(1971/フランソワ・トリュフォー監督・共同脚本/ジャン=ピエール・レオ、キカ・マーカム、ステイシー・テンデター、フィリップ・レオタール、ジョルジュ・ドルリュー、マリー・マンサール、シルヴィア・マリオット/132分)
最たるものはゴダール作品だが、私にとってヌーベルバーグ派フランス映画の登場人物は時に理解しがたい言動を見せる。『アメリカ映画で育ったからフランス人の感覚が合わないのだろう。』などと考えてもみるが、ヌーベル・バーグの作家達が西部劇やヒッチコック、キートンなどのアメリカ映画を研究していたことを考えると不思議な感じもする。トリュフォーの感覚もすんなりとは受け入れられなくて、「大人は判ってくれない(1959)」の少年の心情も記憶に残るほどの共感はできなかった。
さて、71年の「恋のエチュード」。これはリアルタイムで観ました。当時は106分のプリントらしく、今回のNHK-BS放送はオリジナルの132分バージョンとのこと。26分の大幅増ですが、何処が増やされたのかは分かりません。
20世紀初頭か。女性はロングスカートを履き、日傘を差すかシェードの付いた大きな帽子を被っている時代の話である。
一人っ子で父親を早くに亡くしたフランス人青年クロードが、母親の友人のイギリス人女性の家庭に語学勉強を兼ねて遊びに行く。そちらの家庭もご主人は居なくて母親と子供は年頃の姉妹が二人。穏やかで妹思いの姉アンヌは芸術を愛する強い心の持ち主で、妹ミリュエルは内なる感情の激しい女性だが聖書を愛読し目の病に悩まされている。
一つ屋根の下で生活していく内にクロードはミリュエルに惹かれていき、フランスの母親に彼女との結婚について手紙で相談をする。母親はミリュエルの病気が気がかりで結婚には反対。隣家のご主人を交えた両家の話し合いの結果、若い二人には一年間の別離を強い、一年後に二人とも健康でお互いに相手を想う気持ちに変化がなければ結婚を許すという事になった。その間には逢うことも文通も出来ない。
母親と共にフランスに帰ったクロードは、美術の評論などで生活をしていくうちに色々な女性達との交流も増え、やがてミリュエルに対する気持ちも冷めてくる。クロードからの別れの手紙にミリュエルはショックを受け、再会の無いままに二人の婚約は解消される。
数年後、クロードはパリにアトリエを構えるようになったアンヌとばったり逢う。彼女にミリュエルとは違う魅力を感じていたクロードは彼女のアトリエを訊ね、やがて二人は愛し合うようになるのだが・・・。
後に作家になったクロードが姉妹との恋を一冊の本にし、その文章がモノローグで語られながら物語は進む。一組の姉妹のどちらにも惹かれながら、流れのままに恋をする男性が主人公で、J・P・レオの表情は相変わらず硬くて面白みがないが、モノローグが入るので心情は一応わかる。
自分の気持ちを抑えてクロードとミリュエルを結びつけようとする妹思いのアンヌ。離れることによって燃え上がるミリュエルの恋心。そして、芸術家らしく自由に恋愛を享受しようとするアンヌ。姉とクロードの関係を知って悩むミリュエル。
男と女、またフランス人とイギリス人の恋愛に対する考え方の違いも滲んできて、今回2度ほど観ましたが2回目の方が女性の考え方も理解できるような気分になりました。
原作は、これもトリュフォーの代表作の一つ「突然炎のごとく(1961)」の原作者アンリ=ピエール・ロシェの小説で、「突然炎のごとく」が一人の女性をめぐる二人の男性の話と言うことを考えると、そちらにも興味の湧くところであります。残念ながら、コチラはツギハギだらけの鑑賞しかしておりません。
▼(ネタバレ注意)
クロードとの関係をミリュエルに話した後、妹の受けたショックの大きさにアンヌはクロードを諦めるが、登山家との婚約後に結核に罹り、実家で亡くなる。
その後、仕事でブリュッセルに来たミリュエルにクロードは会いに行き、7年目にして二人は結ばれる。30歳になっていたミリュエルは処女だった。
色々な恋愛を重ねてきたクロードは、この時ミリュエルと所帯を持つつもりになるが、意外にもミリュエルはこの夜をクロードとの恋を葬る機会と考えていた。
クロードと別れた後、一度は子供を身ごもったかと思われたが妊娠は間違いだった。ミリュエルは別の教師と結婚をし、女の子を産む。
エピローグは15年後。
