テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

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昔は梅雨が明けると待ちに待った暑い夏!と嬉しくなったもんですが、近頃はさっぱりですな。
この殺人的な暑さに恐怖すら覚えます。
猛暑が続く今日この頃、願うのは曇り空と優しい雨のほうです。

夜霧の恋人たち

2007-01-29 | 青春もの
(1968/フランソワ・トリュフォー監督・共同脚本/ジャン=ピエール・レオ、クロード・ジャド、デルフィーヌ・セイリグ、マリー=フランス・ピジェ、ミシェル・ロンズデール/101分)


 トリュフォーの“アントワーヌ・ドワネル”シリーズの第3作。前作の「アントワーヌとコレット(<二十歳の恋>より)(1962)」を去年の11月に観た時に“アントワーヌ”は製作順に追っていこうと決めていたので、今回はコレです。

 トリュフォーはSFやミステリー、悲劇的なロマンス等色々と作っていますが、このシリーズは1作目の「大人は判ってくれない(1959)」が暗い少年時代を描いたのを出発点として、段々と喜劇性を帯びてくるとのことです。“アントワーヌ”がトリュフォー自身を投影した人物らしいので、映画人として、大人として人生が安定してくるに従い、自分を客観的に見る余裕が出てきたということでしょうか。主人公は同じですが、“アントワーヌ”ものに厳密にはストーリーの繋がりはありません。

 彼女との関係が上手くいかずにヤケになって兵役に志願するも当然身が入らず、不服従と脱走を繰り返したアントワーヌ(レオ)が僅か数ヶ月で軍隊を追い出される所が今作の始まりです。この辺りはトリュフォーの実体験がそのまま描かれているようですね。
 シャバに出てきたアントワーヌが最初にしたことは、馴染みの街角で娼婦を買うこと。その後、しばらく放置していた為に蜘蛛の巣がはってしまったアパートに帰り、一息ついて向かったのはクリスティーヌ(ジャド)という恋人の家。軍隊に入った原因はクリスティーヌのようで、どうやら男女の関係にまでいけない事がアントワーヌの悩みだったようです。この夜、彼女は留守だったが、彼女の両親が優しくしてくれて、ついでにホテルの夜警の仕事まで世話してくれる。
 前作でもそうですが、アントワーヌに関しては彼の両親など肉親の影がありません。前作ではコレットの父親との会話の中で少し出てきますが、親とは絶縁状態にあるというのが基本のようです。「大人は判ってくれない」を見ればその辺の事情は察することが出来ますがね。
 せっかく恋人の父親が探してくれた仕事ですが、人妻の浮気を調査中の探偵に騙されて、宿泊中の件の女性と間男の部屋を開けてしまうという失敗をおかしてホテルの夜警を首になってしまいます。確かにこれはアントワーヌの未熟さ故の過ちですが、いきなり首というのも厳しい。探偵からの謝礼のお札をアントワーヌからひったくったホテルのオーナーが、二つに引きちぎって片方は「退職金」、片方は「年末手当」と言って渡すのが可笑しいです。

 「夜霧の恋人たち」という如何にもフランス映画らしいロマンチックなタイトルなんですがねぇ。中身は20代前半の若者が初めて実社会に出て行った時の失敗や予期せぬ喜び等が皮肉っぽく、コミカルに描かれた作品であります。

 この後、無職になったアントワーヌは騙した探偵に誘われて探偵事務所に雇われることになります。ここでのエピソードが一番長いんですが、この仕事の中で従業員に嫌われている理由を知りたいという靴店のオーナーの依頼に関わる件で、アントワーヌは新入社員として靴屋に入り込みます。ところが、調査中にオーナーの美人の奥さん、つまり社長夫人(セイリグ)にのぼせてしまい、女子社員の話しからその辺の事情を察した夫人と一回限りのアヴ・アフェアーに付き合うことになります。自宅の鏡に向かって、奥さんの名前やクリスティーヌの名前、更には自分の名前を連呼するところは、似たような経験をもつ男性も多いのではないでしょうか。

 社長夫人とのシーンを観ていて、ふと同時期に作られたアメリカ映画「卒業(1967)」を思い出し、ついでにJ=P・レオの役をダスティン・ホフマンが演じたら・・・と考えてみました。いや、この社長夫人とのエピソードについてだけではなく、全体として当時のニュー・シネマに登場したダスティン・ホフマンがアントワーヌのような青年を演じたらどんな風だったろうかと考えたんです。
 探偵となって調査対象を尾行しているときのアントワーヌがあまりにお間抜けで、ホフマンがコミカルに演じても当時のアメリカ映画ではあんな風には描かないだろうなあと思ったからですが、ジャック・タチといい、どうもこの辺のフランス人のコメディ感覚は私にはしっくりこないところがありますネ。

▼(ネタバレ注意)
 社長夫人との事でゴタゴタしている頃、最初に紹介してくれた先輩探偵が急死し、アントワーヌも探偵事務所を辞めます。その後、電気製品の修理会社に勤めたアントワーヌを、両親の外出中にTVが壊れたと嘘をついてクリスティーヌが呼び出し、めでたく結ばれるという結末です。
 結ばれた次の日の朝食のテーブルで、若い恋人同士が交わすメモの筆談が微笑ましいシーンでした。

 途中、クリスティーヌを尾行する男が出てきますが、コヤツも探偵か? と思っていたら、ラストシーンでアントワーヌの目の前で彼女に愛の告白をする変なストーカーだったことが分かります。靴店の社長夫人を尾行する探偵も出てくるので、すっかり騙されました。ひょっとして、次回作に絡んでくるのかな?

 そういえば、ホテルの夜警をしているアントワーヌが椅子に座って読んでいたのが翌年に作られる「暗くなるまでこの恋を(1969)」の原作、ウィリアム・アイリッシュの「暗闇へのワルツ」でした。
▲(解除)

 探偵としてある男を尾行中のアントワーヌに、『久しぶりねぇ。』と声をかける若い夫婦が出てきますが、どうやら奥さんの方が前作のコレット(マリー=フランス・ピジェ)のようでした。

 アメリカ映画の様に或るテーマをもって作られたモノではなく、青春の1頁を流れるようなタッチで綴った佳編。
 あまりシンパシーを感じない主人公ですので、個人的に最も印象に残ったのは久しぶりに見たデルフィーヌ・セイリグの美しさでありました。

・お薦め度【★★★★=フランス映画好きの、友達にも薦めて】 テアトル十瑠
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アントワーヌとコレット

2006-11-04 | 青春もの
(1962/フランソワ・トリュフォー監督・脚本/ジャン=ピエール・レオ、マリー=フランス・ピジェ/31分)


