと?》《「軽んじられている命」があるのでは》』
『●沖縄イジメ…《米軍が現場を占拠し、警察は蚊帳の外…墜落であらわにな
った不条理さ》の記憶、そして、《軍隊は住民を守らない》という教訓』
『●《沖縄の人にとって春は心がザワザワする季節…県民の4人に1人が犠牲
に…。そんな地が悲劇を忘れたかのように再び、戦場として想定されている》』
《軍隊は人を守らない(大田昌秀さん)》、《軍隊は住民を守らない》《基地を置くから戦争が起こる(島袋文子さん)》、《軍隊は同じことをするし、住民も協力するし、軍隊は住民をまた殺すことになる(三上智恵さん)》…。《戦争体験の継承はどうして必要》なのか? 大矢英代さんは、《二度と同じ手段で国家に殺されないように、生活を奪われないように、知恵をつけること》。《「負の歴史こそが、本物の、騙されない強い未来を引き寄せてくれる力につながるということを、この人たちが私に信じさせてくれた」と著者三上智恵は書いている》。
よりによって、宮森小学校米軍ジェット機墜落事故の記憶の残る石川市(現うるま市)で…。《本当に「沖縄のため」なのか》? そんなことがある訳ないでしょ!
琉球新報のコラム【<金口木舌>沖縄の真ん中から】(https://ryukyushimpo.jp/newspaper/entry-2996915.html)、《うるま市石川に降ってわいた陸上自衛隊の訓練場整備計画と政府の断念。住民の力で国策を覆した喜びに沸く「計画の断念を求める会」の会見写真に目を奪われた…県内で別の土地を探すという国の基地のたらい回しに、真正面からノーと言い続ける覚悟をもらう》。
再度の引用。(2024年3月27日)東京新聞の記事【こちら特報部/不意打ちの「自衛隊訓練場計画」に地元が怒り 自民県連まで白紙撤回申し入れ それでも政府は「沖縄のため」】によると、《沖縄県うるま市のゴルフ場跡地に陸上自衛隊の訓練場を整備する計画が持ち上がり、地元が一致して白紙撤回を求めている。近くには米軍機墜落事故の記憶が残る住宅地もある。保革を超えて反対の声が広がり、自民党沖縄県連も、防衛省に土地取得の断念を求める異例の要請を行った。台湾有事への備えとして進む基地強化は本当に「沖縄のため」なのか。本土に住む私たちにも直結する問題だ。(西田直晃、木原育子)》。
米潜水艦魚雷攻撃で沈没した学童疎開船対馬丸生存者・平良啓子さん「あの戦争が頭から離れない。もう二度とごめんだ」…体験通し戦争否定貫く。《「戦時下になれば安全な場所はない」という教訓》。《いったん始まってしまえば非戦闘員であろうが、避難の最中であろうが、惨禍を免れることはできないという「戦争の実相」を伝え》続けなければ。
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【https://ryukyushimpo.jp/newspaper/entry-2996915.html】
<金口木舌>沖縄の真ん中から
2024年04月19日 05:00
うるま市石川に降ってわいた陸上自衛隊の訓練場整備計画と政府の断念。住民の力で国策を覆した喜びに沸く「計画の断念を求める会」の会見写真に目を奪われた
▼泣き笑いの顔。知らない人には何の場面に見えるだろう。代表らが並んだのは、終戦直後の石川市政が置かれた築90年余の石川部落事務所だ。沖縄の新たな歩みが歴史の上に積み重なる
▼政府の断念表明直前、うるま市長や自民県連の代表らが防衛相に計画撤回を要請した時の写真もある。昨年12月の計画表面化から断念までの経緯、さまざまな思惑を反映しているのだろう。居並ぶ面々の表情は微妙な緊張感を帯びている
▼いくら文字を重ねても、時に一枚の写真にはかなわない。この日の紙面に沖縄の人々を活写し続けて土門拳賞を受賞した石川真生さんの姿が並んだのは偶然か
▼「沖縄を真正面から見据え、写真で生きる」と名乗るワークネームは、本島の真ん中の石川に由来する。県内で別の土地を探すという国の基地のたらい回しに、真正面からノーと言い続ける覚悟をもらう。
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(2021年12月05日[日])
