テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

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君の名は。

2017-11-17 | アニメーション
(2016/新海誠 監督・脚本・編集/声の出演:神木隆之介、上白石萌音、長澤まさみ、市原悦子、成田凌/107分)


 去年の夏に大ヒットして話題になった映画だからレンタルが始まったら絶対に観ようと思っていた。少年少女の魂の入れ替わりが設定にあるのは知っていたが、天変地異が背景にあったのは知らなかった。脚本も書いた監督の中には東日本大震災への思いがあったのかも。

*

 朝起きたら大きな虫になっていたのはカフカの「変身」だが、目覚めたら全くの赤の他人に乗り移っているというのが「君の名は。」の始まりだ。東京の少年と岐阜県飛騨高山の少女とが、本人たちの意思に関係なく一週間に数回朝目覚めると互いの身体に魂が入れ替わっているというびっくりぽんなお話で、虫になってるというのも怖いが、赤の他人でしかも周りの人間関係もその人物の履歴も知らない人に乗り移るなんて、想像してもパニックになりそうなんだけど、映画みたいにあんなに簡単に対処できるのかねぇ。
 大林監督の「転校生」は、同じ町に住んでいる少年少女の入れ替わりだから、ファンタジックな設定もすんなり受け入れられた感があるが、こっちはどうもおかしな感じだった。
 2回目の鑑賞では、とりあえずその辺はスルーして、物語に乗っかっていくと、スマホを媒介として、日記を付けたりメッセージを残したりして、本人不在の間の情報を共用するという展開が新味で面白さはあった。
 ただ、これも後に二人の間には三年の時間のズレがあったという設定が明らかになって、はてスマホの日付曜日の違いは気が付かなかったんだろうかと、またまた気になることが増えてしまった。
 まずはストーリーだが、ウィキに完璧に書かれていたので引用する。但し、結末まで書かれているので未見の方はスルーしてもらいたい。

 <東京の四ツ谷に暮らす男子高校生・立花瀧は、ある朝、目を覚ますと岐阜県飛騨地方の山奥にある糸守町に住む女子高生・宮水三葉になっており、逆に三葉は瀧になっていた。2人とも「奇妙な夢」だと思いながら、知らない誰かの一日を過ごす。
 翌朝、無事に元の身体に戻った2人は入れ替わったことをほとんど忘れていたが、その後も週に2~3回の頻度でたびたび「入れ替わり」が起きた事と周囲の反応から、それがただの夢ではなく実在の誰かと入れ替わっていることに気づく。性別も暮らす環境もまったく異なる瀧と三葉の入れ替わりには困難もあったが、お互い束の間の入れ替わりを楽しみつつ次第に打ち解けていく。
 しかし、その入れ替わりは突然途絶え、記憶を頼りに描き起こした糸守の風景スケッチだけを頼りに瀧は飛騨に向かう。瀧の様子を不審に思い心配していた友人・藤井司とバイト先の先輩・奥寺ミキもそれに同行する。しかし、ようやく辿り着いた糸守町は、3年前に隕石(ティアマト彗星の破片)が直撃したことで消滅しており、三葉やその家族、友人も含め住民500人以上が死亡していたことが判明し茫然とする。スマートフォンのメモなどの入れ替わりの証拠も、全て消えてしまう。
 瀧は奥寺先輩との会話から、以前三葉と入れ替わり口噛み酒を奉納した記憶を思い出し、宮水神社背後の龍神山上にある隠し本殿の御神体へと一人で向かう。そしてその御神体が実在していたことで「入れ替わり」が自分の妄想ではなく、2人の入れ替わりには3年間の時間のズレがあったことを確信する。瀧は、もう一度入れ替わりが起きることを願いながら、3年前に奉納された三葉の口噛み酒を飲む。
 目覚めると隕石落下の日の朝の三葉の身体に入っていた瀧は、三葉の友人である勅使河原克彦、名取早耶香の2人とともに、住民を避難させるために変電所を爆破し町一帯を停電させ、町内放送を電波ジャックして避難を呼びかけるという作戦を画策する。しかし、その計画の要である三葉の父・俊樹を説得しようとするが、妄言だと一蹴される。
 避難計画が順調に進まず、瀧(身体は三葉)は(瀧の身体に入った)三葉に会うため御神体がある山を登る。生きている世界には3年の時間差がある2人だったが、時間を超えて聞こえる声を頼りに互いの姿を探すも、声だけで姿は見えなかった。しかし黄昏が訪れると互いの姿が見え、入れ替わりが元に戻り、初めて2人は時を超え直接会話することができた。
 三葉は、瀧から住民を助ける計画を引き継ぎ下山する。計画通りに町を停電させ、避難指示の放送を流すが、その電波ジャックも町役場にバレて訂正の放送を流され、避難は進まない。三葉は改めて父(町長)を説得するため、今朝からの三葉の異常を一葉と四葉が町長に説明している町役場に向かう。
 瀧が「入れ替わり」という不思議な出来事に遭ってから5年後、偶然にも住民が避難訓練をしており奇跡的に人的大被害に至らなかった糸守町への隕石衝突から8年後へと舞台は移る。瀧は就活の毎日、三葉たちは東京で暮らしていた。たまに町中でお互いの気配を感じることがあったが、もはや入れ替わりのことは忘れており、ただ「漠然と『誰か』を探している」切実な思いだけがあった。
 さらに月日が流れたある春の日、たまたま並走する別々の電車の車窓からお互いを見つけた2人は、それぞれ次の駅で降り、お互いの下車駅に向かって走り出す。ようやく住宅地の神社の階段で再会した三葉と瀧は、涙を流しながら互いに名前を尋ねる。>