 五ヶ国の監督が「二十歳の恋」をテーマに競作した短編集の中のトリュフォーが担当したフランス編。
 監督自身がモデルと言われる、アントワーヌ・ドワネルものの「大人は判ってくれない(1959)」に続く2作目で、NHKーBS放送の解説によると今回のアントワーヌは17歳とのことである。

 レコード会社に勤めるアントワーヌ(レオ)はコンサートで見かけたコレット(ピジェ)に恋をする。美しい横顔に見とれ、次のコンサートでは彼女の近くの席を探す。後ろに座ったときには白いうなじが眩しかった。
 勇気を出して声をかけ、一緒にコンサートに行くようになる。本やレコードを貸したりカフェにも行くようになるが、友達以上にはなかなか進まない。デートの約束の行き違いもあり、想いのつのるアントワーヌはコレットの向かいのアパートに引っ越してくるのだが・・・というお話。

 トリュフォーお得意のナレーション入りの映像で、今回はアントワーヌのモノローグだったり、第三者の解説だったりと変則的だが、そんなに気にはならない。前回の「あこがれ」も「恋のエチュード」もナレーション入りだったけど、流石に「黒衣の花嫁」にはなかったと思う。さて、「大人は判ってくれない」にもナレーションはあったかな?

 登場人物をちょっと引いた視点で見るのがトリュフォーのスタイルで、モノローグも感情むき出しではなく淡々としたものになっている。俳優の演技も自然体で、一人の時のアントワーヌが無表情にみえるのはまさしく自然体なのでしょう。

▼(ネタバレ注意)
 コレットの両親はアントワーヌに好意的で、家の食事にも招待してくれるのだが、学生ですねかじりのコレットは他の友人達とのバカ騒ぎに夢中だったりして、時にアントワーヌに冷たい態度をとる。小さいけれど、コレットの父親は会社を経営していて、母親は一人娘に甘いようだ。
 恋人と上手くいっている友人の話に影響されてか、アントワーヌはコンサート会場でコレットにキスを迫り強く拒絶されてしまう。

 皮肉なラストシーン。
 コレットの両親に誘われ彼女の家に行くアントワーヌ。そこに別の男性がコレットを迎えに来て、二人はデートに出かける。残された気まずい三人は、まるで親子のように一つのテレビを見続ける・・(FIN)。
▲(解除)

 一途な男性と縛られるのが嫌いな女性の話か。縛られるのが嫌いなのは、コレットの若さ故か。
 女性はとらえどころがない、というのもトリュフォーさんのスタイルですかな?

 尚、アントワーヌ・ドワネルが主人公の作品は、「大人は判ってくれない」「アントワーヌとコレット」「夜霧の恋人たち(1968)」「家庭(1970)」「逃げ去る恋(1978)」の5編とのことで、出来ればこの順番で見た方がよろしいようです。「逃げ去る恋」、録画してるんだけど後回しにしようかな。
 そうそう、アントワーヌの部屋に「大人は判ってくれない」のポスターがかかっていたのが可笑しかったですね。

・お薦め度【★★★=一度は見ましょう】 テアトル十瑠
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あこがれ

2006-11-02 | 青春もの
(1958/フランソワ・トリュフォー監督・脚本/ベルナデット・ラフォン、ジェラール・ブラン/18分)


 トリュフォー26歳の時の短編映画。「allcinema-ONLINE」では26分と紹介されているが、今回放送のNHKデータでは上映時間は18分。削られた(?)8分間は何処へいったのでしょうか?
 冒頭にはちゃんとクレジットが付いているし、こういう作品って商業的にはどういう風に公開されたんでしょうかね。3本立てとかの併映ですかな?

 原題は【LES MISTONS】。フランス語は分かりませんが、少年達に対して大人が「悪童め!」とののしる場面があり、その時『ミストン』と発音していたので、“悪童=わるそう坊主”というような意味なんでしょう。

 5人の腕白盛りの少年達のあこがれは年上のお姉さんベルナデット。女体にも、男女のキスにも興味津々な彼らは、大人の魅力たっぷりの彼女が自転車を駆って、スカートを翻しながら太ももも露わに走るのをあこがれの眼差しで追いかけた。夏の陽射しを避けるように、木立の中を颯爽と走り抜けるベルナデット。自転車を木陰に立てかけ川に降りる。少年達はそっと自転車に近づく。サドルには彼女の温もりがあり、顔を近づけると疼くような匂いがした。

 ベルナデットには余所の町からやって来る体育教師の彼氏がおり、大人の男に嫉妬した少年達は街中に悪戯書きをしたり、二人を追って映画館や森へ出かけては、からかったりした。テニスに興じる彼女の肢体も眩しいくらいだった。

 登山に出発する彼氏は、帰ってくる三ヶ月後には結婚しようと言う。これはチャンスだと、少年達は淫らな写真の付いた絵ハガキを彼女の家に送りつける。子供の些細な悪戯のつもりだったが、それは彼ら自身の思い出に傷を付ける結果となるのだった・・・。

▼(ネタバレ注意)
 絵はがきを投函した後、新聞に山の遭難事故のニュースが載る。それはベルナデットの彼氏が巻き込まれた事故であり、新聞は彼の死亡を伝えていた。

 悪童達は新聞報道の事はすぐに忘れたが、数ヶ月後に街でベルナデットを見た時に心にチクリとするものを感じた。哀しげな彼女は黒い喪服に身を包んでいた。
▲(解除)

 全体的にはスケッチ風の描写だが、冒頭のクレジットのバックから流れるベルナデットが自転車を走らせるシーンは、映画ならではの美しいモノで、ショットの繋がりも画面構成も既に完成の域に達しているようでした。
 オカピーさんの記事によると、トリュフォーの茶目っ気がアチコチで発揮されているようで、少年達がテニスコートに水やりをする老人をからかうシーンはサイレント映画のような編集だし、ギャングごっこのようなシーンでは逆回しも使っているようでした。

 ベルナデット・ラフォンのテニスウェアは色っぽかったなあ。半世紀前の映画なのにシャラポア並の露出度で、凸凹がシャラポアより激しいので、悪童ならずともウットリしそうでしたな。
 翌年の「二重の鍵」でも健康的なお色気を発揮して、72年のトリュフォー作「私のように美しい娘」では毒気とおエロ気ムンムンの演技派に成長しておりました。

