テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

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昔は梅雨が明けると待ちに待った暑い夏!と嬉しくなったもんですが、近頃はさっぱりですな。
この殺人的な暑さに恐怖すら覚えます。
梅雨が明けそうな今日この頃、願うのは曇り空と優しい雨のほうです。

マンハッタン物語

2019-11-21 | ラブ・ロマンス
(1963/ロバート・マリガン監督/ナタリー・ウッド、スティーヴ・マックィーン、エディ・アダムス、ハーシェル・ベルナルディ、トム・ボスレー/103分)


ロバート・マリガン監督の「マンハッタン物語」を観る。製作はアラン・J・パクラ。ご存じパクラ=マリガンプロダクションの作品でありますな。前年度に「アラバマ物語」というヒットを放った二人は、この2年後にも「サンセット物語」をナタリー・ウッドとロバート・レッドフォードの共演で作っている。タイトルに「物語」と付いているのは日本の配給会社の二匹目のドジョウを狙ったモノでしょうが、さてさてその辺はどうだったんでしょうかネ。
 マンハッタンで暮らすイタリア系男女のひょんな出会いから始まる恋物語で、タイトルは知っていましたが今回が初見。ツタヤの発掘良品の1作であります。【原題:LOVE WITH THE PROPER STRANGER】

スティーヴ・マックィーンは「大脱走」と同じ年。ナタリー・ウッドは2年前に「ウエストサイド物語」、「草原の輝き」という名作を撮ってまさに青春スターとして絶頂期にあった頃でしょう。この作品でもクレジットのトップに名前が上がっていたし、25歳の美貌は初々しさが輝くばかりでした。

*

ニューヨークに住むロッキー・パサーノ(マックィーン)は売れない楽士。踊り子のバービー(アダムス)のアパートに転がり込んで気ままに暮らしているが、お金は欲しいので今日も「ニューヨーク音楽家協会」の“仕事斡旋会”に行って忙しいふりをして何とか今夜の仕事にありつくことが出来た。忙しい=需要がある=仕事が出来る奴というわけだ。すると、そこに彼を探す若い女性が。
 見覚えが無い女だったので適当に相手をしていたが、彼女はロッキーとの赤ん坊を妊娠していておろすので医者を紹介して欲しいと言う。女性の名前はアンジー・ロッシーニ(ウッド)。
 アンジーが嘘を言っているとは思えなかったが、何しろロッキーは彼女の顔を覚えてなかった。ロッキーが自分を覚えていないのに気付いたアンジーは踵を返して帰りかけたが、追いかけたロッキーは連絡先を聞く。アンジーはメイシー百貨店の5階で働いていた。

6年後のピーター・イェーツ監督作「ジョンとメリー (1969)」の主人公達と同じように、多分初対面で酒場か何かで知り合ってそういう関係になったんでしょうな。
 「ジョンとメリー」は互いに名前も知らずにスタートしたけれど、この映画は「ジョンとメリー」のような知り合った時点の回想はない。だからそこは想像するしかないんだけど、物語はその後の男女の危なっかしいお付き合いの過程を描いていて、愛なき肉体関係から愛が育まれるという「ジョンとメリー」の先取りのような作品でありました。ただ、やはりニューシネマのリアルな感覚よりはロマンチックな(そして少しのユーモアもある)展開を狙っているのが時代の違いを感じさせるところであります。

アンジーの家は母親と3人の兄とのアパート暮らし。イタリア系は家族愛の熱いのが定番で、特に八百屋をしている長男(ベルナルディ)は妹が心配で週に4回はメイシーにやって来てはランチに誘ってくるし、お得意さんの料理人(ボスレー)がアンジーに気があるのを知ってからは彼との付き合いを勧めてくる。ベッドはあっても自分の部屋もなく何かと干渉してくる家族にもうんざりしているアンジー。姉妹がいない彼女には妊娠の事を相談する相手もなく、家族の目はただの束縛としか感じられなかったのだ。
 数日後、アンジーの職場にロッキーがやって来る。なんとか医者を見つけて次の日曜日に予約したけれど施術費用として400ドル必要らしい。二人は200ドルずつ出し合う事にして、次の日曜日の午後に待ち合わせ一緒に行く事にした。