アサヒコムの記事【好書好日/長倉洋海さんの写真絵本「学校が大好きアクバルくん」インタビュー 生活感に満ちたアフガニスタンを知って】(https://book.asahi.com/article/14465934)。
《世界の紛争地で、人々の暮らしや素顔を撮り続けてきた写真家・長倉洋海さん。『学校が大好きアクバルくん』(アリス館)は、アフガニスタンの山の学校に通う小学1年生の男の子が主人公の写真絵本です。本が完成した2021年夏以降、アフガニスタンではイスラム主義勢力タリバンが権力を握り混乱が続いています。長倉さんに本書とアフガニスタンへの思いを伺いました。(文:大和田佳世、写真:本人提供)》
《80年よりアフリカ、中東、中南米、東南アジアなど世界の紛争地を訪れ、そこに生きる人々を見つめてきた》長倉洋海さん。《写真展「マスード 敗れざる魂」》――― 《83年にアフマド・シャー・マスードの存在を知って、彼に会うために何度も通うようになりました》。長倉洋海さんの写真で知ったマスード氏。その頃、アフガニスタンのことなど何も理解できていなかったが氏の名前と顔だけは記憶に残っている。《アフガニスタンではイスラム主義勢力タリバンが権力を握り混乱が続いて》おり、マスード氏のお名前も時折出てくる。当時のマスード氏の思い描いていたアフガニスタンと今の姿はどれほど乖離しているのだろうか。
『●長倉洋海さん《フォトジャーナリズムの世界に不信感……
道を閉ざしてしまうことのないように念じている》』
「長倉洋海さん、《ただ、この事件によって、「フォトジャーナリストを
目指したい、そのような仕事をしたい」と願っている人たちが
フォトジャーナリズムの世界に不信感を持ったり、将来への不安を
覚え、道を閉ざしてしまうことのないように念じている》」
『●「何が起きたのか、可能な限り説明することが私の責任」
…その責任を果たしつつある安田純平さん』
「長倉洋海さんは《現場で経験し、たくさんの出会いがあって、
「伝える人」として鍛え上げられていく。現場でこそ、
ジャーナリストは磨かれ、育っていくはずだ》と言います。さらに、
《世界は広く、深く、驚きに満ちている。自分の狭い先入観や
思い込みではなく、驚きや偏見を打ち破るものを見つけ伝えてほしい。
そんな写真や文章はさまざまな形で発表することができる。
…私はペンとカメラさえあれば、人の心を打つことはできる
と信じている》」
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【https://book.asahi.com/article/14465934】
2021.10.25
長倉洋海さんの写真絵本「学校が大好きアクバルくん」インタビュー 生活感に満ちたアフガニスタンを知って
世界の紛争地で、人々の暮らしや素顔を撮り続けてきた写真家・長倉洋海さん。『学校が大好きアクバルくん』(アリス館)は、アフガニスタンの山の学校に通う小学1年生の男の子が主人公の写真絵本です。本が完成した2021年夏以降、アフガニスタンではイスラム主義勢力タリバンが権力を握り混乱が続いています。長倉さんに本書とアフガニスタンへの思いを伺いました。(文:大和田佳世、写真:本人提供)
お話を聞いた⼈
長倉洋海 (ながくら・ひろみ)
写真家
1952年北海道釧路市生まれ。80年よりアフリカ、中東、中南米、東南アジアなど世界の紛争地を訪れ、そこに生きる人々を見つめてきた。アフガニスタンは同年から取材を続けている。写真集に『マスード 愛しの大地アフガン』(第十二回土門拳賞/新装版・河出書房新社)、『人間が好き―アマゾン先住民からの伝言』(産経児童出版文化賞/福音館書店)、『ザビット一家、家を建てる』(講談社出版文化賞写真賞/偕成社)など。
■一目で心惹かれたアクバルくん
――アフガニスタンの小学生アクバルくんの登校から下校までを映した写真絵本『学校が大好きアクバルくん』。勉強したり友達と遊んだり、仲良く一緒に下校したり……。そんな平和な風景は、タリバンが武力で国の権力を握った後、以前のものとなりつつあります。撮影は2019年だそうですが、アクバルくんを撮ろうと思ったのはなぜですか?