 恋人役のジェラール・ブラン。何処かで見た顔だなと思ったら、「ハタリ!(1961)」でした。





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25年目のキス

2006-10-23 | 青春もの
(1999/ラージャ・ゴスネル監督/ドリュー・バリモア、デヴィッド・アークエット、ジョン・C・ライリー、リーリー・ソビエスキー、マイケル・ヴァルタン/107分)


 ドリュー・バリモアがプロデューサーも兼ねて主演したティーンズ向きのロマンチック・コメディ。

 シカゴの大新聞社の校正係をしている25歳の女性が念願の記者になるが、その最初の記事が地元の高校への潜入レポートということで、17歳の高校生になりすましているうちに国語担当の男性教師に恋をしてしまうというお話。人生25年目にして初めて本気のキスをするので、こういうタイトルになっている。【原題:Neber Been Kissed

 話の展開はほぼ予想通り、登場人物にも新味無し、ドリューちゃんもお好みでないのでオジさんには殆ど楽しみのない作品でした。強いてあげれば、騙されてクスリ入りのチョコケーキを食べてハイになったドリューが、ステージの上で際どい踊りをみせるシーンかな。実体験を彷彿とさせる演技でした。

 編集長に「シカゴ」のジョン・C・ライリーが扮していて、「シン・シティ」(←未見)などで売り出し中のジェシカ・アルバも出ているようですが、どの子やら分かりませんでした。

 音楽担当はデヴィッド・ニューマン。ラストシーンで流れるビーチ・ボーイズの「♪ドント・ウォリー・ベイビー」はイカしてました。

 尚、ドリュー・バリモアが「E.T.」に出ていたのは知っていたけど、データを調べていたら、「素晴らしき哉、人生!」なんかのライオネル・バリモアなどとも縁戚にあたる芸能一家の出身だと知りました。

・お薦め度【★=お薦めしません、ラブコメファン以外には】 テアトル十瑠
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チルソクの夏

2006-05-22 | 青春もの
(2003/佐々部清 監督・脚本/水谷妃里、上野樹里、桂亜沙美、三村恭代、淳評、高樹澪、山本譲二、金沢碧、夏木マリ、谷川真理、竹井みどり、イルカ、福士誠治/114分)


 NHK-BSにて放送。タイトルに見覚えがあったので録画した。韓国映画だと思っていたら日本の作品だった。アニメでない久しぶりの邦画である。

 “チルソク”とは韓国語で“七夕”のことだそうだ。
 山口県下関市と韓国の釜山市は姉妹都市の関係にあり、開催地を1年交替として、毎年高校生の陸上競技大会を親善事業として行っていたらしい。
 時は1977年。釜山での競技会で知り合った下関の女子高校生と釜山の男子高校生との一年をかけた純愛の物語である。競技会が七夕の時期に開催されていて、最初の出会いから次の七夕までの話がメインなのでこういうタイトルになっている。
 『来年の七夕に、もう一度逢おう。』それが二人の約束だった。

 主人公郁子は走り高跳びの選手で、仲良しの陸上部女子部員は、800m走、幅跳び、やり投げの3選手。最初と最後は彼女達の26年後の話で、「初恋のきた道」と同じように現在をモノクロ、過去の部分をカラーで表現している。

 26年後の郁子は地元の高校の教師をしていて、その夏は10年ぶりに釜山の高校との親善競技会が行われていた。最終日、ハードルのスターターとしてスタート台に立った時、韓国選手の中に懐かしい人に似た顔を見つける。名簿を見ると名前もその人と同じだった。走りゆく選手達を見ながら、彼女は自分が高校生だった頃の淡い恋物語に思いをはせるのだった。

 郁子17歳の時のお相手は釜山の高校生 安大豪(アンテイホウ)くん。77年の出会いでは、最初は郁子の友達が安くんに目を付けたのだが、郁子と同じ高飛びの選手だった安くんはフィールドで郁子に惹かれる。競技会が終わり韓国での最後の夜、戒厳令の為に外出禁止だったにもかかわらず安くんは郁子達の宿舎にやって来る。そして、二人は来年の競技会での再会を誓い、文通が出来るように郁子は彼に日本の住所のメモを渡す。

 宿舎の窓に小石を投げたり、バルコニー横の立木に登った安くんとバルコニーの郁子が会話をするというシーンは、まるでロミオとジュリエットのよう。ただ、その前の安くんが郁子に惹かれた部分は思いの外あっさりと描かれていて、「初恋のきた道」までとは言わないが、一目惚れした恋心をもう少し表現してもらいたかった。

 郁子の父親役は地元出身の山本譲二。なんと、仕事はギターの流し。夜の繁華街をギターを抱えて店を廻り、酔客に歌を聴かせたり、カラオケ替わりに伴奏をしてまわる仕事だ。77年頃にはスナックにもカラオケが出回り始め、流しの出番も段々少なくなっていった時代らしい。高校生の恋物語だけではなく、こういった大人の生活も描かれていたのが嬉しかった。
 郁子の早朝の新聞配達のシーンが繰り返し出てきたり、(郁子の家には風呂が無い為に)銭湯に行くシーンも出てきたりして、ここにも生活感が溢れていた。
 父親は当時の大方の親がそうするように、韓国人との付き合いに反対する。『外人でも何でもいいが、朝鮮人だけは許さんけぇのぉ!』
 下関の言葉は北九州によく似ております。(注:十瑠は北九州生まれであります)

 安くんの父親は外交官。日本にも2年ほど住んだことがあり、その為に安くんも少し日本語が分かる。
 戦時中に血縁者を日本人に殺された安くんの母親は、息子が日本人と付き合うのに反対する。日本以上の学歴社会である韓国では、兵役に付くのを遅らせる為にも大学進学は切実なものだった。78年には受験生になる安くんに、母親は部活を止めて勉学に専念するように願う。儒教の国韓国では親の意見を尊重するように教育されていて、安くんも陸上を止めようかと悩むのであった。

 安くんからの手紙が滞るようになったある日、安くんの母親から手紙が届く。そこには、彼女の息子を思う気持ちが綴られており、受験勉強があるのでこれ以上手紙を出さないで欲しいと書かれていた・・・。


▼(ネタバレ注意)
 78年の下関での競技会。出場者名簿に安くんの名前はなく、“チルソク”の再会を諦めた郁子だったが、彼は来た。最後のタイムトライアルに出て出場できるようになったらしい。決定が遅かったので名簿の印刷に間に合わなかったとのことだった。

 競技中に安くんが郁子に声をかける。韓国語だったので意味は分からない。

 大会は終了。友人達の計らいで郁子と安くんは二人だけのデートをする。
 下関港を望む高台で二人が会った時に、花火が上がるシーンが美しい。夜の観覧車に乗ったり、関門トンネルを歩いたり。トンネルの中では福岡県と山口県の県境の線を跨ぐ。(コレ、北九州の子供は皆やりました)

