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●(アサヒコム)【好書好日/長倉洋海さんの写真絵本「学校が大好きアクバルくん」インタビュー 生活感に満ちたアフガニスタンを知って】

2022年01月01日 00時00分20秒 | Weblog

(20211205[])
アサヒコムの記事【好書好日/長倉洋海さんの写真絵本「学校が大好きアクバルくん」インタビュー 生活感に満ちたアフガニスタンを知って】(https://book.asahi.com/article/14465934)。

 《世界の紛争地で、人々の暮らしや素顔を撮り続けてきた写真家・長倉洋海さん。『学校が大好きアクバルくん』(アリス館)は、アフガニスタンの山の学校に通う小学1年生の男の子が主人公の写真絵本です。本が完成した2021年夏以降、アフガニスタンではイスラム主義勢力タリバンが権力を握り混乱が続いています。長倉さんに本書とアフガニスタンへの思いを伺いました。(文:大和田佳世、写真:本人提供)》

 《80年よりアフリカ、中東、中南米、東南アジアなど世界の紛争地を訪れ、そこに生きる人々を見つめてきた》長倉洋海さん。《写真展マスード 敗れざる魂」》――― 《83年にアフマド・シャー・マスードの存在を知って、彼に会うために何度も通うようになりました》。長倉洋海さんの写真で知ったマスード氏。その頃、アフガニスタンのことなど何も理解できていなかったが氏の名前と顔だけは記憶に残っている。《アフガニスタンではイスラム主義勢力タリバンが権力を握り混乱が続いて》おり、マスード氏のお名前も時折出てくる。当時のマスード氏の思い描いていたアフガニスタンと今の姿はどれほど乖離しているのだろうか。

   『●長倉洋海さん《フォトジャーナリズムの世界に不信感……
              道を閉ざしてしまうことのないように念じている》
    「長倉洋海さん、《ただ、この事件によって、「フォトジャーナリストを
     目指したい、そのような仕事をしたい」と願っている人たちが
     フォトジャーナリズムの世界に不信感を持ったり、将来への不安を
     覚え、道を閉ざしてしまうことのないように念じている》」

   『●「何が起きたのか、可能な限り説明することが私の責任」
             …その責任を果たしつつある安田純平さん
    「長倉洋海さんは《現場で経験し、たくさんの出会いがあって、
     「伝える人」として鍛え上げられていく現場でこそ、
     ジャーナリストは磨かれ、育っていくはずだ》と言います。さらに、
     《世界は広く、深く、驚きに満ちている。自分の狭い先入観や
     思い込みではなく、驚きや偏見を打ち破るものを見つけ伝えてほしい。
     そんな写真や文章はさまざまな形で発表することができる。
     …私はペンとカメラさえあれば、人の心を打つことはできる
     と信じている》」

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https://book.asahi.com/article/14465934

2021.10.25
長倉洋海さんの写真絵本「学校が大好きアクバルくん」インタビュー 生活感に満ちたアフガニスタンを知って

 世界の紛争地で、人々の暮らしや素顔を撮り続けてきた写真家・長倉洋海さん。『学校が大好きアクバルくん』(アリス館)は、アフガニスタンの山の学校に通う小学1年生の男の子が主人公の写真絵本です。本が完成した2021年夏以降、アフガニスタンではイスラム主義勢力タリバンが権力を握り混乱が続いています。長倉さんに本書とアフガニスタンへの思いを伺いました。(文:大和田佳世、写真:本人提供)


お話を聞いた⼈

長倉洋海 (ながくら・ひろみ)
写真家
1952年北海道釧路市生まれ。80年よりアフリカ、中東、中南米、東南アジアなど世界の紛争地を訪れ、そこに生きる人々を見つめてきた。アフガニスタンは同年から取材を続けている。写真集に『マスード 愛しの大地アフガン』(第十二回土門拳賞/新装版・河出書房新社)、『人間が好き―アマゾン先住民からの伝言』(産経児童出版文化賞/福音館書店)、『ザビット一家、家を建てる』(講談社出版文化賞写真賞/偕成社)など。


■一目で心惹かれたアクバルくん

――アフガニスタンの小学生アクバルくんの登校から下校までを映した写真絵本『学校が大好きアクバルくん』。勉強したり友達と遊んだり、仲良く一緒に下校したり……。そんな平和な風景は、タリバンが武力で国の権力を握った後、以前のものとなりつつあります。撮影は2019年だそうですが、アクバルくんを撮ろうと思ったのはなぜですか?

