[↑ ※袴田事件《捜査機関による証拠捏造》…《第三者は捜査機関の者である可能性が極めて高いと思われる》(『報道特集』、2023年03月18日[土])] (2023年11月05日[日])
《捜査機関による証拠捏造》…《いまも、死刑囚のまま》から脱却させないニッポンの司法。 再審裁判でも《裁判官が“デッチ上げ”と見ている証拠》をまたしても持ち出す気か? どこまで非道なのか。
《日本の司法は中世なみ》《日本の前時代的な刑事司法制度》の例ではないか。《残酷で異常な出来事と欧米などでは受け止められている》、《日本でも放置し続けてきた再審法を整備すべきときが来ている。法務・検察はそのことも自覚すべきである》(東京新聞社説)。何十年にも渡って無実の袴田巌さんを牢屋につなぎ、しかも証拠が捏造されていたとまで裁判所が指摘。再審裁判で、「有罪」を主張するのはいったいどういう神経か? 《いまも、死刑囚のまま》な袴田巖さん、一体どこまで人権侵害すれば気が済むのか。(東京新聞社説)《無実の訴えから半世紀。日本の刑事司法の異様さをも表している。すでに87歳の高齢。残る人生と名誉をこれ以上、検察は奪ってはいけない》。
『●袴田冤罪事件…小泉龍司法相《「法律に不備はない」と言い放つ…果たして
人の心はあるのだろうか。耐えがたいほど正義に反する日々は…続く》』
西田直晃記者による、東京新聞の記事【こちら特報部/袴田巌さんが獄中でつづった書簡に記した「世界最強のチャンピオン」 長期の拘束はどう精神をむしばんだのか】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/286458?rct=tokuhou)。《1966年の強盗殺人事件で死刑が確定した元プロボクサー袴田巌さん(87)に対し、27日に開かれた再審初公判。無罪の扉を開く法廷がようやく始まったが、48年間の身柄拘束で心神喪失状態となった本人の姿はなかった。今も元気だったら、どんな言葉を発していたのか。獄中書簡や証言により、拘禁症状が袴田さんから奪ったものを考えた。(西田直晃)》。
琉球新報のコラム【<金口木舌>かなわなかった普通の人生】(https://ryukyushimpo.jp/newspaper/entry-2425585.html)。《2014年の釈放まで約48年間も拘置された死刑囚の袴田巌さん。強盗殺人容疑で逮捕された30歳のプロボクサーは87歳に。高裁で捜査機関の証拠捏造(ねつぞう)が指摘され、再審公判が先週始まった ▼長年の拘禁で心神喪失状態にある。初公判は90歳の姉ひで子さんが出廷し「真の自由」を訴えた。来春結審し、無罪となる公算だ。交流した人の中に強盗殺人の布川事件の桜井昌司さんと杉山卓男さんもいた》。
『●《いまも、死刑囚のまま》な袴田巖さん、再審開始決定…せめて
《一刻も早く「無罪」とすべく、検察は不服を唱えるべきではない》』
『●袴田巖さん、袴田秀子さん ――― 《捜査機関による証拠捏造》とまで
言われているのだ、検察側が特別抗告を断念するのも、当然の結果だろう』
『●袴田冤罪事件: 《「…第三者がみそ漬けにした可能性がある」》《捜査
機関による証拠捏造》《犯行着衣について捜査機関の捏造とまで…》』
『●<コラム 筆洗>《高裁は捜査機関による証拠捏造の可能性まで踏み
込んでいる…袴田さんをただ犯人にしたいという卑劣なトリックだろう》』
『●袴田冤罪事件…袴田巖さんや袴田秀子さんらの人生をめちゃめちゃ
にした《捜査機関による証拠捏造》に対して責任ある対応が求められる』
『●事件から五十七年。無実を訴え続けても、なぜこんなに歳月を費やしたのか。
刑事訴訟法の再審規定(再審法)が大きな欠陥を抱えつつ放置されているからだ』