 別れが近づく。
 郁子が、競技中に安くんがかけた言葉について聞く。それは『5番ゲートで待っている。』という意味だったらしい。
 安くんが言う。大学受験をして20歳になったら兵役に付く。だから4年間は逢えない。4年経ったら又逢おう。それが二人の2度目の約束だった。

 翌日、夜間の外出がバレた郁子達は先生の説教を聞く羽目になる。安くんが帰る船を見送る約束だったのに、おかげで郁子は彼に顔を見せることが出来ない。遅れて着いた岸壁で安くんから預かったと郁子に小箱が渡される。中には、『ありがとう』のカードを添えて、可愛いブレスレットが入っていた。それっきり、二人は逢うことはなかった。

 場面は変わって26年後の競技会の会場。
 大会終了後、かつての恩師や友人達に労をねぎらわれる郁子。恩師の一人が、韓国側の役員から預かったと郁子にメモを渡す。そっと開いたメモにはハングルでこう書かれていた。
 『5番ゲートで待ってる。』
▲(解除)

 ラストシーンが余韻を残してとてもイイのですが、途中に幾つか、観てる方が気恥ずかしくなるような“青春ドラマ”お約束のシーンがあって、そこは残念でした。ああゆう風にしか描けないんですかねぇ。可愛いっちゃ、可愛いけど・・・。

 この映画に使われた懐かしい当時のヒット曲は、「♪あんたのバラード」「♪横須賀ストーリー」「♪カルメン'77」「♪津軽海峡冬景色」etc・・・。
 カラオケの件で店とトラブってギターを壊された父親に、郁子が質流れのギターをプレゼントする。『お父さんの歌声を待ってる人もいるよ。』
 ♪およばぬことと~ あきらめました~
 ギターを弾きながら「♪この世の花」を唄う父親。ここは山本譲二へのサービスカットと見ましたな。

 下関の大会では、「♪カルメン'77」を唄い踊った郁子達へのお返しに安くんがアカペラで「♪なごり雪」を唄う。しかし途中で韓国側の先生に止められる。韓国では日本の歌を唄うことは禁じられた時代だった。

 セピア色の映画のシーンがバックのエンドクレジットでは、その「♪なごり雪」をイルカが唄う。最初は韓国語で、次は日本語で。囁くような新しい録音の「♪なごり雪」はセピア色のスクリーンにとてもマッチしておりました。





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勝手にしやがれ

2006-05-13 | 青春もの
(1959/ジャン=リュック・ゴダール監督・脚本/ジャン=ポール・ベルモンド、ジーン・セバーグ、ダニエル・ブーランジェ、ジャン=ピエール・メルヴィル、ジャン=リュック・ゴダール/95分)


 去年レンタルしようとして貸出中だったモノ。その時は「気狂いピエロ」を借りた。
 ゴダールの中では『良かった』というコメントが多い映画で、概ねそれは、主演の二人の“粋でお洒落なムードが良い”ということらしかった。個人的には、映画少年の頃からヌーベル・バーグの代表作というイメージをもっていた映画で、手持ちカメラでの移動撮影が多用された事も話題になった作品だ。先月、NHK-BS2で放送されたので録画。今回が初見です。

 ハンディカメラでの撮影は、今となっては全然珍しくないショットとなっておりました。手ブレが全然ないんですが、あんな風に出来るんですねぇ。珍しくないというよりは、今観てもクールな映像でした。エスカレーターで移動するセバーグを上の方から捉えたショットなんかカッコイイ化粧品か何かのCMのよう。街中を二人が話しながら歩いているシーンは、通行人が注視してるのが見え見えで少し気になりましたがね。

*

 旅客機の客室乗務員をしていたミシェルは、今はあちこちで車泥棒をして暮らしている。ニースで会ったアメリカ娘パトリシアが忘れられずに、マルセイユで盗んだ車を飛ばして彼女のいるパリに向かう。途中で白バイに追跡され、車にあった拳銃で一人を撃ち殺してしまう。

 パトリシアはニューヨークから留学に来ている女性で、街頭で新聞を売ったりしているが、どうやらジャーナリスト志望のようで、新聞社の知人からはある作家の囲みインタビューの仕事を頼まれたりする。(空港でインタビューを受ける作家に扮していたのは、ジャン=ピエール・メルヴィルでした。)
 新聞を売っているパトリシアと再会するミシェル。なんとかもう一度『寝たい』としつこく絡むが、パトリシアは気のない素振り。でも、まんざらでもなさそうである。ミシェルは留守中の彼女の(ホテルの)部屋に上がり込み、帰ってきたパトリシアにまたしても迫る。このホテルの部屋の二人のシーンは結構長くて、途中ではパトリシアが妊娠の告白をする(2回目の鑑賞では、それまでのシーンに妊娠の伏線が張ってあったことに気付いた)。
 ここは「気狂いピエロ」では皆無に等しかったロマンチックなシーンでした。但し、甘~いものではなくて、男と女の駆け引きも感じられる面白いシーンでした。ここのジーン・セバーグ、ミドルショットは美しく可愛かったけど、アップの印象は割と大人びた感じだった。

 警官殺しの犯人として、ミシェルへの捜査の手が伸びてくる。やがて、パトリシアの所にも刑事がやってきて、あからさまな尾行も付いてくる。ミシェルと共に逃げるパトリシア。彼に対する自分の揺れ動く心に決着をつけるために、パトリシアは刑事にミシェルの居所を連絡する。更にその事をミシェルに告げる。そうすることによってミシェルが遠くへ行ってしまうことも期待していたのだが・・・。

*

 上映時間の短縮のためにやむを得ずフィルムをカットしたことから創り出されたという“ジャンプ・カット”。どんなモノか、これもこの映画のお楽しみでした。初めて聞いたときはコミカルな感じになっているのかと思ってましたが全然そうではなく、人間の繋がりが稀薄で危なっかしいこの映画の雰囲気に合った手法になっていたようです。

 「気狂いピエロ」よりは人間関係が掴みやすいし、人物の心情も分かり易く、個性的で面白い作品でした。

 1960年ベルリン映画祭監督賞を受賞したこの作品は、監修がクロード・シャブロル、原案がフランソワ・トリュフォー、モノクロカメラはラウール・クタールです。

 ジーン・セバーグのデータを見ると、1938年生まれでこの時21歳。なんと、享年41歳。<1979年、パリの路上に駐められた車の中から遺体で発見された。自殺であると見られている。(ウィキペディア)>とのこと。
 「セシルカット」がキュートだった「悲しみよこんにちは(1957)」、もう一度観たくなりました。