 表情がすごく魅力的だったんです。僕は20年近く、毎年のようにアフガニスタンの山の学校を訪れていますが、2019年春に入学したばかりの1年生のクラスで、教室の後ろの席に座っている男の子にぱっと目が吸い寄せられました。それがアクバルくんでした。

 最初はちょっとわんぱくで、きかん気が強くたくましい印象でしたけど、よく見ていると意外とシャイで繊細なところもあるんですね。初めてカメラのファインダーで彼をとらえたときは3Dみたいに画面から飛び出してきたように感じましたよ(笑)。「あっ」と一目で心を惹かれ、気づいたらたくさん撮っていたという感じです。

     (『学校が大好きアクバルくん』(アリス館)より。算数の授業中、
      先生の話をじっと聞いて質問に答えようとする)

――たしかに生き生きした表情から目が離せなくなりますね。

 授業中もころころ表情が変わるんですよね。先生の問いかけに、手をあげようかと迷ったり、思っていた答えで合っていたのか「あーあ、手をあげればよかった」という顔をしたり。そういう気持ちって、僕自身も子どもの頃に覚えがあるからよくわかる(笑)。

 アクバルくんは鉛筆が大好きで、いつも大事そうに持って歩いているんです。鉛筆をにぎって文字を書くときの真剣さや、ときどき友達と教室で取っ組み合いのケンカになっちゃう姿も楽しそうで「いいなあ」と思いました。休み時間は元気よく外で遊びます。友達に自分のコルチャ(ビスケット)をパッと半分差し出す仕草もいいんですよ。優しいなと思います。


■美しい渓谷の村で

――山の学校はアフガニスタンのどのあたりにあるのですか?

 北東部のパンシール(パンジシール)渓谷という地域です。首都カブールから車で2時間半くらい。峻険なヒンズークシ山脈(5000~7000メートル級)に120キロに渡って深く切れ込んだ大峡谷で、山からの雪解け水が流れる川の周辺に点在する村落に、約10万人が暮らしています。

 小学校があるのはパンシール川の支流、ポーランデ川沿いのポーランデ地区。標高2780メートルにあり、上下10ほどの集落から150人以上の子どもたちが通ってきています。春にはあんずやアーモンドの花が咲く美しいところです。

     (『学校が大好きアクバルくん』(アリス館)より。
      標高2780メートル、ポーランデ川沿いにある山の学校)

――雪が残る山肌の間を縫うように、通学路に子どもが集まってくる様子がわかります。

 アクバルくんの家は、学校から山の上のほうへ1時間くらい登ったところですが、彼のように上から来る子も、下の集落から登ってくる子もいますよ。子どもたちはみんな朝5時頃から水汲みや家畜の世話など、家の仕事をして、たいてい1時間以上かけて登校してきます。登校時間になると、どんどん合流してきてにぎやかですよ。

――男の子も女の子も仲良く一緒に過ごしているんですね。

 山の学校は、アフガニスタンでは珍しく、男女共学なんです。平らな土地が狭い山間で、教室をいくつも作る余裕がなかったことも関係あるかもしれません。でも村人たちは「男女共学はみんなで決めた。私たちの民主主義だ」と胸を張っていました。


■マスードを通じて見つめてきたアフガン

――長倉さんはいつ頃からアフガニスタンに通っているのですか?

 写真家としてアフガニスタンを取材したのは、通信社を退社しフリーになった1980年からです。83年にアフマド・シャー・マスードの存在を知って、彼に会うために何度も通うようになりました。

 マスードは、79年から当時のソ連がアフガニスタン北部に侵攻したとき、ソ連軍と戦い、最終的に撤退に追い込んだ、ゲリラ戦の指導者です。マスードは僕の1歳下。年長者を重んじる伝統的な部族社会で、29歳のマスードが部族をまとめ上げていると知ったときは驚きました。

     (ひとりの人間として長倉さんを魅了しつづけたアフガニスタン北部の
      指導者マスード(左)と。1990年撮影

――アフガニスタンの英雄と呼ばれたマスード司令官と、長倉さんは同世代だったのですね。

 指導者としてカリスマ性を持ち、精力的に働き、読書が好きで思慮深い。彼の人間性に魅せられ、取材を続けてきました。マスードというひとりの人間をとおして、アフガニスタンという国がどうなっていくのかを見つめたかったのです。しかしマスードは“9.11”(2001年9月11日に起きた、アメリカ同時多発テロ事件)の2日前に自爆テロで亡くなりました。