ミリュエルの娘と同じ年頃の英国の子供達を見ると、かつてアンヌが見せてくれた10歳の頃のミリュエルの写真の面影を探してしまうクロード。
そして、タクシーのガラスに映った自分の姿に愕然とする。『まるで、老人のようだ。』
▲(解除)
マザコン男性の「二兎追うものは・・・」的話ともとれるが、ミリュエルの対応次第では別のラストも考えられる。いずれにしても、トリュフォーの締め方はいかにもフランス的だなと思いましたな。青春時代の恋を懐かしむ・・・とはいかないようです。
短いシーンをアイリス・ショットなどを多用して繋げ、流れるような語り口でありました。音楽は大御所ジョルジュ・ドルリューです。
最たるものはゴダール作品だが、私にとってヌーベルバーグ派フランス映画の登場人物は時に理解しがたい言動を見せる。『アメリカ映画で育ったからフランス人の感覚が合わないのだろう。』などと考えてもみるが、ヌーベル・バーグの作家達が西部劇やヒッチコック、キートンなどのアメリカ映画を研究していたことを考えると不思議な感じもする。トリュフォーの感覚もすんなりとは受け入れられなくて、「大人は判ってくれない(1959)」の少年の心情も記憶に残るほどの共感はできなかった。
さて、71年の「恋のエチュード」。これはリアルタイムで観ました。当時は106分のプリントらしく、今回のNHK-BS放送はオリジナルの132分バージョンとのこと。26分の大幅増ですが、何処が増やされたのかは分かりません。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/57/49e961a8f4845f3a3b727cc17fdac9e7.jpg)
一人っ子で父親を早くに亡くしたフランス人青年クロードが、母親の友人のイギリス人女性の家庭に語学勉強を兼ねて遊びに行く。そちらの家庭もご主人は居なくて母親と子供は年頃の姉妹が二人。穏やかで妹思いの姉アンヌは芸術を愛する強い心の持ち主で、妹ミリュエルは内なる感情の激しい女性だが聖書を愛読し目の病に悩まされている。
一つ屋根の下で生活していく内にクロードはミリュエルに惹かれていき、フランスの母親に彼女との結婚について手紙で相談をする。母親はミリュエルの病気が気がかりで結婚には反対。隣家のご主人を交えた両家の話し合いの結果、若い二人には一年間の別離を強い、一年後に二人とも健康でお互いに相手を想う気持ちに変化がなければ結婚を許すという事になった。その間には逢うことも文通も出来ない。
母親と共にフランスに帰ったクロードは、美術の評論などで生活をしていくうちに色々な女性達との交流も増え、やがてミリュエルに対する気持ちも冷めてくる。クロードからの別れの手紙にミリュエルはショックを受け、再会の無いままに二人の婚約は解消される。
数年後、クロードはパリにアトリエを構えるようになったアンヌとばったり逢う。彼女にミリュエルとは違う魅力を感じていたクロードは彼女のアトリエを訊ね、やがて二人は愛し合うようになるのだが・・・。
後に作家になったクロードが姉妹との恋を一冊の本にし、その文章がモノローグで語られながら物語は進む。一組の姉妹のどちらにも惹かれながら、流れのままに恋をする男性が主人公で、J・P・レオの表情は相変わらず硬くて面白みがないが、モノローグが入るので心情は一応わかる。
自分の気持ちを抑えてクロードとミリュエルを結びつけようとする妹思いのアンヌ。離れることによって燃え上がるミリュエルの恋心。そして、芸術家らしく自由に恋愛を享受しようとするアンヌ。姉とクロードの関係を知って悩むミリュエル。
男と女、またフランス人とイギリス人の恋愛に対する考え方の違いも滲んできて、今回2度ほど観ましたが2回目の方が女性の考え方も理解できるような気分になりました。
原作は、これもトリュフォーの代表作の一つ「突然炎のごとく(1961)」の原作者アンリ=ピエール・ロシェの小説で、「突然炎のごとく」が一人の女性をめぐる二人の男性の話と言うことを考えると、そちらにも興味の湧くところであります。残念ながら、コチラはツギハギだらけの鑑賞しかしておりません。
▼(ネタバレ注意)
クロードとの関係をミリュエルに話した後、妹の受けたショックの大きさにアンヌはクロードを諦めるが、登山家との婚約後に結核に罹り、実家で亡くなる。