『●袴田冤罪事件…袴田巖さんや袴田秀子さんらの人生をめちゃめちゃに
した《捜査機関による証拠捏造》に対して責任ある対応が求められる』
『●《捜査機関による証拠捏造》…無罪判決を勝ち取り《いまも、死刑囚の
まま》から脱却できても、「拘禁反応」に苦しめられ続ける袴田巖さん』
『●袴田事件…《検察は…「色合いなどもう1度、調べる」とする動きがある
…裁判官が“デッチ上げ”と見ている証拠から何を引き出そうというのか》』
『●大谷昭宏さん《袴田事件で審理の引き延ばしを図る検察に、陰湿、陰険、
姑息、傲慢…などと書いて、一瞬、書きすぎ? と思ったのだが…》』
『●袴田冤罪事件…小泉龍司法相《「法律に不備はない」と言い放つ…果たして
人の心はあるのだろうか。耐えがたいほど正義に反する日々は…続く》』
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【https://ryukyushimpo.jp/newspaper/entry-2425585.html】
<金口木舌>かなわなかった普通の人生
公開日時 2023年10月30日 05:00
更新日時 2023年10月29日 15:01
57年前の逮捕後、獄中から気丈な書簡を送っていた。次第に「私の生を支えるものは憎悪に成った」と書くように。死刑確定後、心は一層むしばまれた
▼2014年の釈放まで約48年間も拘置された死刑囚の袴田巌さん。強盗殺人容疑で逮捕された30歳のプロボクサーは87歳に。高裁で捜査機関の証拠捏造(ねつぞう)が指摘され、再審公判が先週始まった
▼長年の拘禁で心神喪失状態にある。初公判は90歳の姉ひで子さんが出廷し「真の自由」を訴えた。来春結審し、無罪となる公算だ。交流した人の中に強盗殺人の布川事件の桜井昌司さんと杉山卓男さんもいた
▼2人は無期懲役で獄中に29年、仮出所して再審無罪。「普通のおじさん」になろうと奔走した歳月はドキュメンタリー映画「ショージとタカオ」(井手洋子監督)に詳しい
▼杉山さんは8年前に亡くなり、今年8月、桜井さんと井手監督が鬼籍に入った。冤罪(えんざい)を起こしてはならない。再審法の改正が待たれる。杉山さんや桜井さんらが残した人間の笑い泣き、そして袴田さんの思いを見逃すまい。
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/286458?rct=tokuhou】
袴田巌さんが獄中でつづった書簡に記した「世界最強のチャンピオン」 長期の拘束はどう精神をむしばんだのか
2023年10月28日 12時00分
1966年の強盗殺人事件で死刑が確定した元プロボクサー袴田巌さん(87)に対し、27日に開かれた再審初公判。無罪の扉を開く法廷がようやく始まったが、48年間の身柄拘束で心神喪失状態となった本人の姿はなかった。今も元気だったら、どんな言葉を発していたのか。獄中書簡や証言により、拘禁症状が袴田さんから奪ったものを考えた。(西田直晃)
◆「人間らしさと誠実さがにじんでいた」メッセージ
(支援者と一緒に日課のドライブへ向かう袴田巌さん㊨)
〈お母さんへ 私はこの事件となんの関係もないのだから、お母さんは自信を持って堂々と来て下さい〉
〈憎い奴は、僕を正常でない状態にして、犯人に作り上げようとした奴です〉
「主よ、いつまでですか —無実の死刑囚・袴田巌獄中書簡—」(1992年、新教出版社)に収録された手紙は逮捕翌年の67年、母に宛てたものから始まる。「無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会」(東京)のメンバーが約5000枚のハガキや日記などから選別し、出版。人格面から無罪を証明する新証拠として、第1次再審請求審(81〜2008年)で静岡地裁に提出された。