 マスードの死後は喪失感でいっぱいでした。一周忌の追悼イベントが終わり、共に長い時間を過ごした彼の故郷、パンシール渓谷を訪れてみようと思って、行ってみると、僕のことを村の人たちは覚えていて「オマール!」(アフガニスタンでの長倉さんの通称)と声をかけてくれました。

 その地区の小学校の校長は、かつてのマスードの部下で、「先生の免状を持っているなら、故郷で教育に力を尽くしなさい」とマスードに諭され教育現場に戻ったサフダル校長でした。


■同じ川の水に育まれた故郷

――小学校の様子はいかがでしたか。

 学校といっても、村人たちが積み上げた石で囲われ、屋根があるだけ。土壁もないし、扉も窓もない。床は土のままで、冬は雪が吹き込み、ある日は登校したら家畜が教室の中に……という状態で。

 政府から先生へ支払われるはずの給与も遅れ、悩んでいたサフダル校長から、「子どもたちに勉学の機会を与えてもらえないか」と請われて支援を始めました。マスードの願いであったアフガニスタンの未来のために、子どもたちに教育をという遺思に寄り添いたかったのです。

     (山の学校の中学生たちと長倉さん)

 長引く戦争で、全生徒の3分の1にあたる子どもが父親か母親を亡くしていると知ったときは言葉がありませんでした。でも彼らの前向きなエネルギーに、心の隙間が埋められていくのを感じました。

 山の学校に通う子は皆、ヒンズークシの山並みをのぞむ集落で、同じ川の水を飲んで育った子たち。ペルシャ系のタジク族の子がほとんどの中で、モンゴル系のハザラ族の子がいたりするけれど、いじめを見たことがありませんそこには、生活感に満ちた故郷があります。「こんなところで勉強してみたい」と僕自身も思うくらい、居心地のいい場所です。

(『学校が大好きアクバルくん』(アリス館)より。まだ長い、
      使い始めたばかりの鉛筆を握って一心に文字を書く)


■山の学校のこれから

――山の学校は今後どうなっていくのでしょうか。

 今は戦時下で、パンシール渓谷にも無人爆撃機が飛んできて、先生も子どもたちも散り散りになり、この先どうなるかわかりません。僕ができることは、いつか子どもたちが学校に戻ったとき、支援ができるように準備をすることだと今は思っています。

 ただ、タリバン支配下ではイスラム教科が中心になって、地理、英語、絵や音楽といった芸術の授業はなくなってしまうでしょう。

 深刻なのは、女の子が上級学校に通うことも、外で働くこともできなくなることです。「父親や男兄弟が一緒でないと女性は外出してはいけない」とされた、一昔前のタリバン支配時代に逆戻りしています。主要な働き手である父をなくした家や、山の学校に通う優秀な女の子で「医者になりたい」「法律家になりたい」と夢を語っていた子たちがどうなるのか……女性がスマートフォンを持つことへの禁止令も出ました

 故マスードの息子、アフマド・マスードが国内に留まり、民主的な選挙や話し合いを呼びかけましたが、タリバン側は応じていません

 アフガニスタンはアーリア系のパシュトゥーン族が約40%で、タリバンを構成する多くもパシュトゥーンです。しかし元々パシュトゥーンだけでなく、25~30%を占めるタジク、ハザラやウズベクなどの民族が共生する多民族国家なのです。少数派や女性への人権侵害が続けば、人は国外に流出し、国として痩せていく一方ではないでしょうか

    (コロナのため2年ぶりのアフガニスタン訪問。2021年、3年生になった
     アクバルくんに絵本を手渡す長倉さん)


■写真絵本に小さな希望をのせて

――本には、女の先生が働く姿もありますね。いつか以前のような山の学校は戻ってくるのでしょうか。

 この20年、山の学校に子どもたちを送り出していたお母さんたちは、おそらく自分が学校に行けなかったから、子どもは行かせてあげたいという思いの人が多かったと思います。タリバン支配が長く続くとは思いたくない。でも、山の学校で学んだ子たちは大人になったとき、きっと、自分の子に山の学校のことを話すに違いありません。「男女共学で、女の先生に教わったよ」「日本人も来たんだよと言ってくれるんじゃないかな希望がつながっていくことを祈りたいと思います