*

 避難誘導が上手くいかなかったところでシーンが切り替わるが、5年後のラストシークエンスでは、糸守町の人々が生存していることに気付き愕然とする。もう一度観なおしたら、どうやら避難誘導は上手くいかなかったかに見えて、実は町長である三葉の父親が彼女らの言葉を信じて町民を避難させた事が分かる。ということは、糸守の災害の様相が変わったことになっているんだ。
 うーん。ドラえもんでもやらなかった歴史の変更。隕石落下の衝撃で町民500人が亡くなったという新聞記事まであったのに、それを無しにするなんて・・・。
 確かにアニメファンタジーではあるけれど、そんなストーリーのどこで感動すればいいんだろう。

 11日に初めて観て、12日に2回目の鑑賞を。その後、暫く他の用事に阻まれて記事にできず、そうこうするうちにサーっと印象が薄れてしまった。
 人物造形にはちょっと少女趣味な匂いもして、語り口にも若者受けを狙った感もあるが、まぁまぁすんなりと観れる作品ではありましたね。
 ただ、あんなにヒットするのは不思議な感じ。ま、最近の流行には解せないものが多くて、多分僕の感覚が古くなっているんでしょう。

 2016年のLA批評家協会賞でアニメーション賞を受賞。
 日本アカデミー賞では、アニメーション作品賞、監督賞にノミネート。脚本賞と音楽賞(RADWIMPS)を受賞したそうです。





・お薦め度【★★=悪くはないけどネ】 テアトル十瑠
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「かぐや姫の物語」~ちょっとしたネタバレ備忘録

2015-04-11 | アニメーション
 「かぐや姫の物語」の予告編で、“姫の犯した罪と罰”という文言が出てきましたが、その辺についての備忘録です。本記事に追加で書いてもよかったけど、日にちも経ったことだし。
 未見の方には“ネタバレ注意”です。





 かぐや姫は月の都からやって来たのですが、ラストシーンの様子から月はいわば天上界、地球は人界という設定になっているようですね、この物語では。
 で、実は彼女の前に人界(=人の世)に降り立ったことのある月の人がいたのです。その人はかつての人界での暮らしを懐かしみ、そこで覚えた歌を唄って帰りたいと泣いていました。かぐや姫はそれを見て人の世に興味を覚え、やがてそこに行ってみたいと思うようになったのです。しかし天上界から見れば人界は穢れた場所。そこに行きたいと思うだけで罪となったのでしょう。そして、その罰として人界に送られることになったのです。

 う~ん。この辺の宗教めいた設定、僕はあまり深く考えないようにします。

 ラストシーンでかぐや姫は羽衣を着ると人界での記憶がすべて無くなると言っていましたが、先に人界に行っていた人は何故覚えていたんでしょうかねぇ?あの人も羽衣を着て帰ってきたはずなのに・・・。




*

[4.12 追記]
 かぐや姫を竹やぶで授かり、更に黄金や美しい着物まで授かった竹取の翁(おきな)は、姫の幸せを思い位の高い暮らしをさせようと都へ出ます。それが自分の務めだと思ったわけですが、嫗(おうな)は姫の様子を見て、都の暮らしが姫の幸せになっていないことを悟ります。
 翁にとれば山での生活など苦労ばかり多くて、幸せな暮らしとは思えません。都で大きな屋敷に住む。煩わしい事は人に任せる。ましてや帝の女房になれば、後々までも・・・。
 天上界はいわば極楽浄土。なんの苦労も、心配もない。さて、月に帰っても姫の思う幸せは其処にも無いように思えるのですがねぇ。

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かぐや姫の物語

2015-04-09 | アニメーション
(2013/高畑勲 監督・共同脚本/声の出演: 朝倉あき=かぐや姫、高良健吾=捨丸、地井武男=翁、宮本信子=媼、高畑淳子=相模、田畑智子=女童、立川志の輔、上川隆也、伊集院光、宇崎竜童、古城環、中村七之助=御門、橋爪功=車持皇子、朝丘雪路=北の方、仲代達矢=炭焼きの老人、三宅裕司/137分)


(↓Twitter on 十瑠 から[一部修正アリ])

TV放送を録画していた「かぐや姫の物語」を観る。が、午前中に半分しか観れず。面白いし、分かりやすい。さて、問題は後半なんだが、数日後になりそうだな。CMが入っているので、レンタルした方がいいかもね。
[ 4月 3日]

「かぐや姫の物語」後半を観る。飽きずに観る事が出来るが、メッセージはまだ掴めてはいないと思う。死に際して初めて生の意味を考える、そんな人生の寓話なんでしょうか?月からの使者にお釈迦様みたいなのがいるしね。それにしても個々の絵の構図がいいね。タッチの味わいもイイ。
[ 4月 4日 以下同じ]

まさか高畑さんの作品で、感情を表現するのに人が空を飛ぶとは思わなかったなぁ。一瞬、宮崎作品かと思っちゃったよ。「平成ぽんぽこ」では化け物が空を飛んだけどね。「かぐや姫」もう一度観ないと、なんとも言えないな。★三つ以上は確実だけど。地井さん熱演だったねぇ。

昨日「かぐや姫の物語」の2回目を観た。かぐや姫ってハイジだね。四季折々の自然や動物と共存するのを楽しんだハイジだ。さすが高畑さん。でも「ハイジ」の物語と違うのは、「かぐや姫」にはオンジが居なかったことだ。だからハッピーエンドにはならない。
[ 4月 9日 以下同じ]

たった今「かぐや姫」のオフィシャルサイトを覗いたら、「ハイジ」との共通点、高畑監督が『日本を舞台にしたハイジを作りたい』と語っていた旨の記述があった。納得。





 かぐや姫のあらすじは子供の頃から知ってはいるが、原作は読んだことがないのでストーリーには興味があった。
 結構端折っている所もあるようだし、追加されたエピソードもあるらしい。例えば「ハイジ」に於けるペーターの位置にある、捨丸‘にいちゃん’は原作にはない人物とのことだ。
 そう考えると、終盤の捨丸との再会は蛇足のような気がしたな。というか、再会シーンはあってもいいが、互いに見つめ合うだけで別れさした方がいいと思う。その方が余韻が生まれたと思うし、あの再会後の空飛ぶシーンなどの大仰な、かも知れないエピソードは品を下げたような気がした。

