Activated Sludge ブログ ~日々読学~

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●アベ様独裁下の《黙って見過ごすわけにはいかない日本の問題》があまりに多すぎる…躾けられてはいけない

2019年04月19日 00時00分15秒 | Weblog

[※ 『国民のしつけ方』(斎藤貴男著、インターナショナル新書010)…《それは調査報道…「番犬(ウォッチ・ドッグ)」としての役割》↑]



日刊ゲンダイの書評【週末オススメ本ミシュラン/「ハッキリ言わせていただきます!」前川喜平谷口真由美著/集英社】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/250857)。

 《…選者・佐高信》。

   『●自公支持者を「嗤う」、あれで「採決」「可決」!?:
        自公支持者も「听う」ことが出来なくなる日は近い
    《全日本おばちゃん党の谷口真由美氏は民意の視点から
     「これを契機に日本人は口うるさい有権者にならないといけない」と語った》

 本のサブタイトルは「黙って見過ごすわけにはいかない日本の問題」。表紙の帯には、「政治、教育、社会…おかしなことが多すぎませんか? 大阪のおばちゃんと奈良のおっちゃんが激アツトークでツッコミ入れます!」。

 山口敬之氏が反訴したそうだ。神経を疑う。最「低」裁を頂点とした司法も頼れず…。警察や検察がアベ様に忖度したように、司法も、今回も正しく「司法判断」することなく、何時もの「政治判断」だろうか。絶望的な国。

 レイプ事件に加えて、前川喜平さんのアベ様やアメリカ政府、トランプ氏への視点、「1/4と2/4」の人々は共有しているのだろうか? そして、壊憲。

   『●「ト」な自民党改憲草案の押し付け…
     押し付けられた「押し付け憲法論は、賢明なる先人に対する冒涜」
   『●壊憲…「緊急事態という口実で、憲法が破壊される恐れが…
                 ヒトラーは非常事態を乱用して独裁を築いた」
   『●争点は「壊憲」: 「ト」な自民党改憲草案は
       「国民主権の縮小、戦争放棄の放棄、基本的人権の制限」
   『●「ト」な新三原則「国民主権の縮小」「戦争放棄の放棄」
           「基本的人権の制限」…壊憲して本当にいいの?

 「ト」な新三原則。《何を変えてはいけないか》の判断はとても容易だ。「ト」な自民党壊憲草案の「新たな三原則」…国民主権の縮小」「戦争放棄の放棄」「基本的人権の制限である。この三点の《変えるか、変えてはいけないか》の判断は自明だ。日本は、十分に《歴史に学んだ》はずではないか。加えて、緊急事態条項追加をしたいニッポンの腐った政権・与党、日本会議に代表されるアベ様信者や支持者…、彼・彼女らに絶対に変えさせてはならないし、壊憲させてはならないはずだ。

 「1/4の自公お維キト支持者2/4の選挙にも行かない眠り猫な有権者」の皆さん、このままでいいのですか? 「1/4と2/4」のままでは、何も変わらない。アベ様に「しつけ」られてはいけない。「1/4と2/4」の皆さんに、如何に選挙に足を運んでもらい、野党候補者に投票してもらうか…アベ様独裁から解放される道はそこにしかない。

   『●1/4の支持者と2/4の眠り猫な皆さんが作りだす…
          《弁舌で聴衆を引きつける能力がない》アベ様独裁

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https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/250857

週末オススメ本ミシュラン
「ハッキリ言わせていただきます!」前川喜平谷口真由美著/集英社
2019/03/31 06:00

 「いい学校」から「いい会社」へのレールに乗って、いわゆる一流銀行に入ったのに、1年でやめた人のことが忘れられない。彼は母親に1週間も泣かれたという。その後、司法試験を受けて弁護士になるのだが、封建的な日本の企業に勤めていたからだろうか、改めて開いた日本国憲法の一条一条がとても新鮮に映ったと語っていた。

 この本は、その憲法をわかりやすく、そして身近な例で説く谷口と、この国の最後の希望の星のような元文部科学事務次官、前川のハッキリ対談である。

 TBSワシントン支局長だった山口敬之がジャーナリスト志望の女性をレイプした事件について、「あれはひどい」と怒る前川は「総理の友達で、総理をヨイショする本を書いている人間だからって、犯罪も見逃されちゃうのはおかしいと指弾し、さらに「それを、官邸官僚だった警察官僚が命じたわけですね。中村格という警視庁の刑事部長をやって、もともと菅義偉内閣官房長官の秘書官だった男ですね。それが、レイプ犯を逮捕するなと命令を出した。それだけじゃなくて、検察も起訴しませんでしたからね」と憤る。