表情がすごく魅力的だったんです。僕は20年近く、毎年のようにアフガニスタンの山の学校を訪れていますが、2019年春に入学したばかりの1年生のクラスで、教室の後ろの席に座っている男の子にぱっと目が吸い寄せられました。それがアクバルくんでした。
最初はちょっとわんぱくで、きかん気が強くたくましい印象でしたけど、よく見ていると意外とシャイで繊細なところもあるんですね。初めてカメラのファインダーで彼をとらえたときは3Dみたいに画面から飛び出してきたように感じましたよ(笑)。「あっ」と一目で心を惹かれ、気づいたらたくさん撮っていたという感じです。
(『学校が大好きアクバルくん』(アリス館)より。算数の授業中、
先生の話をじっと聞いて質問に答えようとする)
――たしかに生き生きした表情から目が離せなくなりますね。
授業中もころころ表情が変わるんですよね。先生の問いかけに、手をあげようかと迷ったり、思っていた答えで合っていたのか「あーあ、手をあげればよかった」という顔をしたり。そういう気持ちって、僕自身も子どもの頃に覚えがあるからよくわかる(笑)。
アクバルくんは鉛筆が大好きで、いつも大事そうに持って歩いているんです。鉛筆をにぎって文字を書くときの真剣さや、ときどき友達と教室で取っ組み合いのケンカになっちゃう姿も楽しそうで「いいなあ」と思いました。休み時間は元気よく外で遊びます。友達に自分のコルチャ(ビスケット)をパッと半分差し出す仕草もいいんですよ。優しいなと思います。
■美しい渓谷の村で
――山の学校はアフガニスタンのどのあたりにあるのですか?
北東部のパンシール(パンジシール)渓谷という地域です。首都カブールから車で2時間半くらい。峻険なヒンズークシ山脈(5000~7000メートル級)に120キロに渡って深く切れ込んだ大峡谷で、山からの雪解け水が流れる川の周辺に点在する村落に、約10万人が暮らしています。
小学校があるのはパンシール川の支流、ポーランデ川沿いのポーランデ地区。標高2780メートルにあり、上下10ほどの集落から150人以上の子どもたちが通ってきています。春にはあんずやアーモンドの花が咲く美しいところです。
(『学校が大好きアクバルくん』(アリス館)より。
標高2780メートル、ポーランデ川沿いにある山の学校)
――雪が残る山肌の間を縫うように、通学路に子どもが集まってくる様子がわかります。
アクバルくんの家は、学校から山の上のほうへ1時間くらい登ったところですが、彼のように上から来る子も、下の集落から登ってくる子もいますよ。子どもたちはみんな朝5時頃から水汲みや家畜の世話など、家の仕事をして、たいてい1時間以上かけて登校してきます。登校時間になると、どんどん合流してきてにぎやかですよ。
――男の子も女の子も仲良く一緒に過ごしているんですね。
山の学校は、アフガニスタンでは珍しく、男女共学なんです。平らな土地が狭い山間で、教室をいくつも作る余裕がなかったことも関係あるかもしれません。でも村人たちは「男女共学はみんなで決めた。私たちの民主主義だ」と胸を張っていました。
■マスードを通じて見つめてきたアフガン
――長倉さんはいつ頃からアフガニスタンに通っているのですか?
写真家としてアフガニスタンを取材したのは、通信社を退社しフリーになった1980年からです。83年にアフマド・シャー・マスードの存在を知って、彼に会うために何度も通うようになりました。
マスードは、79年から当時のソ連がアフガニスタン北部に侵攻したとき、ソ連軍と戦い、最終的に撤退に追い込んだ、ゲリラ戦の指導者です。マスードは僕の1歳下。年長者を重んじる伝統的な部族社会で、29歳のマスードが部族をまとめ上げていると知ったときは驚きました。
(ひとりの人間として長倉さんを魅了しつづけたアフガニスタン北部の
指導者マスード(左)と。1990年撮影
――アフガニスタンの英雄と呼ばれたマスード司令官と、長倉さんは同世代だったのですね。
指導者としてカリスマ性を持ち、精力的に働き、読書が好きで思慮深い。彼の人間性に魅せられ、取材を続けてきました。マスードというひとりの人間をとおして、アフガニスタンという国がどうなっていくのかを見つめたかったのです。しかしマスードは“9.11”(2001年9月11日に起きた、アメリカ同時多発テロ事件)の2日前に自爆テロで亡くなりました。
マスードの死後は喪失感でいっぱいでした。一周忌の追悼イベントが終わり、共に長い時間を過ごした彼の故郷、パンシール渓谷を訪れてみようと思って、行ってみると、僕のことを村の人たちは覚えていて「オマール!」(アフガニスタンでの長倉さんの通称)と声をかけてくれました。