当時、編集に携わった救う会副代表の門間幸枝さん(82)は「家族へのメッセージに人間らしさと誠実さがにじんでいた」と回想する。この時期は無罪判決に望みを持ち、行く末を楽観視している様子も見て取れる。事件の1年2カ月後にみそタンクで見つかり、犯行着衣とされた衣類にも言及し、当時から「捏造(ねつぞう)」の疑いに触れていた。
〈私は、裁判所には無罪がわかって頂けると信じています〉
〈あの血染めの着衣が絶対に僕のものではないという証拠は、ネームがないことです。僕の着物はクリーニング屋に出すので『ハカマタ』と入っています。(中略)真犯人が動き出した証拠です。これでますます有利になりました〉
「警察の取り調べで拷問された袴田さんは、裁判所では真実が明らかになると信じていたようだ」と推察する門間さん。だが、68年に静岡地裁が死刑を宣告。その2カ月後には最愛の母が亡くなった。
最高裁での死刑確定(80年)までの文面には、死刑への恐怖に揺れる胸の内がにじむ。
(2018年、袴田さんの支援活動で記者会見する
門間幸枝さん(左)、袴田ひで子さんら=東京・霞が関で)
〈そして沈んだ灰色に汚れた白壁と、染みだらけの部屋には、何か死の匂いに近いものすら感じます〉
〈さて、私も冤罪(えんざい)ながら死刑囚。全身にしみわたって来る悲しみに耐えつつ、生きなければならない。そして死刑執行という未知のものに対するはてしない恐怖が、私の心をたとえようもなく冷たくする時がある。(中略)自分の五感さえ信じられないほどの恐ろしい瞬間があるのだ。しかし、私は勝つのだ〉
肉親を失った悲しみを振り返る場面でも、精神的な動揺がうかがえる。
〈昭和四三年母からの便りが突然途絶えた。私はこの時自分の人生で最も悲しい時が迫るのを感じ、体中一気に凍るような衝撃を受けた。(中略)全てを呪いたい狂暴(きょうぼう)な気持ちの中で、また次第に絶望状況に陥ったものであった。その頃、獄中で両親の死を知った〉
〈死刑そのものが怖いのではなく、怖いと恐怖する心がたまらなく恐ろしい〉
死刑確定後、次第に文面が長くなり、内省的、哲学的な表現が多くなる。「悪魔」という単語も現れた。
〈ドアに付いた染みが死を意味したり、壁の色が何か異様にみえて人間の姿に固まり、(中略)本当に悪魔が鍵孔(かぎあな)を操っているとしか思えない〉
〈調室の壁に絵がかけられていた。(中略)気がつくと私の顔を悪魔がのぞいていた。戦りつを覚えて手の平で顔をおおった。私は人類が逆に滅びるのだとその時思った〉
(静岡市でチラシを配布するなどして袴田巌さんの
無罪を訴える支援者たち)
一方で「神」「愛」といった言葉が増えていった。81年に姉ひで子さん(90)宛ての手紙でキリスト教への帰依を伝え、84年暮れに洗礼を受けている。カトリック信徒の門間さんは「獄中で深く聖書を読み込んだのは、信仰によって恐怖を乗り越えようとしたのだろう」と話す。
ボクサーだった過去も支えになっていた。こう日記にしたためている。
〈房に帰って腕立て伏せ百回。シャドーボクシングを用いて、全身の筋肉をほぐす。一五分間。(中略)もし、人生から愛を根こそぎ取り去ったら、生きるに値する何ものも残らぬ〉
書簡集は、殺人罪で20年近く投獄され、後に無罪となった「ハリケーン」こと、米国の元ボクサー、ルビン・カーター氏に宛てた89年の手紙で終わる。「闘いと心の支えである国際的な同志」にこう伝えていた。
〈今、私は無実を晴らす闘いの世界最強のチャンピオンになることを願っています〉