――日本の子どもたちに伝えたいことはありますか。

 本を通して「アクバルくんが住んでいるアフガニスタンって、どんな国かな」「楽しそうだな」と感じてもらえたら。「この子、おもしろそう! 何をしてるの?」と興味を引かれれば、自然に、他国の子の存在感が、読んだ人の中に染み込むはず。グラフィックな写真が多くの人の感情を呼び起こし、アフガニスタンの現状への関心が広がることを願っています。
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●長倉洋海さん《フォトジャーナリズムの世界に不信感……道を閉ざしてしまうことのないように念じている》

2019年02月17日 00時00分55秒 | Weblog

アサヒカメラの長倉洋海さんによる記事【広河隆一氏“性暴力”に写真家が直言 「カメラの前に立った人々の思いを踏みにじった」~フォトジャーナリストを目指す人へ~】(https://dot.asahi.com/dot/2019020800082.html)。

 《世界の紛争地で写真を撮り続けた写真家の長倉洋海氏が、同じフォトジャーナリストとしての立場でこの問題について提言する》。

 被害にあわれた皆さんに、雑誌を購読者として支えた責任があるとするならば、大変に申し訳ないと思います。

 最近の最もショッキングで、腸の煮えくり返る思いの大事件でした。大変に悍ましい事件です。雑誌について、何度も、本ブログでも取り上げてきました。3.11直後の報道など、多くの情報を得ていただけに、一人でも多くの人に知ってもらいたいという思いで、ブログで取り上げてきましたが、非常に大きな失望に変わりました。

 被害者の皆さんのサイドに立とうとしているようにはとても見えない週刊誌などの〝妙なハシャギぶり〟が、怒りにさらに輪をかけます。チェルノブイリやパレスティナ、福島などで活躍する国際的人権派とされていたジャーナリストの卑劣な犯罪がそんなに〝嬉しい〟のだろうか? そういった週刊誌の編集部や筆者達は、悪罵を投げつけることが出来るほどの、常に人権に配慮した、真剣な記事をこれまで書いてきたのか?

 『DAYS JAPAN』最終号の発行が延期になる、ということで編集部より書状を頂きました。発刊から年間契約をしていました。非常に大きな期待をしていただけに、休刊については大変に残念で仕方がありません。この事件が休刊のきっかけで無かったとしても、廃刊にせざるを得ないでしょう。編集部による最終号の発行を見守りたいです。
 日本では写真報道雑誌は、今後、出てくるのか…。スチルカメラよりも、動画による報道が主流になる中、『DAYS JAPAN』の写真とペンにはとても大きな期待をしていただけに、この国のフォトジャーナリズムの衰退が心配です。

 長倉洋海さん、《ただ、この事件によって、「フォトジャーナリストを目指したい、そのような仕事をしたい」と願っている人たちがフォトジャーナリズムの世界に不信感を持ったり、将来への不安を覚え、道を閉ざしてしまうことのないように念じている》。

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https://dot.asahi.com/dot/2019020800082.html

広河隆一氏“性暴力”に写真家が直言 「カメラの前に立った人々の思いを踏みにじった」
~フォトジャーナリストを目指す人へ~
長倉洋海 
2019.2.12 16:00 dot.#アサヒカメラ

     (広河隆一氏(c)朝日新聞社)
     (長倉洋海氏(写真/本人提供))

 フォトジャーナリストの広河隆一氏が月刊誌「DAYS JAPAN」編集部の女性スタッフに性的関係を強要したとされる問題。世界の紛争地で写真を撮り続けた写真家の長倉洋海氏が、同じフォトジャーナリストとしての立場でこの問題について提言する。

     【写真】フォトジャーナリスト・長倉洋海氏

*  *  *

 今回、広河隆一氏が引き起こした一連の問題について、写真で伝えることを仕事としている者として感じたことを記したい。

 昨年末に週刊誌「週刊文春」で7人の女性が広河氏を告発した。その記事内容に「そんなひどいことをしていたのか」と驚愕した。ただ、そのことについてコメントを求められることもなかったし、自分からしようとも思わなかった。その、ほぼ1カ月後の1月末、同じ週刊誌で別の女性からの告発記事が発表された。広河氏が海外取材に女性を連れていき2週間にわたる性的虐待を加えていたという内容だった。そのあまりのおぞましい内容がにわかには信じがたかったが、広河氏と彼の弁護士からいまだに反論がないということは、内容がほぼ真実だと判断していいだろう。


■自らのゆがんだ欲望に負けたのか

 当初は氏の資質の問題と考えていたが、事件は広がりを見せ、ジャーナリストとは何なのか、雑誌編集部や編集長はどうあるべきなのかということも含めて、私たちも問いを突きつけられている。世間では、フォトジャーナリスト、あるいはジャーナリストは表では正義を叫びながら、その裏で何をやっているかわからないという目も向けられているように感じる