 元ネタの「竹取物語」をwikiで読むと、やはり印象はまるで違うので、この映画は高畑勲版の「かぐや姫」と考えた方がいいと思う。
 アラビアンナイトとか西遊記とか外国にも奇想天外な話はあるけれど、月からやってきた女性を主人公にした物語が今から一千年前の日本で作られたなんて驚きですな。

 2014年の米国アカデミー賞で長編アニメ賞にノミネート。
 同年のLA批評家協会賞ではアニメーション賞を受賞したそうです。

追加のネタバレ備忘録はコチラ

・お薦め度【★★★=一見の価値あり】 テアトル十瑠
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モンスターズ・ユニバーシティ

2014-02-07 | アニメーション
(2013/ダン・スカンロン監督・共同脚本/声:ビリー・クリスタル=マイク、ジョン・グッドマン=サリー、ヘレン・ミレン=ハードスクラブル学長、スティーヴ・ブシェミ=ランディ、アルフレッド・モリナ=ナイト教授/声(日本語):田中裕二=マイク、石塚英彦=サリー/103分)


 息子がレンタルしてきた「モンスターズ・ユニバーシティ」を観る。最初は吹き替え版で、もう一回は字幕スーパーで。
 面白かった「モンスターズ・インク」の続編、というか実際は前日談になる作品ですな。「モンスターズ・インク」の最強コンビだったマイクとサリーの出逢いと、最初は喧嘩をしていた二人が親友になるまでの物語。

 モンスターズ社は子供の悲鳴をエネルギーに変える会社で、「モンスターズ・インク」では子供の悲鳴以上に強力なエネルギーの元を発見するというオチが面白かったんだけど、前日談にその話が出るわけはないと大して期待もなく観始めたら、これが所謂ウェルメイドな映画でありまして、前作「モンスターズ・インク」を観ていなくても十分に楽しめる作品でした。
 吹き替えも、英語版も声の出演は前作と同じであります。

*

 子供の頃に社会科見学で行ったモンスターズ社で“怖がらせ屋”達の仕事っぷりに感激したマイクは、そこで声を掛けてくれたモンスターの出身大学だというモンスターズ・ユニバーシティの“怖がらせ学部”に努力の甲斐あって入学する。
 夢にまで見た“怖がらせ屋”への第一歩!
 小さい頃からチビだからと何かとのけ者にされる事の多かったマイクだが、夢に向かってコツコツと計画を立てて進んでいくタイプで、この頃はもういじめとは無縁になっていた。
 沢山の参考書を抱えて授業に参加するマイク。と、そこに鉛筆一本も持たずに、しかも遅刻を悪びれることもなく出席した学生が居た。それがモンスターズ・ユニバーシティOBの家系ではセレブといっていいサリーだった。サリーは自身の才能を過信しており、自分にはいかなる努力も必要ないと思っていた。
 教授の質問にどしどしと答えるマイクと、それが面白くないサリー。
 学期末の最終試験の日、授業の途中で言い争いを始めた二人は誤ってハードスクラブル学長の伝説の“悲鳴ボンベ”を壊してしまい、“怖がらせ学部”からの追放を言い渡される。
 二人は悲鳴ボンベの設計学部に転入させられ、覇気のない大学生活を送っていた。
 そんな或る日、マイクは入学時に案内があった大学の伝統行事“怖がらせ大会”に出場することを思い付く。大会でいい成績をとって“怖がらせ学部”復帰への望みをつなごうというわけだ。
 大会の出場者受付の日、マイクは新しく友達になった社交クラブ「ウーズマカッパ」の4人と一緒に参加すると宣言し、大会顧問として挨拶に来ていたハードスクラブル学長から、優勝したら“怖がらせ学部”への転入を約束させることに成功した。しかし、出場資格を得るにはチームにあと一人必要だった。近くでマイクと学長のやり取りを聞いていたサリーが自分の加入を持ちかけ、マイクも渋々了承することになるのだが・・・。

 ココまでが上映時間30分強。その後は“怖がらせ大会”がメインのエピソードになって行きます。
 大会の優勝が予定調和として考えられるんですが、そこにはマイクの致命的な(怖がらせ屋としての)欠点=見た目が怖くないに絡む2段構えのストーリーが生まれ、更にはマイクとサリーの強い絆が生まれるエピソードに発展していくのです。
 絵が綺麗なのは言わずもがな。風景などは一瞬、実写かと見まごうばかりの精緻さでしたな。
 そして、モンスター達はどれも名優ぞろい。表情の表現がお見事でした。


▼(ネタバレ注意)
 “怖がらせ大会”は各ゲームでビリになったチームが退場していくシステムで、マイク率いる「ウーズマカッパ」は奇跡的に最終ゲームにまで生き残る。ライバルチームは本命と目されたところで、一対一の最終ゲームは人間の子供を怖がらすというシュミレーションを行い、人間に見立てた実験用の人形からどれだけの悲鳴を引き出せるかというモノ。
 マイクの致命的な欠点を補う為にサリーはシュミレーションの機械に細工を仕掛けるんだが、優勝の表彰が終わった後にマイクがソレを見破る。サリーは「君のせいでチームが敗れたら、結局君が恥をかくことになる。念のためにやってしまったんだ」というが、他の「ウーズマカッパ」のメンバー達にも失望を与えてしまう事になった。

 後悔したサリーは学長にソレを打ち明けるが、その頃マイクはとんでもないことに挑戦していた。研究用に設置された“どこでもドア”に入り込み、実際に人間の子供を驚かしてみようとするのだ。

