テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

イージー・ライダー

2005-04-09 | 青春もの
(1969/デニス・ホッパー監督/ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー、ジャック・ニコルソン)


 「さすらいのカウボーイ(1971)」を観たら、その原点とも言うべきコチラを観たくなりました。なにせ、歩いて1分の所にビデオ屋さんがあるもんですから。
 実に35年ぶり。途中で何度かTV放送があったと思うんですが、お茶の間でご家族でって作品じゃないですから、通して見ることはなかったと思います。懐かしく、又改めて意外にも良くできた映画だったと再認識しました。

 メキシコで安く仕入れた麻薬を国内の組織に高く売る。その密売でもうけたお金をガソリンタンクに詰め込んで、LAからニューオリンズまでの気ままなバイクの旅に出る二人の男。“キャプテン・アメリカ”とビリー。「さすらいの・・」の後にコレを観ると、バイクで旅をするという発想の元はP・フォンダではないかと思いましたな。

 旅のスタートでは、フォンダはアメリカ国旗をデザインした黒革の上下に、細身の身体を包んで真にカッコイイ。更にヘルメットにもバイクのボディにも星条旗が描かれている。
 “キャプテン・アメリカ”とビリーは呼んでいたが、最後のクレジットをみると、フォンダの役名は「ワイアット」となっていました。“アメリカ”だけでなく、「荒野の決闘」でワイアット・アープを演じた父、ヘンリー・フォンダへの強烈な皮肉でありましょう。

 旅のお供はロック・ミュージック。ステッペンウルフザ・バンドザ・バーズジミヘンなど当時のロックファンにはたまらない曲が流れてきます。「世界の車窓から」じゃないですが、ロード・ムービーに音楽は有効なアイテムで、私なんぞはロック嫌いじゃないですから楽しく観れましたが、嫌いな人にはどう映ったんだろう?

 途中でヒッチハイカーを拾って三人旅になる。自然回帰主義者のコロニーのようなものを創っている人物のようで、そのコロニーにも“イージー・ライダー”達は立ち寄る。今も似たような団体があると思うが、当時はこんな具合だったんでしょう。あのコロニーの代表者をやってたのは、確かロバート・ウォーカー・Jrですな。ヒッチコックの「見知らぬ乗客」で殺人者を演じた同名の俳優の息子。よく似てました。
 このコロニーでは、ライダー二人は一宿一飯のお礼に、女性と水浴びもする。当時は“フリーセックス”なんて言葉もありました。

 このコロニーを出た後、ある町でパレードを茶化した為に牢屋に入れられるが、そこで知り合うのがジャック・ニコルソン扮する弁護士ジョージ。アカデミー助演男優賞にノミネートされたジャック・ニコルソンの演技は、この映画をキリッと締めました。「ファイブ・イージー・ピーセス(1970)」や「カッコーの巣の上で」に通じる人物像が既に出来上がってました。野宿の夜に彼が話すアメリカの暗部は、この作品のラストを予感させました。

 南部に入ると、BGMにはジミヘンが流れてきて、ちょっと不穏な空気が流れてきます。
 そういえば、この映画ではシーンの繋ぎにフラッシュバックを使っているが、それは過去の記憶を呼び起こしたようなものではなく、次のシーンをフラッシュさせていて、そこに、ちょっとイヤ~なムードは出てましたな。
 麻薬中毒の幻覚症状にもフラッシュバックはあるそうです。
 裕福な白人の邸宅といかにも貧しそうな黒人の家々。“保守的なアメリカ南部”というのは既成事実なんでしょうか。作者たちの嫌悪感は伝わってきました。

 ジミヘンだけでなく、この映画に使われているロックの歌詞の意味が分かれば、もっとメッセージが掴めたのかも知れません。

▼(ネタバレ注意)
 衝撃のラストは皆さんご存じの通りですが、今回見直すと、最初のビリーへの発砲は本当に脅しのものだったと思いましたな。それが、間違って当たってしまった。で、しょうがなく、口封じのためにワイアットまで撃ってしまった、ということでしょう。
 突然このシーンになると不自然ですが、その前にジョージもリンチのようにして殺されているんで、ラストの暴力も納得してしまいました。
▲(解除)

 69年のアカデミー賞では、脚本賞にもノミネート(フォンダ、ホッパー、テリー・サザーン共作)されたが、当時のインタビューでは、基本的な筋書きはあったが、細かいところはその時その時に話し合いながら作ったと語っていました。
 ラズロ・コヴァックスは、この後「ファイブ・イージー・ピーセス」「ペーパー・ムーン(1973)」「未知との遭遇(1977)」なんかを撮ってます。
 ニューオリンズの娼婦役にカレン・ブラックが出てましたが、この後ニコルソンと「ファイブ・イージー・ピーセス」で共演したんでした。

 酔いどれ弁護士のジョージが語る、『自由を語るのは好きだが、ホントに自由な人間を見るのは嫌いな“アメリカ”』。この辺は、現在にも通じるテーマのような気がします。アメリカじゃなく、人間のね。ただ、この作品のライダー達の自由は犯罪で儲けたお金でのものですから、ライダーの存在も恥部といえなくもない。
 <本作の大ヒットは、低予算で現実的な作品でも優れた商品になる事をハリウッドに知らしめた。>そうです。

・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】 テアトル十瑠

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2 コメント

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コメント有難うございます (オカピー)
2006-08-18 15:05:03
フラッシュバックが話術の一つとして成熟したのは60年代後半と思うのですが、私が最もインパクトを受けたのは「真夜中のカーボーイ」ですね。ああ、その前64年のS・ルメット「質屋」のフラッシュバックも強烈でした。

「さすらいのカウボーイ」も書いているのでお読みくださいね。



ニコルスンは脚本も書いているので、この作品でも色々アドヴァイスしているのではないかと思うのですが、「カッコー」以降オーヴァーアクトすぎるので、役者として余り評価していないんです。この頃は良かった。



音楽も強力でしたね。

ジョン・レノンの「平和を我等に」がビートルズ名義で紹介されていたような気がするのですが、前回観た時は確認できなかったような?
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「質屋」は・・・ (十瑠)
2006-08-18 20:35:14
未見なんですよねぇ、未だに。ノーマルな映画に初めて女性のヌード(おっぱい)が出てきたことでも話題になりましたが、“その後のナチ”物の秀作としても有名ですよね。

「平和を我等に」は流れましたかねぇ?

宗教団体の人達が唄っていたのかも知れませんね。
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