門間さんは言う。「逮捕後の袴田さんは、一度も声を出して心から笑えていないはずだ。叫ぶこと、笑うことができず、書くことしかできなかった。今は重い拘禁症状があるが、思いは書簡に詰まっている」
◇ ◇
◆「恐怖や絶望から、袴田さんの意識は虚構と現実が入れ替わってしまった」
長期の身柄拘束は、袴田さんの精神状態にどんな影響を及ぼしたのか。
姉ひで子さんが異変を感じ始めたのは、1980年12月に死刑が確定してから。拘置所に移って2、3カ月たったころ、面会で「昨日処刑があった。隣の人だった」と明かされた。このころから「毒殺される」「電波を出すやつがいる」などと漏らすようになった。90年ごろになると、支援者や弁護士の面会を拒否するように。92年以降はひで子さんも年数回しか面会ができなくなり、95年以降、途絶えた。
「99年1月にひで子さんと東京拘置所で面会を求めたが、ダメだった。拘置所に様子を聞くと、房の中をぐるぐる回っているという説明だった」と話すのは当時、衆院議員だった保坂展人・世田谷区長。2002年11月の衆院法務委員会で「心神喪失の状態にあるときは法務大臣の命令で執行停止とある。この状態を放置することはできないのでは」と質問した。
(袴田巌さんの再審初公判が開かれた静岡地裁の
法廷(代表撮影))
森山真弓法相(当時)は「少し常軌を逸し始めた精神状態なのかもしれない。拘置所のほうで症状を見て判断してほしい」と答弁した。「大臣がここまで言ったことで、刑の執行は実質できなくなった」と保坂氏は振り返る。
保坂氏は翌年3月、ひで子さんらと約30分間面会したが、袴田さんは「袴田巌はもういない。全能の神である自分が吸収した」。再審請求の話題を投げ掛けたが、自身が「東京国家調査所の所長」で「東京拘置所はなくなった。死刑執行をできないようにした」と答えたという。
1994年の静岡地裁の再審棄却の決定文書を読んでからは、裁判関係書類の差し入れを拒否するように。その後も思うように面会できず、拘禁症状は改善しなかった。だが法務省は、2011〜12年に法相を務めた元衆院議員の平岡秀夫弁護士が健康状態について報告させた際、「問題はない」と答えたという。
保坂氏は「死刑執行の恐怖や再審が実現しない絶望から、袴田さんの意識は虚構と現実が入れ替わってしまった。釈放されて9年たっても、法廷に立って『やっていない』と自分の言葉で言えない状態に精神が縛られていることがどんなにむごいことか。法務省、検察庁はどこまで認識しているのか」と指摘し、一日も早い判決を求める。(山田祐一郎)
◆デスクメモ
普通、初公判で焦点となるのは、身柄を拘束されていた被告が初めて公の場で話す認否などだ。だが今回は袴田さん側の無罪主張は明らかで、むしろ検察が有罪立証をどう続けるのか、どれだけ時間をかけるのかが注目されている。主客逆転。裁かれているのは検察側かもしれない。(本)
【関連記事】「冤罪ごり押し…恐ろしい」検察に吹き荒れる逆風 袴田さん再審で有罪立証するのは結局「メンツ」のため?
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【関連記事】袴田巌さんを釈放した元裁判長、本紙に語った再審制度の課題「検察官も苦しいはず」
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魚の目の記事(http://uonome.jp/read/1364)。布川事件の記録映画に関する記事が出ていましたので、一部をコピペ。原典にて、全文をお読みください。
冤罪で30年近くも囚われの身となり、全く酷い話である。警察や検察だけでなく、裁判官のいい加減さが問題ではないか?