 マイクが入っていった人間世界は、大勢の子供達がキャンプをしている森の小屋だった。沢山並んだ2段ベッドで眠っている子供達。マイクは今までやって来た通りに怖がらせようとしてみたが、なんと子供達は緑色の一つ目小僧の姿を見ても全然怖がらなかった。ショックだった。サリーたちが言っていたことが真実だったんだ。

 ユニバーシティではマイクが無断で人間世界に行ったことで、とりあえず実験室の“どこでもドア”を封鎖するが、マイクが心配なサリーが警備員の隙をついてドアの向こうに入っていく。
 ついには、ハードスクラブル学長は“どこでもドア”の電源を切ってしまう。それは、向こうに行ってしまったマイクとサリーがこちら側に帰って来れない事を意味するんだが、はたしてマイクとサリーは如何にして戻ってくるのか・・・。
▲(解除)

*

息子がレンタルしてきた「モンスターズ・ユニヴバーシティ」を夕べ観る。随分前にヒットした「モンスターズ・インク」の前日談で、一つ目小僧と毛むくじゃらモンスターの出会いと、最初は喧嘩をしていた二人が親友になるまでの物語。お薦め度は★二つ~三つ。お子ちゃまには見て損無し。
[2月4日 以下同 twitterで]

先日観た「モンスターズ・ユニバーシティ」を今日は字幕スーパー版で観る。改めてウェルメイドな映画であったことに気付く。前作を観ていなくても楽しめるし、ハラハラさせるクライマックスも盛り上がって、最後はスッキリする。DVDの特典に付いていた短編「ブルー・アンブレラ」も面白かったなぁ。
[2月6日]





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紅の豚

2013-11-17 | アニメーション
(1992/宮崎駿:監督・脚本/声の出演:森山周一郎=マルコ(ポルコ・ロッソ)、加藤登紀子=マダム・ジーナ、桂三枝=ピッコロおやじ、 上條恒彦=マンマユート・ボス、岡村明美=フィオ・ピッコロ、大塚明夫=ミスター・カーチス/91分)


 娘が友達から借りたというDVDを転借して久しぶりに「紅の豚」を観る。今までTVで放送されたのを細切れに何回か観たけれど、通して観るのは今度で2回目だと思う。ジブリの宮崎作品としては「魔女の宅急便」に続く四作目で、この後が「もののけ姫」になる。少年少女がメインで出ないので人気は薄いと思っていたら、公開時には前作の「魔女宅」をしのぐ興行成績を上げたらしい。色々と覚えているシーンが多いのに、何故か中盤のストーリーが消えている映画だった。

*

 時は1920年代の後期、世界大恐慌時代のファシスト党政権下、イタリア。ファシズムを嫌って軍を飛び出し、訳あって顔が豚になっている元イタリア空軍の優秀なパイロットが、国の東側に位置するアドリア海に浮かぶ孤島をねぐらに、空賊(飛行機を使った海賊)退治の賞金稼ぎをしている・・という話。
 ウィキペディアには<自らに魔法をかけて豚の姿となり・・>と書いてあるが、映画ではそういう風には語られていなかった。
 そういえば、オープニングで島でのんびりと昼寝をしているマルコに空賊退治の依頼連絡が入るんだが、それがなんと電話!勿論有線電話!どういうこと?しかもラジオを聴いてるし!無人島なのになぁ。
 因みに、殆どを海の上が舞台の今作の飛行機は水上で離着陸できる飛行艇であります。

 序盤で、鉱山会社の給与を狙った空賊を“空飛ぶ豚”のマルコが颯爽と退治するエピソードがあり、主人公や舞台設定の紹介としてまさにつかみはオッケー。空賊の人質に可愛らしい女の子達が大勢出てきて、微笑ましくもユーモラスなシーンもたっぷりだ。そして、飛行艇が飛ぶシーンなんかでよく分かるけど、宮崎監督のカット割りは流れが滑らかでとても素晴らしい。アニメ以外の監督をされても素晴らしい編集をされる方だと思いましたな。

 マルコに何かと仕事の邪魔をされている空賊たちは連合を組んで、豚を退治しようと、アメリカ人でお祖母ちゃんの血が四分の一イタリア人のミスター・カーチスに助っ人を頼む。飛行機乗りは飛行機乗りにやっつけてもらおうって訳だ。ミスター・カーチスは云わば敵役で、彼との勝負が終盤のクライマックスにつながるんだが、ジーナへのアプローチなど、どうにもカーチスの描き方が軽いので昔のハリウッドの恋愛冒険活劇みたいな乗りにはならない。
 マルコがミラノで機の修理をするシーンで彼を追っているファシストの秘密警察が登場したり、またマルコを庇うイタリア空軍の戦友が出てくるので、むしろこっちのサスペンス色のある冒険アクションを最初は期待してしまったくらいだ。
 勿論これは期待はずれ。宮崎監督は<一貫してアニメを児童のために作ることを自らに課してきた>とのことなので仕方のないことなのかもしれないが、それならばこのファシスト関連のエピソードはも少し軽く扱って貰いたかった。或いは、政府軍と空賊を絡めて、お宝の奪い合いみたいなストーリーに発展させるとか。ま、そうなると後30分くらい尺が長くなりそうだけど。

 宮崎監督は自画像を書くときには必ず豚の顔にするらしいから、このマルコは正に監督が自らの理想を投影させた主人公なんでしょうな。

 その他の登場人物についても書いておきます。

 マダム・ジーナ。
 マルコの幼馴染でホテル・アドリアーナのオーナー。アドリア海の空賊は誰もが彼女に憧れているという美女だ。3人の恋人は全て戦争や事故で死んでしまったが、いつも傍にいてくれるマルコに悲しみを分かち合ってもらって感謝している。お尋ね者のマルコは夜にしかホテルにはやって来ないが、いつか昼間に彼が来たら、ジーナは彼に恋しようと思っている。
 声は加藤登紀子。声も唄も悪くないけど、イメージが・・・。「ハウル」の倍賞さんで観たかったなぁ。

