去る天皇誕生日の連休前夜,風呂に湯を張ろうとしたが水しか出ない.翌朝あちこち電話したが,サービスのフリーダイヤルがいくらかけても話中だったり,緊急ホットラインのはずの携帯が通じなかったり(あとで先方から電池切れでしたとかかってきた).
一日置いてメーカーの技術者がやってきたが,この電気温水器は12 年モノだ,水漏れでもう駄目だと宣告.出張旅費を取ってお帰りになった.温水器のタンクの水を抜いたらなぜか風呂に隣接する水洗トイレの水まで出なくなった ← 家を建てたときの配管のちょんぼ.
今回は車で近所の「温泉」と称するスーパー銭湯を軒並み制覇
二年越しのお湯のない生活を覚悟したが,ご近所さんにお口添えいただき,また この家を建てたときの電気工事屋さんが親身になって下さったおかげで,6 日目にして新しい温水器が入ることになり,突貫工事完了.
もともと温水器を 2 階に置いていたのだが,天井が低くて新しい温水器が置き替えできるどうか気を揉んだ.狭い階段を通って古いのを下ろし,新しいのを上げるのが大変だった.
「エコキュート」というヒートポンプ式給湯器にも興味があったが,高価格でふたり暮らしではもとが取れない・その上壁に孔あけ工事が必要でおいそれとは行かないと言うことで,結局従来通りのヒーター式.
年末年始はずっとわが家で温泉気分さ !
昭和中期には,電気といえば電灯とラジオだけ.ひねると風呂はかりか台所の蛇口からお湯なんて夢のまた夢.ウォッシュレットは SF の世界.
でも,家に風呂がなくても東京には徒歩圏に何件か風呂屋があった..
昭和 31 年に作られたこの歌の
「せめてラジオ聞かせたい」
とか
「あかぎれ痛い 生味噌を擦り込む」
とかの歌詞に思いを馳せたのでした.