 ただ、この事件によって、「フォトジャーナリストを目指したい、そのような仕事をしたい」と願っている人たちがフォトジャーナリズムの世界に不信感を持ったり、将来への不安を覚え、道を閉ざしてしまうことのないように念じている

 最初に言いたいのは、氏の行為は多くの人を傷つけたが、そればかりか、パレスチナやチェルノブイリ、福島などの地で、「この地の問題に光を当ててほしい」と願い、彼のカメラの前に立った人々の思いを踏みにじってもいる。さらには、「大手メディアが伝えない真実を伝える」という姿勢に共鳴し「DAYS JAPAN」の購読・寄付を続けた人々、そして、実際にフォトジャーナリズムに触れてみたいと集ってきた人々の思いをも裏切った

 今回の事件で、パレスチナ難民や被災者の人々へ、「その窮状は本当なのか」と疑いの目を向けられるかもしれないし、それまでの支援や関心が薄れていく可能性があることも考えれば、現地の人、取材に協力してくれた人に迷惑をかけてはいけないというジャーナリストの鉄則を自ら破ったことになる。経験が豊富にあるはずの氏がそこまで思いが至らなかったのだろうか。あるいは自らのゆがんだ欲望に負けてしまったのだろうか。

 そう言うと私が潔癖で正義感にあふれるジャーナリストに聞こえるかもしれないが、私はジャーナリストは普通の人間だと思っている。なかには犯罪に手を染める人がいても不思議ではないと思う。それなのに、ジャーナリストを正義の人に祭り上げるような傾向がある。


■取り返しのつかない地点まで…

 例えば、日本人フリージャーナリストの拉致と釈放の事件。広河氏は他のジャーナリストと「伝えるべきために行ったのだから自己責任とかのバッシングをするべきではない」と弁護する論陣を張り、記者会見も開いた。その行為に問題はなかったか、その行為は正当化されるのかと検証することなく、ジャーナリストをひとくくりにする姿勢に違和感を覚えた。弁護士や医師が犯罪を起こした時、「この人は人を守るべき職業の人だから」と医師会や弁護士会がかばうだろうか。ジャーナリストは名刺さえ作れば簡単になれる職業だ。資格審査も国家試験もない。だからこそ、一人一人の活動が是か非か見極める目も私たちには問われる

 2000年だったと思うが、東京都写真美術館で「写真」について語る講演会を行った。「いい写真を撮りたいという野心こそが、私を現場に向かわせる大きな力になる」と話すと、会場から手が挙がった。そちらを見ると後部座席に座った広河氏だった。「現地で起きていることを広く世界に伝えるために私は現場に向かっている」と言うのだった。私は先輩の言葉に恐縮し、「全ての写真家がそういうわけでなく、崇高な理念を持つ方もおられると思います」と釈明したのを覚えている。

 当然だが、ジャーナリストも時には過ちを犯す場合もある。そう言う私も、いや今に至るまで、失敗や反省の連続だ。しかし、愚かなりに、同じ間違いを繰り返さないようにと心に誓って前を向いて進んできた。しかし、氏が犯した行為は「失敗やミス」というレベルをはるかに超えて、取り返しのつかない地点まで行ってしまったように思える。


■世界最大のフォトジャーナリズム祭にて

 私が「世界の第一線で活躍できる報道カメラマン」を目指していた頃、中東問題について書かれた氏の書作に触れ、敬意をいだき尊敬もした。彼のもとを訪れ、話を聞かせてもらったこともある。

 通信社を辞めフリーランスになって2年目の1982年、レバノンの取材中だった私は虐殺から逃れてきたパレスチナ難民から事件のことを知り、現場に入った。氏より1日遅れの取材だった。帰国後、氏から写真展の話を持ちかけられ、渋谷や早稲田で写真展をしたり、雑誌のグラビアで一緒に虐殺報告をしたりしたこともある。現場を見た者として、これは伝えなければならないことだと強く思っていたからだ。ただ、広河氏の撮る記録写真と、私の目指す写真は違っていたから、それ以上、関係が深まることはなく時は流れた。