 ピッコロおやじ。
 ミラノの飛行機製作会社の社長。商魂たくましい眼鏡のチビおやじ。「風立ちぬ」の黒川を思い出させる。アテレコはなんと落語家の桂三枝(今は六代目桂文枝)だが、絵のイメージに合わせた声と喋りで全然三枝らしさを感じさせない上手さだった。

 フィオ・ピッコロ。
 ピッコロおやじの孫娘で、飛行機作りが大好きなアメリカ帰りの17歳。マルコの愛機のバージョンアップの設計をする。秘密警察に睨まれるといけないので、マルコの脅しによって飛行艇を作ったと思わせる為にマルコの人質となってアドリア海の島に飛ぶ。ジーナに振られたミスター・カーチスがフィオに惚れた為に、クライマックスのマルコとカーチスの決闘では賭けの対象にもなる。カーチスが勝てばフィオは彼の嫁に、マルコが勝てば彼の飛行艇の修理代金をカーチスが払うのだが・・・。
 ジブリ作品ではヒロインクラスのキャラクターで、マルコの歳若い恋人役になりそうな少女だが、ラストでマルコの魔法(呪い?)を解くことに。ラストシーンでの後日談のナレーションも彼女である。

 マルコの声が森山周一郎。古い洋画ファンにはフランスの名優ジャン・ギャバンの吹き替えとして懐かしい感じの人だけど、このマルコも男っぽい渋さがカッコイイ。

*

 飛行機同士の空中戦を観ていたら、大昔に読んでいた少年漫画を思い出しました。「0戦はやと」、「0戦太郎」そして「紫電改のタカ」。昔は戦争を描いた漫画も沢山あったんですよね。
 相手のバックをとる。なんかレスリングみたいですけどバックをとられたらおしまい、そんなシーンを思い出しました。





・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】 テアトル十瑠
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おおかみこどもの雨と雪

2013-04-08 | アニメーション
(2012/細田守 監督・原作・共同脚本/声の出演:宮崎あおい、大沢たかお、谷村美月、麻生久美子、菅原文太、黒木華、西井幸人、大野百花、加部亜門/117分)


 女子大生花(はな)が恋をして、その彼からある日突然自分が“おおかみおとこ”であることを打ち明けられる。それでも彼が好きだった花は同棲をし、やがて赤ん坊を産む。最初の子は女の子で「雪」と名付けられ、二人目は「雨」という男の子だ。
 トラックの運転手をしている彼が仕事から帰ってくる朝、アパートの玄関に出てみると、スーパーの買い物袋だけがあり、気になった花は表に出て行った。すると近くの川に鳥を口にくわえた狼が息絶えていた。彼だ。彼は家族に栄養のあるものを食べさせようと鳥を捕まえようとして川に転落したのだ。
 シングルマザーとなった花。子育ても初めてだし、ましてや“おおかみこども”の育て方なんて知らないし。
 亡くなった彼は狼と人間を意識的に使い分けていたが、「雨」と「雪」は感情のままに突然狼に変身したりするので、迂闊に外に連れ歩くわけにもいかず、病院に行くのも躊躇われた。夜泣きがうるさいと隣人からは責められ、お役所からはネグレクトを心配して面会を強要された。家賃の支払いも先行きが不安なので、花はどこかの田舎町に引っ越そうと考えた。緑豊かな山あいの村にでも・・・。

 ココまでがいわばプロローグ。少し長めで、イメージビデオのような細切れのシーンをBGMをバックに繋げていて、ドラマチックではないので少し退屈になる部分もある。一度しか観てないので忘れてしまったが、二人が出会ったのは大学のキャンパスだったと思うので、同棲して子供が出来た段階で彼は大学を辞めてトラックの運転手になったのではなかったか。

 物語は、大きくなった雪が母から聞いた家族の歴史を語っているナラタージュ形式で進められている。

 さて本筋は、この花一家が田舎町に引っ越してから始まる。
 都会育ちの花が、役所に紹介された壊れかけた古民家を修繕し、休耕地を耕して野菜を育てる。初めはすぐに出て行ってしまうだろうと思っていた村人も段々と打ち解け、何かと世話を焼いてくれたりする。そうこうする内に、やがて雪は幼稚園に通うようになり、友達もすぐに出来た。しかし何事にも怖がりで引っ込み思案の雨は周りにあまり打ち解けなかった。花は村で仕事を見つけ、雨は母の仕事場について行くことが多かった。
 雪が小学校に上がり、2年生になると、雨も小学校に入学する。元気のいい雪は上級生になっても友達と仲良くできたが、雨は段々と学校を休みがちになっていくのだった・・・。

 この後はネタバレになるので省略。
 あくまでも人間として生きていこうと思っている雪と人間に馴染めずに悩む雨。そして、雪にも自分に獣の血が混じっていることを否が応でも意識せざるを得ない日がやってくる・・・といったところが、後半の見所でしょうか。
 獣の血といっても、それほどシリアスな問題ではなく、雪にも亡き父と同じ運命がちょっと早めに訪れただけのことであります。

 全体にファンタジーなのに、妙にシリアスに描いているのが違和感あり。
 花の家族のことはプロローグで語られていたけど忘れてしまいました。彼については何もなかったような。
 画は美しいです。田舎の風景には懐かしさも覚えました。

 2012年の日本アカデミー賞で、アニメーション作品賞というのを受賞したそうです。

*

(↓Twitter on 十瑠 より

近くに開店したゲオにレンタルした2本のうち、今日が返却日の「おおかみこどもの雨と雪」を観る。アニメ好きの子供たち(って、一人はもう25歳ですけど)が好きそうなのを1本選んだだけだけど、娘は映画館で観て大好きだったそうな。「サマー・ウォーズ」、「時をかける少女」の細田守の作品。
 [4月 6日 以下同じ]

