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『そんなに自分を叱りなさんな』

2013-12-03 10:49:11 | 読書

『そんなに自分を叱りなさんな』―迷い道はムダではない
斎藤茂太(著)

<詳細説明より>
人生の迷い道はムダではない。
転ぶのを恐れるより、立ち直ることを覚えよう。
初心を忘れたら、「初心の人」とつきあおう…。
モタ先生の元気がわくメッセージ89を収録した、
心が元気になる本。
【目次】
転ばない人より、立ち直る人になろう
八方美人ほど、八方ふさがりになりやすい
悪夢を吉夢に変えて、楽しく過ごす
相手がイヤでしかたないときは、自分の観察眼を疑え
よけいな望みを捨てれば、よけいな悩みも減ってくる
ときには人をねたんだり、うらやんでもよい
善行も試行錯誤、たまには偽善をしてもよい
人の心は傷つきやすい、理解されたり誤解されたり
あなたも主人公、他人も主人公
アドバイスの押し売りはやめてくれ!〔ほか〕

<感想>
このまま、そのまま、ありのままでいいのかなぁ~と、気が楽になった(^。^;)ホッ
特に「許せないことは、無理に許すな」というメッセージが心に響いた。

 「許す」というのは美しい行為である。美しいだけに、「許してあげなさい」という文句は、有無を言わさぬ力を持っている。どんな人をも、どんなことをもあたたかく許すことができれば、それは確かにすばらしい。悪いことをした人物や嫌いな人を許せない自分が、ずいぶん心が狭い欠陥人間のように思えてきたりする。
 しかし、悪いことを許せないと感じる人は、正常な人である。あなたは、人を何人も殺した凶悪殺人犯を、笑って許せるだろうか。私はそのほうが欠陥人間であると思う。人間は神様ではない。「許す」というのは、そう簡単にしていいことではない。
 あなたには、「よいこと」と「悪いこと」の区別がある。その区別があるかぎり「許せないこと」があっても当然なのだ。よいことと悪いことの区別がつかなくなってしまっては困る。「許せない」という気持ちは、あなたの倫理観を表現する感情なのだから、その気持ちを大切にしてほしい。
 「許せない」という気持ちがわいてきたときは、無理に「許そう」などと思うのではなく、「なぜ許せないのか」考えてみることだ。どこまでなら許せるのか。それがあなたの倫理観のラインである。頭だけで無理に許そうと努力していると、この倫理観のラインがあやふやになってくる。いちいち誰かに教えてもらわなければ、どこから許すのか決められなくなってくる。
 心が狭かろうがどうしようが、自分の「許せない」気持ちは大切にするべし、だ。とことん「許せない!」と怒ったら、自然と「もういいや」と許す気持ちになってくることもある。そういうときは、自分が心から「許す」のだから、気持ちも納得する。他人に「許してあげろ」といわれて許したフリをするのが危険なのだ。
 そういうわけだから、あなたも、誰かに軽々しく「許してあげなさい」といわないほうがいい。あなたには、その人の気持ちはわからないのだから。
 関係ない他人が、関係ないことを許すのは簡単なことだ。しかし、他人から見たら「そんなささいなこと」と思うものでも、当の本人には許せないことがある。その人が許せる気持ちになるまで、周りの人は、ただ、その人が「なぜ許せないのか」、いっしょになって考えてみるくらいしか、できないのである。
・・・P36、P37より転載・・・