 さて、ゴダールについてこれから何を観ましょうかねぇ。「軽蔑(1963)」とか「男と女のいる舗道(1962)」など、「気狂いピエロ」以前の作品の方が分かり易いようですが、人間の捉え方としては「勝手にしやがれ」から脱していないんじゃないかという気もするなぁ。

 余談ですが、かつて「♪勝手にしやがれ」という歌謡ポップスがありました。唄っていたのはジュリーこと沢田研二。この頃のタイトルには外国映画のパクリが沢山ありました。「♪サムライ」「♪終着駅」「♪喝采」「♪赤い風船」「♪甘い生活」etc・・・。


・「勝手にしやがれ」の素敵なトリビアは、koukinobaabaさんのこちらで
 
・お薦め度【★★★=一度は見ましょう、ゴダールだから】 テアトル十瑠
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あの頃ペニー・レインと

2006-05-04 | 青春もの
(2000/キャメロン・クロウ監督・脚本/パトリック・フュジット、ビリー・クラダップ、フランシス・マクドーマンド、ケイト・ハドソン、ジェイソン・リー、フィリップ・シーモア・ホフマン、ズーイー・デシャネル/123分)


 かつてレンタルショップに並んでいた頃は、“ペニー・レイン”だからビートルズに纏わる話かなと思っていた。
 ロックミュージックを扱った雑誌のライターになった15歳の少年の話ということで、ブログで好評なコメントをみかけていたので、先日NHK-BSで流れていたのを録画して観た。

 クロウ監督の自伝的な話とのこと。
 少年にとっては刺激的だっただろうロックバンドの取材を兼ねたツアーへの参加の一部始終が描かれていて、“ペニー・レイン”とは、そのバンドのグルーピーの一人。雑誌のライターということで最初は敬遠されたが、素直な性格に好感をもたれたのか、売り出し前のバンドと共にツアーバスに乗れることになる。バスには、一部の選ばれたグルーピーも乗っていて、主人公の少年は同じ街に住む“ペニー・レイン”に惹かれ、彼女とバンドメンバーとの関係にもヤキモキする。
 バンド内のいざこざ、ツアーでのトラブル、ミュージシャンと取り巻き女性との情事などなど、予想通りの展開ではあるけれど、少年の目を通した話なので割とサラリと描かれている。当時のロックバンドに付き物のドラッグの話やセックスの話も出てくるが、どぎついシーンはない。

*

 サンディエゴに住む11歳の少年ウィリアムは、姉と大学教授の母親との3人暮らし。18歳の姉アニタは母親と衝突、彼氏と共に家を出る。『ベッドの下に自由があるわ。』という囁きを残して。
 ウィリアムがベッドの下を覗くと、そこにあったバッグの中には沢山のロックのLPアルバムがあった。ビーチ・ボーイズ、クリーム、ジミヘン、ツェッペリン、フー、ボブ・ディラン・・・。
 ここまでが1969年の話で、その後は全て73年のウィリアム15歳の時の話となる。

 姉の残したロックミュージックに惹かれたウィリアムは、その後新聞等にロックに関する記事を投稿するようになり、やがて大手音楽雑誌、ローリングストーンの編集者の目に留まる。電話での記事の依頼。15歳の彼には大金と思われる報奨金だった。
 成り行きで最初の取材に選んだのはスティルウォーターというバンド。ブラック・サバスを取材するつもりで押しかけたコンサート会場で彼等と出会い、取材を申し込み、メンバーのリーダーに気に入られ、ツアーバスに同行できるようになる。

 飛び級で進級しているウィリアムには、卒業試験が間近に迫っていたが、試験と卒業式には間に合うように帰ってくると母親には了解を取る。母親の条件は、毎日の電話と『麻薬はダメ!』。ウィリアムは16歳と年をごまかして、バンドとグルーピー達とのツアーバスに乗り込むのだった・・・。


 少年の母親以外の大人は、売り出し中のミュージシャンやグルーピーばかりで、ま、青春映画として観れば、少年には刺激的だっただろういい加減な大人達やグルーピー達とのあれこれは、分かり易いエピソードが多い。しかし、某国の“青春映画”のようなわざとらしい誇張がなくて、ミュージシャンの周辺の毒についてもよく描かれていた。個々のシーンでの人物の心理を捉えたショットの積み重ねにも目を離せない部分があった。

▼(ネタバレ注意)
 終盤。ツアーが終わりに近づくのに、ウィリアムはなかなか肝心なインタビューが出来ない。バンド内は、幾度かの衝突で人間関係は最悪。飛行機が嵐に遭遇し、皆が墜落死を覚悟した後、本音を吐き合い、メンバーの一人がカミングアウトしたところで、飛行機が軟着陸できたというシーンは面白かった。
 空港でバンドと別れる頃には、リーダーにも『好きに書いていいぞ。』と言われる。
 インタビューは出来なかったが、最後の一言で、なんとか彼等のことを赤裸々に記事に出来たウィリアムだが、雑誌社のバンドメンバーへの確認作業では、一転、ミュージシャンは内容を否定する。彼等にしてみれば、全然カッコよくないからだ。

 傷つくウィリアムだったが、ペニー・レインの計らいで、ウィリアムはバンド・リーダーと再会。リーダーも記事の内容が本物であることを雑誌社に伝える。一度は没になりかけたスティルウォーターの記事も、晴れて掲載される。

 ラストシーン。ローリングストーン誌の表紙には彼等の写真が掲載されていた。
▲(解除)

 個人的には、73年頃はあんまりロックを聴いてなかった時期だが、S&Gの「アメリカ」、エルトン・ジョンの「タイニーダンサー」など、聞き覚えのある曲もあった。

 ウィリアム役のフュジットはオーディションで選ばれたとのこと。82生まれだから当時17か18。童顔だから15歳に見えました。
 ペニー・レイン役はゴールディ・ホーンの娘、ケイト・ハドソン。ファニーフェイスなのにセクシーなところ等、よ~く似てます。娘さんの方が少し美形かな。この映画の撮影後に、お母さんと同じようにミュージシャンと結婚して、4年後の25歳には男の子を出産したそうです。ロブ・ライナーの「あなたにも書ける恋愛小説(2003)」にも主演しているとのことで、これも気になっている作品です。

 母親役のフランシス・マクドーマンドは、「ファーゴ(1996)」のオスカー女優で、外見は特別個性的では無いと思うんだが、演技のせいでしょうか印象に残る女優さんです。「イーオン・フラックス」にも出てましたな。