「おおかみこどもの雨と雪」。117分と結構長尺で、序盤の主人公と“おおかみおとこ”が恋人同士になるプロローグは俯瞰的な視点のイメージで断片的に綴られて、なんだかぼんやりとしてて乗っていかないが、その後から面白くなる。

「雨と雪」というのは、姉と弟の名前。丁寧にシングル・マザーの子育てが描かれているが、狼と人間のアイの子というファンタジックな設定と人情が絡んだり、少々説教くさいエピソードに違和感が。ストーリーに突っ込み所もありそうだしな。因みに、家の娘はこれで5回は泣けるらしいです。

細田守作品は「時かけ」は断片的にしか観ていない。「サマーウォーズ」は一度ちゃんと観た。「サマー」に関して言えばオタクっぽいストーリーで、ファンタジーにしか見えないし、感動云々とは別の次元の話だと思っているが、オタクの間では感動作らしい。家の娘は自称オタクなのでどっちも好きらしい。





・お薦め度【★★=美しい画は、悪くはないけどネ】 テアトル十瑠
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借りぐらしのアリエッティ

2011-12-24 | アニメーション
(2010/米林宏昌 監督/声の出演:志田未来(=アリエッティ)、神木隆之介(=翔)、三浦友和(=ポッド)、大竹しのぶ(=ホミリー)、竹下景子(=貞子)、藤原竜也(=スピラー)、樹木希林(=ハル)/94分)


(↓Twitter on 十瑠 から

録画していた「借りぐらしのアリエッティ」を夕べ見る。家政婦が何故小人を捕まえるのに執着していたのかが不明だったが、ウィキペディアで分かった。あの辺はもう少し説明が必要だな。テーマが出し切れてない感じもした。そしてストーリーもあっけなかった。
 [12月 20日(以下同じ)]

ストーリーがあっけなく感じたのは、彼ら小人達の歴史を感じさせるエピソードが不足しているせいだと思う。スピラーのエピソードが生かしきれてないんだろう。いずれにしてももう一度観なければ・・。緑の映像は相変わらず美しい。

アリエッティは、いつものジブリみたいに空を浮遊するイメージがなかったな。それと、床下というのは隠れるのには都合が良いとは思うけど、どちらかと言うと天井裏の方がファンタジックだよな。

*

 2度目を観ると"あっけなさ”は幾分解消した。1952年に出版された英国のメアリー・ノートン原作『床下の小人たち』はもう少しアリエッティと少年の交流が微笑ましく描かれているようで、その点は物足りない感じもするが、1時間半の映画作品としてはああいうプロットにするしかなかったのかもしれない。
 構想をあたためていた宮崎さんの脚本とのことで、相変わらず本筋に入っていくプロセスが早い。
 病気療養のために心臓の悪い少年翔がお祖母さんの家にやってくるシーンがスタートで、車から降り立った彼が偶然に庭でアリエッティを見かける。通常なら、人間に隠れて暮らしている小人達の生活を少し描いてから"人間に発見される”という事件が発生しそうなのに、オープニングでいきなりの遭遇。あっけなく感じたのはこの遭遇の早さかも知れない。

 家政婦のミタ、ではなく(笑)ハルについては、<彼女が小人を捕まえることに執着する理由は、金や名声のためではなく「かつて小人を見たが、それを誰にも信じてもらえなかった悔しさを晴らすため」であるらしい>とウィキペディアには書かれていた。その理由は映画での彼女の行動に合致するものだが、2度目でもやはり説明不足、表現不足の感はぬぐえなかった。小人達が引越しをせざるを得なくなる最重要キーパーソンなんだからもう少しでいいからその辺を描いて欲しかったね。

 終盤のアリエッティと翔の会話の中で、滅びゆくもの達への思いをそれぞれ語るけれど、あの辺りは多分宮崎さんの思いがこもったシーンなんだと思う。滅び行く小人達と67億もの人間達。
 エコ志向らしい宮崎さんなら、地球から生きる場所を借りている人間は小人達のように慎ましく生きるべきだ、とかなんとかそんな事が言いたかったのではないかと考えてもみたが、慎ましく生きる小人達の世界が衰退していってるのは論理矛盾のような気もした。理想と現実の違いを言おうとしているんだろうか?

 「空を浮遊するイメージがなかった」と書いたが、スピラーが纏っているマントを翼代わりにムササビのように飛行するシーンが一箇所あったのを忘れていた。
 それと、エコ志向がテーマとしたら確かに天井裏よりは床下の方が合ってるな。

*

 監督は「千と千尋の神隠し」や「崖の上のポニョ」などで原画を担当し、本作で初メガホンに抜擢されたという米林宏昌。
 何ヶ月か前に、TVで米林監督と宮崎さんの葛藤を軸にしたこの映画の製作ドキュメンタリー番組を観て、彼らのしっくりいってない雰囲気が伝わってきたが、そのまんまに何処か力(ちから)が分散している作品のように感じた。





・お薦め度【★★★=一見の価値あり】 テアトル十瑠
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河童のクゥと夏休み

2008-09-06 | アニメーション
(2007/監督・脚本:原恵一/声の出演:冨沢風斗=クゥ、横川貴大=上原康一、田中直樹=康一の父・保雄、西田尚美=康一の母・友佳里、松元環季=康一の妹・瞳、なぎら健壱=クゥの父親、ゴリ=キジムナー、植松夏希=同級生・菊池紗代子/138分)


 昨年、女房と息子で封切りを観に行って、母親の方が感激して帰ってきた映画です。レンタルが始まり、女房からのリクエストに娘が応えたものですが、当の本人は『ラストの方だけで良い』とか言って少ししか観ず(結局ソコだけかい!)、深夜に一人で観ていた娘が、翌朝、終盤の数十分間泣きっぱなしだったと赤い眼をして興奮して話していました。

