和楽の会民謡(唄、三味線、尺八、太鼓、箏 etc..)

インターネットで民謡好きならどなたでも ネット民謡の会(和楽の会)情報交換、大会応援、交流会などを楽しみましょう♪

2014 5/12 隠岐西郷港との別れ(レインボージェット船) 1

2014-05-23 11:00:35 | 隠岐の島
2014 5/12 隠岐西郷港との別れ(レインボージェット船) 1


私の第二の母 隠岐の島  私の尊敬する隠岐の先生が「島本さんは島の人よりも隠岐を愛していらっしゃるのですね」と言ってくれました 私は隠岐へ初めて渡る時、自分にとって最大の試練にぶつかっている時代だったのです  そんな辛い時代に寸分の光をかざしてくださったのが、ここ隠岐の島でした  人間ならば誰だって辛い時はあります 人に言わないだけなんです 辛い原因は見えないけれども自分にたくさんあります だからどこにも持ってはゆけません どうしようもないのです 解決つかない悩みもございます  そんな時、あなたなら・・ 何を観たいですか どこに行きたいですか 私は決めているのです もしもこの先、人生の路頭に迷ってしまったならば 迷わず隠岐の島 でございます。

去年、私は広島の赤田先生の80年を全力でお祝いするため隠岐の島へ行くことを断念致しました  赤田先生をお祝いできて本当に嬉しかったです、自分にとっての人生の中で最も大きなイベントを成功させることができたのでした  だけれども同時に隠岐に渡れないという寂しさが私を襲いました  私は自分が知らないうちに隠岐を愛してしまっていたのでした  行けなくて初めて知りました  だから、今年、隠岐に行って・・ たくさんのしげさスターに会えて 本当に幸せでした みんなから元気を頂きました  2年前に上級三味線の部で優勝をされた男前のお兄さん・・ 口数は少なく私はあまり話しかけることも出来ないのですがとても尊敬をしているスターさんです。 しげさパレードで三味線を弾かれているお姿を見て 自分もいつの日か同じようにあのステージで弾いてみたいっと密かに思ったものです 

第26回大会、私が中級唄部門に出場した際にそのクラスで優勝をされた、女性の方・・ 今年の上級での唄は、涙が出ました 母親としての強い愛とズシット座った堂々としていても、やさしく、強い部分と裏声のやさしい部分を気持ちよく切り替えられる素晴らしい技と心 2年前の時よりもっともっと素晴らしくなられておられました  みんな、なんて素晴らしい競技者なのでしょう・・ ある上級者の方が私に向かって控え室にて 「島本さんは、みんなを褒めていますよね」って笑顔で言ってくださいましたが・・ 今回の上級クラスの競技ほど感動したことは、今までになかったのです。 ただ、もしかしたらですが 私も自分なりに厳しい人生を歩んでおりますので(自分に負けそうになるほどです) 感受性が成長をしているのだと思います。 だから聞く耳と心が成長していたのかも知れませんね 

みんな素晴らしくて、これで順位をどうやってつけられるのだろうか やっぱり上級クラスっていうのは・・ ため息がこぼれますよね  あれだけみんながすごいと順位を決める方が不自然に感じたのは私だけでしょうか ヘンな言い方をしてしまいますと・・ 優勝をされた日本一の競技者の唄は、来年の披露を持って聞けなくなってしまいます それって・・ 勿体なくありませんでしょうか ちなみに音戸の舟唄では、優勝者のみが名人をかけて競う場を設けており・・ それは5年に一度行われる感じです。 優勝者が5名になったところで、その5名による名人を決定する競技を開いたのでした。 私が思うに、しげさ節で優勝をされた方は・・ そこで終わってしまうのはとても勿体ないですので・・ しげさ名人を決める競技があっても良いかもしれないと少し感じました。 つまり、日本一で終わるのは勿体無いと言いたかったわけでございます。

それと、子供大会で大変優れた競技者がおられました 私が思うに、子供といっても、大人以上の実力を持つ方もおられるようです。 子供で優勝し、しげさ賞を取られた競技者は・・ 翌年からどの部門で競技に出場できるのでしょう。 これはあくまで想像のお話なのですが・・ しげさ賞を取られる高いレベルを持つ子供達には、翌年より、一般の初級か中級か上級にレベルに合ったクラスに入れる制度があったらどうでしょうか。 もちろん、これはただの想像です。 私は前に述べましたが、今年の子供の三味線部門の1番の女の子に負けた気持ちになりました。 彼女がこれからも練習を頑張るとしたならば・・ 私などすぐに追い越されるのは当然だと思いますし、彼女がどんどん進め歩んでゆけるシステムを隠岐民謡協会様には是非とも考えていただきたいと心から私は思いました。

えらそうに色々と意見を並べてしまいまして、申し訳ございませんです  ただただ、私は、隠岐の島と 隠岐しげさ節が大好きですので、一競技者の観点から、子供達のこれからの発展や民謡の夢道について真剣に想像してみた次第でございます。 ありがとうございました  動画は、私が隠岐の島を離れなければならない時を撮影しております。 隠岐の島 さようなら  と言ってしまった時 私は涙が出そうになりました  来年はこれるかどうか定かではないからです。 人間、何が起こるか予想がつかないためです 出来れば行きたい ここに戻ってきたい そう思っての撮影は万感の思いが致しました  本日もご拝読、誠にありがとうございました 


人気ブログランキングへ いつも和楽器ランキング絵柄をクリックしてくださりまして ファンの皆さま だんだん 





















最新の画像もっと見る

コメントを投稿