和楽の会民謡(唄、三味線、尺八、太鼓、箏 etc..)

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 どこかに必ず 犠牲は存在する

2014-02-05 22:23:23 | 日記
 人は生まれて必ずいつの日かは亡くなる。 人は生きている以上、自分の理想の世界というものを心の中に持っている。 だけれども誰だって理想の通りに歩めるほど人生は甘くはない。 更には、人はさまざまな物に対して感謝の気持ちが持てねば本当の幸せを心で感じ取ることはできない。 本当の幸せを感じ取るためには、逆にさまざまな苦しみや辛さを乗り越えていなければ意味さえ理解ができないのである。 よって楽な人生などどこにもない。 あなたの人生の中の全てを良くしたいという気持ちはあっても・・ 残念ながら、どこかに必ず犠牲は生じてしまうのであると私は考える。 そしてその犠牲があってこそ、一方には輝きが見えるようになる。 犠牲なダークと輝きのエメラルドは人生の中に常に混在する。 

私は正直、立派な大人なんかじゃない・・ 認めらるような大人なんかじゃない・・ ただ母と一生懸命に働き民謡を生きてゆく力に変え明日を目指している。 私は変わり者だから一緒に遊ぶ友人は一人もいない。 ただただ民謡の大会になると競技仲間と再会ができる。 その一瞬の輝きのお陰でここまで生きてこれたと思っている。 私から民謡を取り上げたなら生きる気力を失ってしまうだろう。 民謡を行うことこそが働く意欲を継続させてくれ、家族のために働き、支えてこれたのだと理解をしているのである。 私にとって民謡とはエメラルドである 苦しければ苦しいほど、私はその力を民謡に転化させようとする。 カッコよく言葉にしてしまえば・・ もう一方のダークも必要不可欠なのではないのだろうかと最近になってようやく気がついてきた。 ダークなくしてエメラルドはなしなのである。

ダークというのは自分の思うようにいかなくて辛いことである。 考えてみると全て自分の思うようにことが運んでしまっていると人間は必ずうぬぼれてしまう そう考えると、ダークを経験させていただけるということは辛いけれども人間を鍛えたり経験させるチャンスでもあるし、又、エメラルドをより輝かせる原動力にもなっている 私はこのことがわかるために12年も自分で自分を苦しめたのだった。 人のせいだと信じようとしたのだったが、全ては自分の中に原因があったのだということにようやく気がついた。 人生なんて自分の思うようになっちゃー駄目なんだ。 自分の思うようにならないから自分のためにもなるのだと最近、考えられるように私は変わってきた。 人はいつも色々なことを考え生きている。 誰だって幸せになりたい。 私にもやりたいことがあったのだが、どんなに望んでもできないこともある。 初めは焼けになったのだが、焼ければ良い方向に向くほど人生は甘くはなかった。 ならば私にできることはただ一つ 民謡である 今年の音戸の舟唄はお客様である焼肉屋の店主 浪漫亭の主から 「島本さんどしたん 去年と比べたら力が入りすぎて全く駄目じゃん こりゃ練習もあまり出来てないようだねー」 正直、図星だった 私は練習どころではなかったのであった。

自分の中でずっとごまかして生きてきた大きな責任と戦っていたからであった。 私は気がおかしくなっていた。 確かに三味線を弾いたり、唄もお客様の前で唄っていたのだが・・ 心の奥にある問題は解決しなければ、この先の人生に進めない気がして深く悩んでいたのであった。 私はその時、他の競技者も僕と変わりはしないのだということに気がついた・・ 悩んで生きているのは私だけではない。 競技者の皆さんにも一つ一つの人生があり、人に言えない悩みをみんな抱えて生きている。 それなのに競技の舞台の上では、生き生きと唄っていらっしゃる 民謡ってなんて素晴らしいのだろうか。 私は改めて民謡の素晴らしさに気がつき発見した。 舞台に立つ競技者の一人一人の人生に思いをはせては唄や三味線を聞いている。 広い器を備えた人間が聞けば、器の広さの分だけさまざまな心が音色となって伝わってくる。 それは時として心を動かし涙さえ誘うのである 私もそんな唄が唄えるようになるのが夢である。 そのためにはダークもエメラルドもどちらも必要なのだ。 どちらにも感謝をすることが必要となる。

私は最近になってやっとある程度、自分の思うような尺八の音が出せるようになってきた。 遊びで始めてからもう2年以上が経つと思う。 尺八は小さいので持ち運びがしやすく、私が持っているものは木管なので割れる心配もないし扱いやすくて便利である。 隠岐の島に5月に渡る頃には、しげさ節と浄土ヶ浦は吹けるようになっておきたい。 私は三味線と尺八とで人生を渡ってゆく。 人生の辛さや喜びの経験を、その楽器の素晴らしき音色に転化させてゆきたい。 私はいつの日か隠岐の舞台の上で唄が唄えるような民謡人になってみたい。 叶わぬ夢を持つということは夢が大きくて好きだ。 夢は叶ってしまうと面白くはないからだ。 簡単に叶う夢なら持っても仕方がないと思う。 悩みがあることは生きてゆく上で必要であるということが今、やっとわかったのだから・・ その分、少し楽になれた。 さあ、それなら隠岐を目指して毎日唄うぞ、弾くぞ~ 私は民謡の歴史に名を刻んでみたい その為には相当の努力と才能も必要であろう。 まず、明日を目指して眠ります おやすみなさい

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