 退官して言いたいことを言えるようになった前川は、アメリカについてもズバリと言う。

私はアメリカという国をもともとあまり信用していませんトンキン湾事件ベトナム戦争を始めたり、大量破壊兵器があると言ってイラク戦争を始めたり。嘘から戦争を始めた国でしょう。日本は74年間戦争をしてないけどアメリカってあちこちで戦争をして、あちこちの国の主権を侵害し、武力介入なんかやりたい放題やっている。そういう国と同盟関係にあるわけで、それはきわめて危険な国と同盟を結んでいるんだという自覚を持たなきゃいけないと思うんですね」

 この国の首相はアメリカの大統領のトランプと親しいことを自慢するが、それは逆に恥ずべきことではないのか。

 前川は、広島の弁護士の楾大樹が書いた「檻の中のライオン」(かもがわ出版)をすすめる。放っておくと暴れるライオンの国家権力を憲法という檻が制御するのである。とりわけトランプにはライオンの比喩はぴったりだろう。それに卑屈なライオンの安倍晋三がくっついている。自民党の改憲草案にある緊急事態条項は、ライオンに檻を内側から開けられる鍵を渡すようなものだという説明は、まさにその通りだろう。

★★半(選者・佐高信


ハッキリ言わせていただきます! 黙って見過ごすわけにはいかない日本の問題
前川 喜平/谷口 真由美 集英社 2019年02月05日
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●沖縄と報道カメラマン・石川文洋さん

2013年01月26日 00時00分05秒 | Weblog


魚住昭さんの『魚の目』(http://uonome.jp/)に出ていた記事(http://uonome.jp/article/uozumi-wakimichi/2630)。

 沖縄出身の「伝説の」報道カメラマン・石川文洋さんについての、魚住昭さんによる記事。衆院選でもほとんど話題にならず、争点にならない沖縄。米国侵略によるベトナム戦争取材で著名な石川さん、今も続く米軍基地問題、どう感じておられるのだろう? いまに始まったことではないが、米兵の犯罪やオスプレイヘリパッド問題・・・・・・。

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http://uonome.jp/article/uozumi-wakimichi/2630

わき道をゆくその7 県民大会行きのバス
2012 年 11 月 28 日 
魚住 昭

 石川文洋さん(七十四歳)は伝説の報道カメラマンである。
 1964年4月、二十六歳で世界一周無銭旅行を計画して沖縄からオランダ船にタダで乗せてもらい、香港に渡った。所持金は27ドルしかなかったが、以前、勤めた「毎日映画社」で覚えたムービーカメラの撮影技術を買われ、香港の写真スタジオに雇われた。
 その年8月、トンキン湾事件で米軍が北ベトナムを爆撃した。その反響を取材するためドイツテレビの仕事でサイゴンへ。これをきっかけにベトナムに4年も滞在することになる。彼がベトナムやカンボジアの激戦地などを駆けめぐって撮った写真の数々は、戦争の悲惨さと生命の躍動感を私たちの心に深く刻み込んだ。
 その石川さんが沖縄北部のやんばるにやってきた。 “オスプレイパッド”(着陸帯)建設阻止の座り込み現場を取材するためだ。
 小柄で銀髪。一刀彫の円空仏を思わせる、切れ長の大きな目。そして赤く日焼けした顔。首からオートフォーカスのカメラ(「キャノンの一番安いやつ」で4万円台だそうだ)をぶら下げている。
「今は長野に住んでるけど、私も沖縄出身だから」と言いながら、座り込みテントの空気に溶け込んでいく。迷惑をかけぬよう絶えず気配りしながら質問し、メモを取り、カメラのシャッターを切る。
 誰とでも親しくなって雰囲気を和ませ、取材を終えると「じゃ、これで失礼します」と言って飄々と去っていく。

