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臓器移植法を問い直す市民ネットワーク

「脳死」は人の死ではありません。「脳死」からの臓器摘出に反対します。臓器移植以外の医療の研究・確立を求めます。

「脳死」を比喩として用いることへの憂慮

2012-07-09 20:32:18 | 声明・要望・質問・申し入れ

2012年7月9日
臓器移植法を問い直す市民ネットワーク

「脳死」を比喩として用いることへの憂慮


 7月3日のMNS産経ニュースは、“自民党の石原伸晃幹事長は3日の記者会見で、民主党分裂の影響で消費税増税関連法案などの国会審議が停滞している現状について「本来なら民主党が『特別委員会をいつまでにつくります』というのがあって然るべきだが、脳死ですね」と述べた。直後に「ちょっと言葉は悪いが…」と釈明し、「全く機能不全。ひどすぎる」と言い直した”と、報道しました。この石原発言は氷山の一角で、医学や医療に関わりがない事柄に「脳死」と表現した発言は、何度も繰り返されてきました。
 私たち<臓器移植法を問い直す市民ネットワーク>は、重篤な脳機能不全で長期昏睡状態にある患者を、人の死と結びつけて「脳死」と呼ぶことは不適切と考えています。まして、医学・医療に関わりのない事柄の比喩として、「脳死」と表現するのはさらに不適切です。
 「脳の回復は難しい」と診断され病院で闘病中の患者、あるいは状態が安定して自宅に戻り家族と共に暮らす患者は、医療機関や訪問看護等の支援を受けながら日常を送っています。マイナスイメージの代表のように使用される「脳死発言」は、脳機能不全状態(「脳死に近い」とされるなど)の患者の人権・人格を無視するものであり、強く抗議するとともに、今後このような比喩表現を用いないよう要望します。

 脳死判定基準を満たした患者の心停止までの期間は長くなる一方です。1970年代には1週間程度と言われましたが、だんだん長く生存可能となり、月単位、年単位、中には10年以上生存した方もいます。また、脳死判定されても、のちに自発呼吸や脳波がもどった方、臓器ドナーとされながらあやうく臓器摘出を免れ、回復後に脳死宣告が聞こえていたと証言した人(2007年のザック・ダンラップ事件)もいます。臓器摘出時に、筋弛緩剤と麻酔薬が投与されることが一般的ですが、そのことを臓器提供後に知ったドナーファミリーには「生身だった、かわいそうなことをした、むごいことをした」と後悔された方もいます。
 これらの情報は、医学・医療における脳死判定基準を満たした患者の実態が、脳の働きが通常とは異なるけれども心停止に至るとは限らない、社会復帰できる軽症な人も含まれていることを示しています。
 用語としても、「死」と表現できる状態は、全身の血液循環が停止して全身が腐敗に向かうことが確実になった状態です。死体扱いをして埋葬などが可能な段階は、さらに24時間以上経過後と考えます。従って、脳死判定基準を満たしても確実に死に至る状態ではないし、ましてや死体ではありません。私達は、脳の働きが万全ではないという意味で「脳不全」と表現することが適切と考えています。
 これまでの医学・医療の歴史においてハンセン病、癌、エイズなど、いくつもの病気ないし症状が、当初は致死的または伝染力が強いとされながら、その後にコントロール可能な状態に変わりました。また、今回の「脳死」表現と同様に、「○○は社会の癌だ」のように暗喩として差別的に用いられた過去があります。その間、患者本人は社会的な差別に苦しみ、精神的に追い詰められ、甚だしく人権が無視される実態がありました。癌やハンセン病、エイズ患者に押し付けた過ちを、私達は繰り返してはなりません。
 医学・医療に関わりのない事柄のマイナスイメージとして「脳死」表現を用いることは、「脳死」概念の誤った認識を社会全般に拡大し固定化することにつながり、立場の弱い人々の生をさらに生きにくくして、差別や偏見を助長すると考えます。私達はそれらを深く憂慮し、声明します。

*なお、石原伸晃議員事務所へは、“「脳死」を比喩とした発言への抗議と要望”を7月5日に届けました。

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