その地区の小学校の校長は、かつてのマスードの部下で、「先生の免状を持っているなら、故郷で教育に力を尽くしなさい」とマスードに諭され教育現場に戻ったサフダル校長でした。
■同じ川の水に育まれた故郷
――小学校の様子はいかがでしたか。
学校といっても、村人たちが積み上げた石で囲われ、屋根があるだけ。土壁もないし、扉も窓もない。床は土のままで、冬は雪が吹き込み、ある日は登校したら家畜が教室の中に……という状態で。
政府から先生へ支払われるはずの給与も遅れ、悩んでいたサフダル校長から、「子どもたちに勉学の機会を与えてもらえないか」と請われて支援を始めました。マスードの願いであった「アフガニスタンの未来のために、子どもたちに教育を」という遺思に寄り添いたかったのです。
(山の学校の中学生たちと長倉さん)
長引く戦争で、全生徒の3分の1にあたる子どもが父親か母親を亡くしていると知ったときは言葉がありませんでした。でも彼らの前向きなエネルギーに、心の隙間が埋められていくのを感じました。
山の学校に通う子は皆、ヒンズークシの山並みをのぞむ集落で、同じ川の水を飲んで育った子たち。ペルシャ系のタジク族の子がほとんどの中で、モンゴル系のハザラ族の子がいたりするけれど、いじめを見たことがありません。そこには、生活感に満ちた故郷があります。「こんなところで勉強してみたい」と僕自身も思うくらい、居心地のいい場所です。
(『学校が大好きアクバルくん』(アリス館)より。まだ長い、
使い始めたばかりの鉛筆を握って一心に文字を書く)
■山の学校のこれから
――山の学校は今後どうなっていくのでしょうか。
今は戦時下で、パンシール渓谷にも無人爆撃機が飛んできて、先生も子どもたちも散り散りになり、この先どうなるかわかりません。僕ができることは、いつか子どもたちが学校に戻ったとき、支援ができるように準備をすることだと今は思っています。
ただ、タリバン支配下ではイスラム教科が中心になって、地理、英語、絵や音楽といった芸術の授業はなくなってしまうでしょう。
深刻なのは、女の子が上級学校に通うことも、外で働くこともできなくなることです。「父親や男兄弟が一緒でないと女性は外出してはいけない」とされた、一昔前のタリバン支配時代に逆戻りしています。主要な働き手である父をなくした家や、山の学校に通う優秀な女の子で「医者になりたい」「法律家になりたい」と夢を語っていた子たちがどうなるのか……。女性がスマートフォンを持つことへの禁止令も出ました。
故マスードの息子、アフマド・マスードが国内に留まり、民主的な選挙や話し合いを呼びかけましたが、タリバン側は応じていません。
アフガニスタンはアーリア系のパシュトゥーン族が約40%で、タリバンを構成する多くもパシュトゥーンです。しかし元々パシュトゥーンだけでなく、25~30%を占めるタジク、ハザラやウズベクなどの民族が共生する多民族国家なのです。少数派や女性への人権侵害が続けば、人は国外に流出し、国として痩せていく一方ではないでしょうか。
(コロナのため2年ぶりのアフガニスタン訪問。2021年、3年生になった
アクバルくんに絵本を手渡す長倉さん)
■写真絵本に小さな希望をのせて
――本には、女の先生が働く姿もありますね。いつか以前のような山の学校は戻ってくるのでしょうか。
この20年、山の学校に子どもたちを送り出していたお母さんたちは、おそらく自分が学校に行けなかったから、子どもは行かせてあげたいという思いの人が多かったと思います。タリバン支配が長く続くとは思いたくない。でも、山の学校で学んだ子たちは大人になったとき、きっと、自分の子に山の学校のことを話すに違いありません。「男女共学で、女の先生に教わったよ」「日本人も来たんだよ」と言ってくれるんじゃないかな。希望がつながっていくことを祈りたいと思います。
――日本の子どもたちに伝えたいことはありますか。
本を通して「アクバルくんが住んでいるアフガニスタンって、どんな国かな」「楽しそうだな」と感じてもらえたら。「この子、おもしろそう! 何をしてるの?」と興味を引かれれば、自然に、他国の子の存在感が、読んだ人の中に染み込むはず。グラフィックな写真が多くの人の感情を呼び起こし、アフガニスタンの現状への関心が広がることを願っています。
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