 翌朝、思わぬところでまた石川さんに会った。那覇のバスターミナルだ。この日「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」が海浜公園(宜野湾市)で開かれる。彼は会場行きの無料乗車券を手にしていた。2日前の琉球新報や沖縄タイムスに掲載されたものだ。それを切り取って運転手に見せると、バス代がタダになる。
「無料券を持ってるんですか。いいなあ。僕は手に入らなくて」
 私が言うと、傍らの中年女性が、
「あら、その切符1枚で2人まで乗れるんですよ」
 と、親切に教えてくれた。私は石川さんの無料券のお世話になることにした。伝説のカメラマンと県民大会へ向かう、そんな機会に巡り会えたことに感謝しながら。
 車内はほぼ満席。私は最後部窓際の石川さんの隣りに 座った。
「沖縄のどちらのお生まれなんですか?」
 発車して間もなく彼に尋ねた。
「(那覇の)首里なんです。でも、五歳の時の1942年に大阪に出て、間もなく東京に移りました」
「それは、お父さんの仕事の関係か何かで?」
「父は沖縄の歴史小説や沖縄芝居の脚本を書いていましてね。それで(本土で)一旗揚げようとしたんですが、揚げられなかった」
 1942年と言えば、県民の5分の1以上にあたる12万2千人余が亡くなった沖縄戦の3年前だ。
「そうですか。でも、おかげで命拾いされましたね」
 私は当然「はい」という返事を予想していた。だが、彼は一瞬間を置いてぽつりと言った。 
「沖縄戦のときに(沖縄に)いなかったという引け目をずっと、今も持っ てるんです」
 ドキッとした。不用意に彼の心の深い襞に触れてしまったと思ったからだ。そこでごめんなさいと謝ればいいのに、私はまた軽はずみな言葉を口にした。
「ああ!その引け目が石川さんを戦場取材に駆り立てたんですか」
 彼はその問いにはたしかイエスともノーとも答えなかったと思う。私の記憶に残っているのは次のような彼の言葉である。
「沖縄から遠く離れれば離れるほど、沖縄を思う気持ちが強くなるんです。だから沖縄に帰ってきたら、こうやってバスに乗るのが好き。だって乗客はみんなウチナーンチュでしょう。そのなかにいると、何だかホッとするんです」
 石川さんは私の軽薄な言動を責めるでもなく、無視するでもなく、穏やかな言い方で大事なことを教えてく れた。それは、人の痛みをわがことのように感じる「肝苦(ちむぐり)さ」の感情と、それによって作られる沖縄の人々の強烈な一体感である。
 この一体感は琉球王朝の昔から培われてきたものだ。薩摩藩による琉球侵攻、明治12年の琉球処分、沖縄戦後の米軍占領支配を経ても、それは変わらなかった。
「祖国復帰」から40年たった今も、沖縄は在日米軍基地の74%を押しつけられたまま空飛ぶ恥オスプレイを強行配備されようとしている。そんな不平等で危うい状況が沖縄の「肝苦さ」を極限に追いつめ、日米両国への不信感となって噴出しつつある。

 バスは約30分で会場に着いた。運転手は無料券をろくに確認しようとせず、ゾロゾロと降りていく客たちにニコニコ顔で「いってらっ しゃい」と声をかける。その光景がいかにも沖縄らしい。
 石川さんは「聞きました?運転手さんが『いってらっしゃい』だって。ふふ」と仄かに笑う。
 広大な海浜公園は、炎天下にかかわらず10万1千人(主催者発表)の人波で埋め尽くされた。
 石川さんと別れてあちこち歩いていたら、東京新聞の半田滋記者(五十七歳)に出くわした。防衛省詰め二十年、おそらく日本で一番軍事に詳しい記者だろう。
「これだけ多くの人が反対しても欠陥機を配備するのか」
 と、聞いたら、彼が言った。
「ウン。岩国の試験飛行で安全性を見せつけてから普天間に飛んでくる。それは(米海兵隊の存亡がかかった)賭けだよね。でもサイコロ賭博で絶対に出ない目なんてないじゃない。必ずいつかオスプレイは事故を起こす
 海浜公園に近い普天間周辺の住宅地にオスプレイが墜ちる不吉な映像が頭をよぎる。2日前に会った琉球新報の若い記者は「僕らはオスプレイで死の危険に曝される。だから毎日必死で(反対の)記事を書いている」と言っていた。
 編集局幹部は「このままだと米軍基地全体が敵意に囲まれ不安定化する。基地への電気・水道の供給を止めようという話も聞くが、敵意がどんな形で噴き出すか予測できない」と真顔で憂いていた。
 沖縄はこれからどこへ向かうのだろうか。会場から見上げる青い空には、人々の肝苦さが満ちているような気がした。(了)

(編集者注・これは週刊現代連載「わき道をゆく」の再録です)
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