*

 江戸時代、住処の沼が埋め立てられそうになった河童の親子が、お代官様に直訴するも、オヤジ河童は無礼打ちにあい、息子河童は折しも発生した地震により土の中に埋もれ化石になってしまう。

 それから数百年後の現代。
 学校帰りの小学生、上原康一が河原で珍しい形をした石を拾い、家に持ち帰って洗面所で洗っていると、石に半分埋まっていた河童らしき化石が動き出す。勿論、プロローグで地震に遭遇した河童の男の子だ。驚く康一だが、人間の言葉を話す河童に親しみを覚え、家で飼うことにする。数百年も経ってしまったので河童の子は自分の名前を忘れてしまい、康一はクゥと名付けることにした。初対面で水をかけられてしまった康一の妹には嫌われたが、父親や母親には家族のように扱われることになった。
 世間に知れると大騒ぎになるからと、外出する時には康一の背中のリュックに隠れるクゥ。心当たりの近辺を探してみるが、河童の仲間が居る気配はなく、河童伝説で有名な岩手県の遠野まで康一と行ってみるが、やはり誰もいなかった。しかし、遠野の自然は遠い昔を思い起こすほど素朴なところだった。

 康一の妹、瞳が幼稚園で友達に漏らした言葉から、上原家に河童が居るらしいとの噂がたち始め、マスコミもやって来る。遠野の帰り、うっかり写真週刊誌にクゥを撮られ、ついには康一の家の周りにパパラッチが常態化し出す。生活にも支障をきたし始め、康一の父保雄はテレビ番組にクゥを連れて家族で出ることにする。
 番組には河童評論家という一人の老人が出てきた。彼の家には代々伝わるモノがあり、それ故に彼は河童を信じているのである。ソレは江戸時代に祖先が見つけたという河童の腕だった。
 その腕を見たクゥは驚く。それこそ、数百年前に侍に殺された時に、同時に切り落とされた父親の腕だったからだ・・・。

*

 古い言い伝えの通り、河童は相撲が大好きで、小さな形(なり)の割には強い。外で遊べないクゥと康一は時々家の中で相撲をして遊び、その度に康一は投げ飛ばされる。康一はクゥに負けないやり方を教えてもらうが、後日、いじめられっ子の女の子を康一が助けるシーンで、クゥに習った相撲が効いてくる。

 康一の家の飼い犬とテレパシーで話したり、追いつめられたクゥが超能力を発揮したり、意外な展開に興味を持続させられるが、いかんせん2時間20分は長すぎる。遠野への旅のシークエンスが代表的だが、端折っても良さそうなシーンがあったような気がする。

 監督・脚本の原恵一は「クレヨンしんちゃん」シリーズでお馴染みの人。両親と兄と妹という家族構成は「しんちゃん」と同じだが、こちらは木暮正夫と言う児童文学作家の原作があるらしい。

 終盤のクゥと康一一家の別れが最大のハイライトで、現代人の生き方に対する警鐘が込められたラストシーンが余韻を残します。

 人物の表現はジブリほど可愛くないけど、遠野の自然描写などは一見の価値有り。

・お薦め度【★★★=ラストで★一つおまけ、親子で一度は見ましょう】 テアトル十瑠
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崖の上のポニョ

2008-07-28 | アニメーション
(2008/監督・原作・脚本:宮崎駿/声の出演:山口智子=リサ、土井洋輝=宗介、奈良柚莉愛=ポニョ、所ジョージ=フジモト、長嶋一茂=耕一、天海祐希=グランマンマーレ、矢野顕子=ポニョの妹達、吉行和子=トキ、奈良岡朋子=ヨシエ/101分)


 40歳を過ぎてから長男が生まれたものですから、50を過ぎても“ドラエもん”やら“しんちゃん”を観る機会があり、おかげさまで映画「クレヨンしんちゃん」がTV版とは違って面白いことも知りましたし、40年ぶりにゴジラに再会する事もできました。今年中学生になった息子は少しずつ幼児向け漫画を卒業しつつありますが、中一から「若大将シリーズ」を楽しんだオヤジとはだいぶん精神年齢が違うようであります。
 今年最初の劇場鑑賞は、昨年「バベル」を観たのと同じシネコンでの鑑賞。日曜日で、「インディ・ジョーンズ」の新作に未練を残しながら、息子がこっちの方がイイというのでオヤジもジブリ映画を“初めて”劇場で観ることになりました。



 ジブリ作品では、「となりの山田君」がその他の作品と絵の感じが違っていながら、ほんわかとしたムードが内容とマッチして面白い映画でしたが、今回の宮崎作品も今までのモノと絵の感じが違っていました。ネットの情報によるとCGを使わずに総て手描きによるアニメーションとのこと。お子様向けの題材にあった選択だったと思います。岬の先端の海に囲まれた崖の上に建つ宗介の家の可愛いこと。子供たちの描き方も今までのものよりレトロな雰囲気があり、リサや耕一の描き方は“わたせ せいぞう”のイラストを彷彿とさせるタッチでした。

 海に住むようになった元人間と海の精ともいうべき女性との間に生まれたメスの幼魚ポニョが、人間の男の子を好きになり人間になろうとする話。好きになるといっても、お相手の男の子宗介が5歳だから、ポニョも同じ様なもの。元ネタになったといわれるアンデルセン童話「人魚姫」ほどの恋愛感情もなく、ただ漠然と人間になりたいと思ったということでしょうか。

 宮崎作品は「魔女の宅急便」を頂点に内容の明解さが段々と薄れていって、「もののけ姫」、「千と千尋の神隠し」と意味不明な状況設定や登場人物が出てくるようになり、「ハウルの動く城」では思わせぶりな流れもあって語り口にもキレが無くなってきました。
 「ポニョ」も幼児向けでありながら、ポニョのお父さんフジモトが元々人間であったという設定なのに、何故彼がそういう姿になったのかという説明はない。何故彼が海に住むようになったのか、何故彼は魔法が使えるのか。そして、ポニョの母親だというグランマンマーレとは何なのか?