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【http://uonome.jp/read/1364】
映画「ジョージとタカオ」を観て 刑事司法の病理を体現するふたりの中年男
一九六七年に茨城県利根町で起きた布川事件と呼ばれる強盗殺人事件がある。その犯人とされ、冤罪を訴え続ける、桜井昌司(ショージ)と杉山卓男(タカオ)の二人を追った「ショージとタカオ」という記録映画がある。ある日突然、誰の人生にも降りかかってくるかもしれない冤罪。この映画はその事件と裁判の経過を詳細にたどる類の堅苦しいものではない。時間が一五八分だが、長さを感じさせない。それは彼ら二人が失った時間を取り戻そうと、前向きに生きてゆこうとする映画だからだ。人生は後ろには進まず、前にしか進まない。そんな前向きな印象をこの映画は与えてくれる。
彼らが再審請求を求め、冤罪を訴えながら仮出所したのが一九九六年一一月。その仮出所の瞬間からカメラはとらえている。タカオは、すでに五十路になって頭の毛が薄くなっているが、その眼の輝きと、表情の幼さに二十歳前後の青年のような印象を受けた。それもそのはず、彼らが別件逮捕されたのが、一九六七年一〇月。ショージとタカオは、脛に傷を持つ茨城県の二〇代の不良少年だった。彼らが警察に狙われ、「自白しないと死刑になる」と密室で取調べに当たった警察から脅された。裁判で、彼らの自白が重要な証拠となっていた。その逮捕から約二九年間牢獄に入れられた。
・・・・・・・。
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・・・・・・・・・そして、・・・・・・
・・・・・・Aasahi.comの記事、再審無罪!! すごいことです!!
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【http://www.asahi.com/national/update/0524/TKY201105240269.html】
布川事件、再審無罪 発生から44年 水戸地裁土浦支部
2011年5月24日13時43分
1967年8月に茨城県利根町布川(ふかわ)で起きた強盗殺人事件「布川事件」の裁判をやり直す再審の判決公判が24日午後、水戸地裁土浦支部であった。神田大助裁判長は、強盗殺人罪で無期懲役が確定後、96年に仮釈放された元被告2人に無罪を言い渡した。検察側は無期懲役を求刑していた。
検察側は控訴を見送る方針を固めており、事件から44年近くを経て2人の無罪が確定する見込み。戦後に起きた重大事件で、死刑または無期懲役が確定後、再審で無罪となるのは7、8人目となる。
元被告は桜井昌司さん(64)と杉山卓男さん(64)。大工の男性(当時62)を殺害し現金10万円余を奪ったなどとして起訴された。物証はなく、2人を犯行に直接結びつける証拠は取り調べ段階の自白と「現場近くで2人を見た」とする目撃証言に限られた。2人は法廷で否認を貫いたが、一、二審で有罪となり、78年に最高裁が自白の信用性を認めて無期懲役が確定した。
2001年から始まった2回目の再審請求審で、捜査資料を検討した弁護側は「殺害方法が自白と異なる」という鑑定書などを新たに提出。水戸地裁土浦支部は05年、「鑑定書が確定審の審理中に提出されていれば有罪認定に合理的疑いが生じた」と述べ、再審開始の決定をした。
検察側は即時抗告したが、東京高裁は08年、11カ所の中断がみられる桜井さんの自白の録音テープについて「取調官の誘導があったことをうかがわせる」と指摘。検察側が新たに開示した「現場宅で見たのは杉山さんらではない」とする目撃証言も考慮し「確定判決の判断を維持できない」と認定した。最高裁も09年に再審開始を認めた。
昨年7月に土浦支部で始まった再審で、検察側は事件現場で採取された遺留品のDNA型鑑定を求めたが、同支部は却下。立証の柱を失ったが、「2人とも逮捕直後に犯行を認めており、自白は信用できる」と確定審での主張を維持し、再び無期懲役を求刑した。
弁護側は、検察側が2人に有利な証拠を再審請求審まで明らかにしていなかったことを「証拠隠し」と非難。裁判所の責任についても「冤罪(えんざい)の根絶のため、有罪になった構造を解明すべきだ」と求めてきた。
再審判決は3月16日に言い渡される予定だったが、震災の影響で延期されていた。(石倉徹也)
◇
杉山さんは暴行など、桜井さんは窃盗の罪にも問われていた。弁護側は免訴を求めていたが、土浦支部は主文で2人に懲役2年執行猶予3年を言い渡し、強盗殺人罪について無罪とした。
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