その後、仕事でブリュッセルに来たミリュエルにクロードは会いに行き、7年目にして二人は結ばれる。30歳になっていたミリュエルは処女だった。
色々な恋愛を重ねてきたクロードは、この時ミリュエルと所帯を持つつもりになるが、意外にもミリュエルはこの夜をクロードとの恋を葬る機会と考えていた。
クロードと別れた後、一度は子供を身ごもったかと思われたが妊娠は間違いだった。ミリュエルは別の教師と結婚をし、女の子を産む。
エピローグは15年後。
ミリュエルの娘と同じ年頃の英国の子供達を見ると、かつてアンヌが見せてくれた10歳の頃のミリュエルの写真の面影を探してしまうクロード。
そして、タクシーのガラスに映った自分の姿に愕然とする。『まるで、老人のようだ。』
▲(解除)
マザコン男性の「二兎追うものは・・・」的話ともとれるが、ミリュエルの対応次第では別のラストも考えられる。いずれにしても、トリュフォーの締め方はいかにもフランス的だなと思いましたな。青春時代の恋を懐かしむ・・・とはいかないようです。
短いシーンをアイリス・ショットなどを多用して繋げ、流れるような語り口でありました。音楽は大御所ジョルジュ・ドルリューです。
・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】 ![テアトル十瑠](http://8seasons.life.coocan.jp/img/TJ-1.jpg)
![テアトル十瑠](http://8seasons.life.coocan.jp/img/TJ-1.jpg)
でも、大人になった今考えても、こういう恋愛はなんだか「出そうで出ない何か」のようで、すっきりしませんな~~
女優さんたちがとても似ているのですが、姉妹でもなんでもなく、よくこれだけ似たような顔をキャスティングしましたよね
ウン。そんなイメージがあったんですが、再見するとそうでもなかったですよ。お姉さん役のキカ・マーカムがタイプだったんで、当時ヌードシーンにショックを受けたような気がします。
大人になった今の方が三人それぞれの考え方が分かるような気がします。
一つ一つのシーンが結構短いのに、散漫な印象にならなかったのが驚きでしたね。
それは恐らく短い間隔でのフェイドアウトやアイリスの使用だと思います。
それがリズムを出していますし、ナレーションの使い方もうまくて、仰るように流れるように進みますね。
四度目の今回も感銘致しました。
ジャンヌ・モローの主人公は奔放な性格だったような気がします。J・P・レオーのクロードは性に関して躊躇がないという意味では似てますかね。
いつか確認したいです。
流石に姉と妹を同時にナニする事は出来ないと、据え膳然とした妹の前からは消えていきましたね。
臆病になったのか、倫理観が勝ったのかは分かりませんが・・。
恐らくは男女の関係を変えた時に性格を入れ替えたり複合的にしているように思います。結局どちらの作品でも最後に残る男性が作者リシェであり、心の平和を得ながら、幸福な人生を遂ぞ構築できないことを実感して終る印象があります。
先日十瑠さんも出演したという「男はつらいよ」の36作を見ていましたら、突然、「あっ、寅さんはクロードだ!」と思えてきました。そう、寅さんは好きな女性が去ることで実は心のどこかで平和を得るんです。その一方でやはり人生の幸福は得られない。
いや、面白いことに気付いてしまいました。
確かに、仰るような寅さん的な部分は、男は誰も持っているような気がしますね。
クロードにはマザコン傾向もあったりして、それでも最後はミリュエルと一緒になろうと決心していたように思いました。
クロードとミリュエルが結婚した場合には、もう一つの物語が出来そうだなとも思いましたね。
早速遊びに来させて頂きました~
私はこの作品は大好きで何度も観ているんですが、「突然炎のごとく」では(性別は逆ですが)やってることは似たようなものなのに、ジャンヌ・モロー演じるカトリーヌに酷く嫌悪感を覚えてしまったんですよ。
不思議ですよねー。
女の子なのに男尊女卑ぎみなのかもしれません^^;
よろしければまた遊びに来てください。
頭の悪そうなことしか書いてませんが^^;
「突然炎のごとく」は記事にも書いているように、きちんと観た記憶がないもので。
ジャンヌさんは、女性にとって好き嫌いが別れる女優かも知れないですね。
また、お伺いします♪