 ウィリアムに記事の書き方等を指南する伝説のコラムニスト役に、「カポーティ」に主演し、先日の全米批評家協会賞で最優秀男優賞を獲得したフィリップ・シーモア・ホフマンが出ていました。これは儲け役でした。

・お薦め度【★★★=一度は見ましょう】 テアトル十瑠
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ラスト・ショー

2006-02-05 | 青春もの
(1971/監督・共同脚本:ピーター・ボグダノヴィッチ/ティモシー・ボトムズ、ジェフ・ブリッジス、ベン・ジョンソン、クロリス・リーチマン、エレン・バースティン、アイリーン・ブレナン、シビル・シェパード、ランディ・クエイド、サム・ボトムズ/118分)


 先日発表のあったゴールデン・グローブ賞で、作品賞や脚色賞を獲った「ブロークバック・マウンテン(2005)」の脚本を書いたのが、この「ラストショー」の原作者で脚本も書いたラリー・マクマートリーだ。

 1971年。カラーが当たり前の時代に、モノクロ・スタンダード・サイズのスクリーンで発表されたこの映画は、51年のテキサスの小さな町アナリーン(架空の町)を舞台に、高校生の青春群像を描きながら、閉塞感に包まれた町の人間模様をもあぶり出し話題となった。原題は、【The Last Picture Show】。
 主人公の高校生、ソニーやデュエーン達がデートに使っている映画館が、終盤で閉館するのでそういうタイトルになっている。ラスト・ピクチャーは「赤い河」だ。日本でもそうであったように、映画は台頭してきたTVにお客を取られた。

 製作総指揮は「イージー・ライダー」「ファイブ・イージー・ピーセス」のバート・シュナイダー。出演者も今から考えると錚々たる面々が出ている。

 母親は居なくて父親もヤク漬けという主人公、ソニー役のティモシー・ボトムズは、この後「ジョニーは戦場へ行った」で非情な戦争の犠牲者となる兵士を演じた。
 親友のデュエーン役は、「フィッシャー・キング」や「シービスケット」に出ていたジェフ・ブリッジス。息の長い俳優です。

 西部劇の常連であったベン・ジョンソンは、この映画のサム役でアカデミー助演男優賞を獲り、その後「ゲッタウェイ」「デリンジャー」等で渋い悪役を演じている。サムは、アナリーンで玉突き場や映画館を経営している男性で、町の人からサム“ザ・ライオン”と呼ばれて尊敬されている。ソニー達も父親のように慕っている、いわば古き良き西部の男だ。テキサス魂という言葉もアチラにはあるらしい。

 ジョンソンと同じく、この映画で助演女優賞を獲ったクロリス・リーチマンは、ソニー達のフットボールのコーチの奥さん役。先日紹介した「電話で抱きしめて」にも出てました。とても上手いのに、この後あんまり賞には縁が無いようです。
 「アリスの恋(1974)」でアカデミー主演女優賞を獲ったエレン・バースティンは、この作品でも助演女優賞にノミネートされた。「エクソシスト」の悪魔に取り付かれた少女のお母さん役もやっておりましたな。
 「スティング」でP・ニューマンと組んだアイリーン・ブレナンは、レストランのウェイトレス役。と言うよりは、色々な相談にも乗ってくれる食堂の若いオバチャンだ。この食堂もサムが経営している。

 「さらば冬のかもめ(1973)」でダメ水兵役だったランディ・クエイドは、ソニー達の同級生役。「ブロークバック・マウンテン」にも出ているようです。

 懐かしや、シビル・シェパード。雑誌やTVCMの売れっ子モデルだった彼女は、この作品で映画デビューし、ボグダノビッチともいい仲になったらしいが、女優業の方はサッパリだった。85年から始まったTV番組「こちらブルームーン探偵社」は、売れる前のブルース・ウィリスとコンビを組んだ洒落た探偵モノで、これは毎週NHKで観てました。アチラでも人気番組だったらしい。今回dataを調べていたら私と同じ2月18日生まれというのが分かり、ちょいと気になりました。もうすぐ56歳です。

 さて、映画の話。
 人間模様といっても、ほとんどはセックスが絡んでいるエピソードばかりで、子供と一緒に観るわけにはいかない映画だ。

 ソニーとデュエーンは地元の高校で一緒にフットボールをやっていて、デュエーンの彼女がジェイシー(シェパード)で、ソニーにも彼女がいる。
 ジェイシーの母親(バースティン)は奔放な女性で、たまたま一緒になった男性が石油を掘り当てて成金になっているが、夫婦の倦怠期はとうに来ている。ジェイシーにはデュエーンなんかつまらない男だからヤメナサイと言って憚らないし、夫の会社で石油掘りをしている地元の男性とも遊んでいる不道徳な女性だ。

 ある日ソニーは、自分は仕事でいけないから病気の妻を病院まで送っていって欲しいとフットボールのコーチに頼まれる。コーチの奥さんルースも夫との生活に満たされないものを感じている女性で、夫が迎えに来ない事さえ知らせてくれなかったので思わず涙を見せたりする。

 クリスマスに開かれた町のダンスパーティーで、ルースのゴミの片付けを手伝うソニー。暗闇の中、ゴミ置場で二人はどちらからともなく身体を寄せ合い、口づけを交わすのであった・・・。

▼(ネタバレ注意)
 クリスマス・パーティーの後、ソニーは半年以上もルースと密会を続けるが、小さな町なので二人だけの秘密にはなっていない。卒業後、ソニーがコーチと会う場面があるが、お互いに目を合わすことが出来ないという描き方が印象的だった。

 デュエーンに物足りなさを感じたジェイシーは、他の男と付き合うと言ってデュエーンに一方的に別れを告げ、デュエーンはしばらく町を出て行く。あてにしていた男性が他の女性と結婚してしまったジェイシーは、ソニーが人妻と肉体関係を続けている事を母親から聞き、今度は彼にコナをかける。
 元々美人のジェイシーが好きだったソニーは、彼女の言うままに結婚届けまで出してしまうが、それは彼女の気まぐれであった。二人で、オクラホマまで駆け落ちしようと出かけたのに、ジェイシーは置き手紙をしていて、州境で捕まってしまう。

 後半、ソニーとデュエーンがメキシコへ遠出の遊びに出かけた間にサムが亡くなるが、彼の死はまるで父親が亡くなったような感じだった。(ソニーの父親は、クリスマス・パーティーでほんの少し顔を見せるものの、親子は他人行儀な挨拶を交わすだけだった。)
 サムが死に、ジェイシーの件で一度は殴り合いのケンカもしたデュエーンも朝鮮へ出征する。
 ますます寂しくなる町で、今度は、弟のように可愛がっていたビリーが車に轢かれて死ぬ。