 月と地球の環境との関係など、訳有りな話も出てくるが、どれも中途半端なままで、かゆいところがそのままの状態で形だけのハッピーエンドにされてしまったような映画でした。要するに、ポニョと宗介の物語の中に上手く溶け込めていない部分が多いということでしょうか。

 幾つか過去の作品を思い出すようなシーンもあり、ポニョと宗介がリサを探すシーンでは「千と千尋」を思い出すようなトンネルも出てきて、宗介の住む港町が海の底になってしまったシーンでは、パンダコパンダの「雨降りサーカス」を思い出しました。



・お薦め度【★★★=童心に戻れるなら、一度は見ましょう】 テアトル十瑠
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天空の城ラピュタ

2007-06-21 | アニメーション
(1986/宮崎駿 監督・脚本/声の出演:田中真弓=パズー、横沢啓子=シータ、初井言榮=ドーラ、寺田農=ムスカ、常田富士男=ポムじい、永井一郎=将軍/124分)


 ジブリ作品で最初に観たのが「魔女の宅急便」。旅と共に少女が成長するという話で、しかもその娘がホウキで空を飛ぶ魔女という設定。夢のような画と少女の成長物語が巧く融合してとても面白く、その後、レンタル店に行っては古いジブリ作品も観るようになりました。「トトロ」「ナウシカ」「ラピュタ」etc。
 「ラピュタ」も何回目かの鑑賞で、今回初めてデジタル録画。ついに、DVD保存版が出来ました。♪

 「魔女宅」と同じく、架空の国、架空の時代の話。
 少女シータが捕らわれている飛行船を海賊達(形態から云えば“空賊”でしょうが)が襲い、窓から抜け出したシータは足を滑らして墜落する。海賊の女首領ドーラが見つめる中、米粒の様に小さくなったシータの身体が突然光る。光の主は胸のペンダントで、ペンダントはシータの胸の上にふわりと浮かび、彼女の身体も落下の速度を緩める。そうしてシータは気を失ったまま、ゆっくりと地上に降りていく。それこそ、ドーラ達が狙っているシータのペンダント、“飛行石”の力に他ならなかった。

 シータが落ちていったのは鉱山の町。両親を亡くし、技師見習いとして働くパズーは、夜の空から落ちてきたシータを助け、成り行きで家に運ぶことになる。パズー曰く、『天使が降りてきたのかと思った。』
 翌日、一人暮らしのパズーの家で目覚めたシータはお礼を言い、すぐに二人は仲良くなるが、夕べの海賊は町にもやってきて、パズーの家を探し当てる。逃げ出す二人。更に、夕べの飛行船の怪しげな男達までやって来て、大立ち回りの末、二人は捕まってしまう。彼らの狙いもシータのペンダントであり、シータであった。

 飛行船は政府のモノだった。
 少し前、この国に空から巨大なロボットが落ちて来て、それは現存の科学では作れないモノであり、伝説として伝わる“空に浮かぶ城”から落ちてきたのではないかとの仮説が有力となる。天空に浮かぶ城からこの世を支配していたというラピュタ族を調査している、政府の情報部員ムスカ。ムスカはシータが持っているペンダントの飛行石がラピュタに伝わるモノであり、シータこそラピュタの末裔であると言う。

 パズーの解放を条件に政府に協力するシータ。家に帰ったパズーは、待ち受けていた海賊に捕まり、シータの行方やその後の事情を話す。海賊達がラピュタの城を探していること、その為にシータの後を追おうとしていることを聞いたパズーは、彼らの仲間に入れてもらう。
 かつて、ラピュタを見たという父親の話を信じているパズー。
 空から落ちてきて壊れていると思われていたロボットが動き出し、政府軍が大混乱する中、ドーラとパズーはシータを救い出す。
 シータのペンダントにより、ラピュタの城の場所を知ったムスカは、軍と共に飛行船で向かう。パズーとシータもドーラの海賊船に乗り込み、軍を追う。やがて、彼らの前に巨大な雷雲が現れる。その中にこそ、“天空の城ラピュタ”があるのだ・・・。


 冒険活劇としての面白さは勿論のこと、ラピュタの背景に壮大な歴史とロマンが感じられるのが魅力。ジブリ・ベストカップル賞をあげたいシータとパズーの微笑ましさと清々しさ。シータの物語だけでなく、パズーと父親との話にもロマンがあるし、海賊船のシーンも楽しい。
 蜂をモデルにしたような海賊の小型飛行艇に監視グライダー、ラピュタの変幻自在な多機能ロボットなど、アイディアも豊富で、ロボットと虫と動物だけが住んでいる表のラピュタには、古代の遺跡や、人類が消滅した後の地球の未来を思い浮かべてしまいました。
 ラピュタ内部の機能もSF好きには興奮モノでありましたな。



▼(ネタバレ注意)
 ただねぇ~。
 終盤の切り札に使われる、あの呪文。あんな大事(おおごと)が起こるのに、あんなに簡単でいいのかい?

 パソコンだって、DELキー押した後は「(ホントに)よろしいですか?」って聞いてくれるのに・・・。
▲(解除)

・お薦め度【★★★★★=SFファンは、大いに見るべし!】 テアトル十瑠
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●映画の紹介、感想、関連コラム、その他諸々綴っています。
●2007年10月にブログ名を「SCREEN」から「テアトル十瑠」に変えました。
●2021年8月にブログ名を「テアトル十瑠」から「テアトル十瑠 neo」に変えました。姉妹ブログ「つれづる十瑠」に綴っていた日々の雑感をこちらで継続することにしたからです。
●コメントは大歓迎。但し、記事に関係ないモノ、不適切と判断したモノは予告無しに削除させていただきます。
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