 時をおいて再会したのは2006年の南仏ペルピニャンでの国際フォトジャーナリズム祭でだった。21もの写真展が市内で開かれ、撮影者を招いてさまざまなイベントが行われる。ヨーロッパ各地から数十万の見学者、3千人ものカメラマンが集まる世界最大のフォトジャーナリズム祭だ。私は招待され、写真展「マスード 敗れざる魂」を開催した。17年、追い続けたアフガニスタン抵抗運動の指導者のストーリーだった。その機会を与えてくれた主催者のジャンフランソワ・ルロワ氏は、あちこちの会場に「DAYS JAPAN」を置き、ゲスト写真家に声をかけ、掲載の依頼をする広河氏を快く思っていないようだった。そう思われていた広河氏が数年後、写真祭の賞の審査員をしていることを知って驚いた。ルロワ氏は「資金難で来年からの開催が難しい」と話していたから、イベントスポンサーになることで発言力を強めていったのだろうかと思った。「DAYS JAPAN」の知名度を高めたり、誌面のために、作品を集めることは悪いことではない。ただ、そうして集めた作品の中に、氏は自らの作品をも同列に並べて発表することで自らの権威づけを行っていたように思う。

 もちろんそれも非難するに当たらないことだと思う。が、先週、毎日新聞に掲載された元「DAYS JAPAN」編集部に在籍した女性の手記を読んで、複雑な思いに駆られた。そこには編集部の壮絶で過酷な労働条件が記されており、そうしたスタッフの犠牲の上に南仏の写真祭へのイベントスポンサー費用や彼の写真集の費用が捻出されていたのかと思ったからだ。さらに、手記には、広河氏がスタッフを罵倒することで精神的に追い込み、意のままに操ろうとする情景も描かれている。悲しかったのは、彼女は肉体的にも精神的にも病んで、結局はジャーナリストになる夢を捨てざるを得なかったことだ。

 広河氏はフォトジャーナリズム講座を主催していた。その宣伝文の中に、「志を学ぶ」という科目があって不思議に思った。「志」は自らの内に湧き出るもの人から教えられるものではないと私は思っているからだ自分のさまざまな経験からジャーナリストとしての骨格が作られるはずで、その道を誰かに指し示してもらうことも指し示すこともできないはずだ。もし、人の指示で動くなら、その人のコピーになってしまうではないか。

 しかし、そういう私もそう気付くまでには随分と時間がかかったたくさんの失敗と経験を重ね、やっと自分の写真の道が見えてくるようになった。世の矛盾に怒りを感じ、それを正したいと願う若者。まだ経験が少なく見える世界が限られた若者たちは、正義を実践する広河氏に自らのヒーロー像を重ね合わせたのかもしれない。そのように集まってきた聴講生やボランティアに対し、羽ばたく手助けをするよりも、氏は自らの欲望の対象と見てきたのだろうか。雑誌と自らを権威づけることで人を集め、自分の欲望を満たそうとしてきたのかもしれない。 


■現場でこそ、磨かれる

 ャーナリストは自らが権威を作り上げたり、その中で独裁を敷くのではなく権力者が唱える口触りのいい正義や民主主義の裏にあるものを暴くことこそ、その真骨頂なのではないだろうか。そして、作り上げた権威に寄りかかるのではなく、伝えたい本当のことを世に問い、それで評価されるべきものだと思う。

 いま起きていることを伝えるのも大切だが、大手メディアではなくフリーだからこそできることを考えなければ、発表の場は狭まっていく。ジャーナリストの道を歩んでいる人には、たくさんの情報やニュースの中に紛れ込んでしまうものではない写真や文章を目指してほしい。群れるのではなく、時には孤高を恐れず、自らの道を進んでほしいと願うメディアや権威を一方的に信じるのでなく、自らの目と自らが磨いた感性で確かめながら歩んでほしいと願う

 私は最初から正義感や自らを犠牲にして報道に殉じる覚悟を持っている人は少ないと思う、いやほとんどいないと言っていいかもしれない。が、現場で経験し、たくさんの出会いがあって、「伝える人」として鍛え上げられていく現場でこそ、ジャーナリストは磨かれ、育っていくはずだ

 世界は広く、深く、驚きに満ちている。自分の狭い先入観や思い込みではなく、驚きや偏見を打ち破るものを見つけ伝えてほしい。そんな写真や文章はさまざまな形で発表することができる。一権力者が扉を閉ざそうと、写真が人の心を打つものであれば、道は必ず開ける私はペンとカメラさえあれば、人の心を打つことはできると信じている見た人が感動で身が震えるような、心の深いところがじんわりと満たされていくような素晴らしい写真を世界は待っている

(文/長倉洋海

※「アサヒカメラ」オンライン限定記事
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