 居たたまれなくなったソニーは車を飛ばして町を出ていくが、州境を越えた所でUターンする。ジェイシーとの駆け落ちの時もそうだが、何回も町の外へ出ていくのに縛られているように帰ってきてしまうのが、この映画の象徴的なシーンだ。

 ラスト。ジェイシーと付き合っていた間に避けていたルースに、ソニーが再び会いに行く。ビリーが死んだ後だ。ソニーが来たとは知らないルースは、化粧もせずに玄関に出てくる。
 『コーヒーを飲ませて下さい。』というソニーに、『今までほおって置いて何よ!』と怒りをぶつけるルース。それでも手を差し伸べ、彼女の手を握り続けるソニーに、初めはまだ愛してくれているのかと嬉しくなるルースだったが、ソニーが求めているのが人間的な温もりであることに気付き、『もう、いいのよ。』と、優しく彼の手を包んでしまう彼女であった。クロリス・リーチマンの名演。
▲(解除)

 ラストショーは「赤い河」でしたが、冒頭の映画館のシーンで上映されていたのは「花嫁の父」でした。

 巨匠ロバート・サーティーズの美しいモノクロ画面。但し、一年以上の時の流れがあるのに、季節感を表すショットが少なくて、展開が平板な感じを受けましたな。

 公開は72年だから、33年ぶりぐらいの再会。今回はサムの方に気持ちが傾くかと思っていましたが、そうでもありませんでした。

 肉欲は芸術の重要なファクターではありますが、モノクロ作品でここまで露骨に描写したアメリカ映画も珍しいでしょう。やはり、ニューシネマでしたな。





鑑賞後記 ~ 「赤い河」と「ラスト・ショー」と、そして・・・

・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて、70年代ファンなら】 テアトル十瑠
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ベッカムに恋して

2005-12-01 | 青春もの
(2002/グリンダ・チャーダ:監督・共同製作・共同脚本/パーミンダ・ナーグラ、キーラ・ナイトレイ、ジョナサン・リス=マイヤーズ、アヌパム・カー/112分)


 「マルコビッチの穴」「デブラ・ウィンガーを探して」など、有名人の名前がタイトルに入っている映画というのは中身の予想がつかない。この「ベッカムに恋して」も、あのデヴィット・ベッカムが好きな女の子の話だろうとは予想されるが、ベッカムが出てきて演技をするわけでもないみたいだし、それ以上の筋書きなどは皆目見当がつかない。何かを期待させるモノでもなかったので、タイトルだけが記憶の片隅にあった。
 先日の「プライドと偏見」に関するデータで、キーラ・ナイトレイがコレに出ているというので観ることにした。いつもお邪魔している“シネマトリックス”のanupamさんにも因んでネ。

*

 イギリスに住むインド系イギリス人一家のサッカー好きな娘、ジェスが主人公。偶然誘われた女子サッカーチームに入って活躍するも、敬虔なヒンズー教徒の両親は短パンを穿いて素肌を見せるのも反対。縁談がまとまりかけている姉もいるし、インド人コミュニティーの中での世間体もあり、ジェスは隠れてサッカーを続けるしかない。
 アイルランド人の青年コーチに対する恋心も湧いてくるが、チームに誘ってくれたジュールズもコーチが好きという恋愛問題も絡んでくる。
 一度破談しかけた姉の縁談がまとまり、結婚式が行われるという日、ジェスとジュールズには大事な試合が重なってしまった。それは、プロの女子サッカーリーグが有るというアメリカから、スカウトが選手を引き抜きに観戦にくるという試合だったのだが・・・。

 監督のチャーダさんというのはインド人の女性らしいです。スポーツ青春ドラマと親子の人生進路に関する衝突を絡ませ、更にはイギリスに住むインド人の生活の一面が描かれていて珍しい一編でした。

 スポーツ場面やジェスとジュールズがショッピングするシーンなどは軽快なロック、インド人達が大勢出てくるシーンではインド風音楽など使い分けているが、使い方は定石通りで新味は無いです。ドラマとしてもサラッと描かれていて、お茶の間でテレビ映画を観ている気分になりましたな。話の展開がテンポよく、繋がりもスムーズなのでダレることはなかったです。

 サッカーのプレーのシーンもしっかりと描かれていて、(ジェスとジュールズ役の)二人も相当練習したんだろうなと思いました。尚、チームの女性はジェスとジュールズ以外はほとんどドラマに絡んできません。
 「ウォーター・ボーイズ」などが好きな人はこれも楽しめるでしょう。

▼(ネタバレ注意)
 古くからの関係がある国同士だけど、イギリスに住むインド人達はどれくらい居るんだろう? 完全に洋風の住宅に、ターバンやサリーを身につけたインド人がいる。
 ジェスの家は戸建てだったので、父親は成功者の部類なんでしょうが、スポーツマンだった彼にも若い頃に人種偏見の苦い経験が有ったようで、その辺も娘のサッカーに反対する一因になっている。

 前半で、ジェスの家に年輩のインド人達がたくさん集まっているシーンが有るんだが、その時携帯電話の呼び出し音がすると、オバチャンやおばあちゃんが皆一斉にポケットなどから携帯を取り出すところが面白かった。新しい器械にインド人は強いということでしょうか。
▲(解除)

 終盤の、結婚式とサッカーの試合とのカットバックはあんまり意味がないように見えましたな。あそこは、結末へ繋がる大事な局面でしたから、じっくりとサッカーの流れを追って盛り上げた方が良かったように思いました。

 キーラちゃんは「プライドと偏見」の写真とは違って、キリリとしたスポーツウーマン役で、ますます他の作品が観たくなりました。「ドミノ」とかいうトニー・スコット監督の作品では実在した女賞金稼ぎの役だそうで、2006年はキーラの年になりそうな予感がします。

 主演のパーミンダ・ナーグラ、彼氏役のジョナサン・リス=マイヤーズ。どちらにもいまいち華が感じられなかったのも、この作品の弱みでしょうか。

・お薦め度【★★=悪くはないけどネ】 テアトル十瑠
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ジョンとメリー

2005-11-19 | 青春もの
(1969/ピーター・イエーツ監督/ダスティン・ホフマン、ミア・ファロー/92分)


 役者 → レーサー → 演出家 と風変わりな経歴の持ち主のイギリス人監督ピーター・イェーツ。彼がハリウッドに招かれて大ヒットさせた「ブリット(1968)」の後に作った作品。前作のサンフランシスコから舞台をNYに移して、今度は当時の若者の恋愛模様を描いている。

