テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

アントワーヌとコレット

2006-11-04 | 青春もの
(1962/フランソワ・トリュフォー監督・脚本/ジャン=ピエール・レオ、マリー=フランス・ピジェ/31分)


 五ヶ国の監督が「二十歳の恋」をテーマに競作した短編集の中のトリュフォーが担当したフランス編。
 監督自身がモデルと言われる、アントワーヌ・ドワネルものの「大人は判ってくれない(1959)」に続く2作目で、NHKーBS放送の解説によると今回のアントワーヌは17歳とのことである。

 レコード会社に勤めるアントワーヌ(レオ)はコンサートで見かけたコレット(ピジェ)に恋をする。美しい横顔に見とれ、次のコンサートでは彼女の近くの席を探す。後ろに座ったときには白いうなじが眩しかった。
 勇気を出して声をかけ、一緒にコンサートに行くようになる。本やレコードを貸したりカフェにも行くようになるが、友達以上にはなかなか進まない。デートの約束の行き違いもあり、想いのつのるアントワーヌはコレットの向かいのアパートに引っ越してくるのだが・・・というお話。

 トリュフォーお得意のナレーション入りの映像で、今回はアントワーヌのモノローグだったり、第三者の解説だったりと変則的だが、そんなに気にはならない。前回の「あこがれ」も「恋のエチュード」もナレーション入りだったけど、流石に「黒衣の花嫁」にはなかったと思う。さて、「大人は判ってくれない」にもナレーションはあったかな?

 登場人物をちょっと引いた視点で見るのがトリュフォーのスタイルで、モノローグも感情むき出しではなく淡々としたものになっている。俳優の演技も自然体で、一人の時のアントワーヌが無表情にみえるのはまさしく自然体なのでしょう。

▼(ネタバレ注意)
 コレットの両親はアントワーヌに好意的で、家の食事にも招待してくれるのだが、学生ですねかじりのコレットは他の友人達とのバカ騒ぎに夢中だったりして、時にアントワーヌに冷たい態度をとる。小さいけれど、コレットの父親は会社を経営していて、母親は一人娘に甘いようだ。
 恋人と上手くいっている友人の話に影響されてか、アントワーヌはコンサート会場でコレットにキスを迫り強く拒絶されてしまう。

 皮肉なラストシーン。
 コレットの両親に誘われ彼女の家に行くアントワーヌ。そこに別の男性がコレットを迎えに来て、二人はデートに出かける。残された気まずい三人は、まるで親子のように一つのテレビを見続ける・・(FIN)。
▲(解除)

 一途な男性と縛られるのが嫌いな女性の話か。縛られるのが嫌いなのは、コレットの若さ故か。
 女性はとらえどころがない、というのもトリュフォーさんのスタイルですかな?

 尚、アントワーヌ・ドワネルが主人公の作品は、「大人は判ってくれない」「アントワーヌとコレット」「夜霧の恋人たち(1968)」「家庭(1970)」「逃げ去る恋(1978)」の5編とのことで、出来ればこの順番で見た方がよろしいようです。「逃げ去る恋」、録画してるんだけど後回しにしようかな。
 そうそう、アントワーヌの部屋に「大人は判ってくれない」のポスターがかかっていたのが可笑しかったですね。

・お薦め度【★★★=一度は見ましょう】 テアトル十瑠

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2 コメント

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ナラタージュ (オカピー)
2006-11-04 15:36:09
今回はナレーションに注目してみましょう。

ドワネルものは半自伝、ロシェの映画化も彼の伝記、即ち、トリュフォー映画におけるナレーションは、三人称に擬した内面モノローグです。

トリュフォーは恐らく「突然炎のごとく」で打ち出した、三人称に擬したモノローグをドワネルものでも取り込んだのでしょう。突然一人称から三人称で変わっても実際には同じ、しかし、より客観的に自己を見つめようという意思の反映と思います。

ドワネルものはどんどん陽気になっていきます。トリュフォーがつらい過去を克服するのが映画を通じて分り、笑いながらしみじみとしてしまうのでした。
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ナラタージュとは・・ (十瑠)
2006-11-04 15:59:10
<ナレーションとモンタージュの合成語で、画面外の声に合わせて物語が展開していく映画の技法。多く回想場面に用いられる。(goo辞書)>とのことでした。

以前、オカピーさんの記事で読んだ記憶があったんですが忘れてました。

文学でもありますよね。三人称で書きながら、時々個々の人物のモノローグを入れる。あれと同じ事だから、映画で使っても違和感がないんでしょうね。

次のトリュフォーは、「夜霧の~」か、はたまた「大人は~」に戻るか。おっと、ベルナデットのコメディーの記事が未着手のまだだった。(汗)
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