 主演がD・ホフマンとM・ファロー。ホフマンは「真夜中のカーボーイ」の後、ミアも「ローズマリーの赤ちゃん」の翌年だし、イェーツ監督ということでとても観たかった映画なんだが、当時住んでいた田舎町ではロード・ショーされなかったと思う。結局封切りから数年後、そしてそれは今から数十年前、深夜のTVで観ることになった。NHKの字幕放送だったと思う。今回が、我が人生における2度目の鑑賞です。

 メルヴィン・ジョーンズという人の書いた原作本があり、映画よりコチラを先に読んだ。面白い本だった。チャプター毎に“ジョン”と“メリー”が交替で、一人称で物語る形式になっていて、しかも章の終わりの方と次の章のはじめの方のシーンがラップしている。つまり、同じシーンをジョンの言葉とメリーの言葉で語られる部分が各章にあるということ。そのスタイルがとても印象深かった。
 映画でも、二人の会話の途中にモノローグが流れてきて、本音と立前の違いが面白く表現されている。

 クインシー・ジョーンズの“静謐”とも表現できそうなBGMが流れる中、ベッドに寝ている若い男女の背中や横顔をカメラがなめるように写していく。先に目覚めた女は、男が目覚めてないのを確かめた上でベッドから出る。ミア・ファローの全裸の後ろ姿。ブラインドを少し開けて外を見る。『ここは何処だろう?』
 男は女がベッドを出た頃目を覚ますが、すぐには声をかけない。女が隣の部屋へ移ったのを見計らって起き出し、シャワー室へ向かう。ダスティン・ホフマンも全裸だ。

 オープニングは、こんな調子。実は二人は夕べ知り合ったばかり。ガール・ハントに熱心な男友達とバーにやってきたジョンと、同居している女友達と3人でバーに来ていたメリーが、何気ない会話を交わすうちにそれぞれの友人達と別れて二人っきりになり、その夜のうちにジョンのアパートに泊まったという次第。「恋人たちの予感」のように知り合って10年後に結ばれるのではなく、出会ったその夜にイタしたわけだ。この頃すでにそういう世相であったことを自然に描いている。

 だが、面白いのはここから。男と女の駆け引きが内面の言葉を絡めながらじっくりと描かれている。夕べの経緯も、朝のシャワーやお風呂の合間などに挿入されてくる。
 男は何人かの女性と同棲の経験があり、女も妻子ある男性との不倫関係を続けていたという過去がある。ただ、二人とも行きずりの関係だけで簡単に終わらせてしまえる程のドライさは持ち合わせていない。
 こういう関係になったのにはそれなりの相性があったはずだ。さて、この人とは上手くやっていけるのか? そもそも、この人は独り者なんだろうか? そんなことを考えながら、時々相手の反応を試すような言葉を投げかけながら、お互いを観察している。はたしてその行方は・・・。
 物語は朝に始まり、途中にそれぞれの過去などを挿入しながら、その日の夜にエンドを迎える。

 ジョンは家具デザイナーという設定で、部屋の壁は白が多くてモダンな感じ。アパートの最上階みたいで、斜めの柱や梁が所々見られるのも都会的な趣がある。部屋の中には螺旋状の鉄骨階段があって中2階のロフトに続いており、そこはジョンの仕事部屋のようだった。細かいところは忘れていたが、なにかカッコイイ雰囲気だけは前回観た時も感じたのを覚えている。

 ミア・ファローは、映画の現在では“ローズマリー”と同じショート・カットで、過去のシーンではロング・ヘアーだった。可愛らしいワンピースを着ているのに、ブラジャーは付けてないというアンバランスが、妙にセクシーに見える。

▼(ネタバレ注意)
 メリーの不倫相手は政治家。不倫の小旅行の帰りに家族が迎えに来ているシーンを見て、別れる決心をしたようだ。

 メリーが通っている大学に彼氏が演説に来た所では、最後に学生達に向かって“Vサイン”をして見せた。学生達もサインを返す。今でも女子高生達がプリクラに向かってそのポーズをとったりするが、そもそもはこのVサインが始まりだったんですよねぇ。そして、その時に発する言葉は『ピース!』。懐かしかったなぁ。

 ハッピーエンドは覚えていたが、ラストに、ジョンがメリーを探して回るというのは忘れていた。

 『メリーの綴りは?』とジョンが聞くと『Murry』と答えるんだが、クレジットでは「Mary」だ。どういう意味なんだろう?
 それと、ジョンが出かけた後の部屋にメリーが戻って来れたのは何故? ドアは空いていたのか? これは疑問として残りました。

 その他、気付いた小ネタ。
 朝、ジョンの部屋を観察しているメリーが本棚から取りだそうとした本は、ノ-マン・メイラーだった。
 最初のバーのシーンで、ある映画についての会話がある。一人の男がその映画をけなしたのでメリーが反論し、聞きつけたジョンが補足するというのが二人の知り合うきっかけだが、この映画、交わされた会話によると『車の渋滞』とか『恋人を食う』とかのシーンがあるらしい。これはゴダールの「ウイークエンド(1967)」でしょうな。
▲(解除)

 D・ホフマンは「クレイマー、クレイマー」とは違って、料理上手な独身男性を演じています。
 メリーのアパートに日本人のビジネスマンが3人住んでいますが、この時代でも真に奇怪な日本人の描き方でした。

 アメリカン・ニューシネマの一作だけど、イギリス人監督らしい心理描写が冴えている佳品です。但し、陰鬱な映画ではなくて、ホフマンならではのユーモラスなシーンもあるし、最後は主人公達と同じようにニコニコしてしまいそうな結末です。当時の若者の風俗描写も面白かったです。

 尚、オスカーには縁がなかったものの、英国アカデミー賞ではホフマンが主演男優賞を受賞、M・ファローも主演女優賞にノミネートされたらしい。

・2007年の再見記事はコチラ

・お薦め度【★★★★★=気になる人のいる人、大いに見るべし!】 テアトル十瑠
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●映画の紹介、感想、関連コラム、その他諸々綴っています。
●2007年10月にブログ名を「SCREEN」から「テアトル十瑠」に変えました。
●2021年8月にブログ名を「テアトル十瑠」から「テアトル十瑠 neo」に変えました。姉妹ブログ「つれづる十瑠」に綴っていた日々の雑感をこちらで継続することにしたからです。
●コメントは大歓迎。但し、記事に関係ないモノ、不適切と判断したモノは予告無しに削除させていただきます。
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