 日曜日。二人が落ちあった場所に一台の車がやって来る。運転席からは年配の男がひとり。堕胎は違法なので、そういう医者を闇で仲介する人間がいるのだ。
 男は400ドルは医者に払うお金で別に仲介料の50ドルが要ると言う。持ち合わせが無かった二人をその場に置いて、男は医者の待つ場所を教えて去って行った。男曰く、4時迄に50ドルを持って来ないとこの話は無かった事になるぞ。
 50ドルを工面する為にロッキーは何年かぶりに両親に会いに行く。勿論アンジーも一緒だ。ロッキーの予想通り両親はいつもの公園で仲間と一緒にくつろいでいた。疎遠になっている親子関係だが、そこはロッキーの家もイタリア系。父親は「ママには内緒だぞ」と言いながら、母親は「パパには秘密よ」と囁きながら息子にお小遣いをそっと握らせるのだ。流石、イタリア系の家族愛はアツイ。
 するとそこにアンジーの兄達が現れる。
 最近の様子を心配していた長兄が近所の子供を使ってアンジーを尾行していたのだ。アンジーとロッキーは走り出し、かつて知ったるビルの一室にあるパサーノ家具工房の中に入っていった。ロッキーの父親の仕事場だ。

 アンジーの兄達をやり過ごしながら、狭く埃っぽい部屋で二人は隠してあったワインをグラスに注いで語らった。出逢った夜の事。さっき会った幼馴染の事などなど。壁に貼られたロッキーの子供時代の写真を見てアンジーは奇妙な感じがした。ロッキーには家庭が似合わないと感じていたが、確かにその写真には家族の愛があったからだ。
 『愛されてるのね』
 『バカを言うな。久しぶりに会ったからだ。数か月も一緒にいれば空気のような存在になるのさ』
 そう言いながらもロッキーは一呼吸おいて『家族に愛されるのは苦しい』と言った。
 アンジーはその言葉にどこか自分に通じるものを感じたのだった。

 どうにか約束の時間に間に合ったが、男が待っていたのは住人の居ない(当然家具も無くガランとした)アパートの一室だった。紹介された医者は普通の服装をした怪しげな女で、服を脱ぐように促されたアンジーは怖くなって泣き出してしまった。ロッキーはそんな彼女を抱きしめる。男と怪しげな女はバタバタと出て行った。
 アンジーは精神的にも追い詰められていたのだろう。眠気に襲われた彼女をタクシーに乗せて、ロッキーはバービーのアパートに連れて行きベッドに休ませた。眠るアンジーをそっと見守るロッキー。
 長い夜が終わり、朝がやって来た。
 帰宅するバービー。外でアンジーの長兄に捕まるロッキー。ロッキーは責任を取って結婚すると言うが、結婚を望んでいない人となんか一緒に暮らせないわとアンジーは申し出を断るのだった・・・。

*

60年前の映画だけど男女の結婚に纏わる普遍的なテーマでありますな。それを正面から取り上げていて分かりやすい。
 結婚は人生の墓場だと立ち止まる男と、白馬に乗った王子様を待つ女。それを乗り越える二人の物語であります。
 アーノルド・シュルマンのオスカー候補になった脚本は省略を活かしたモノだったけど、僕の感覚から言うと省略する箇所がちょっとずれてる感じがした。例えば二人の出逢いについてももう少しヒントが欲しいし、ロッキーとアンジーの長兄が初対面で衝突したシーンも観たかった。アンジーと料理人に関するエピソードもも少し欲しかったかな。
 あと、ロッキーの音楽家としての紹介シーンが無いのも変な感じだった。なんで入れなかったんだろう?
 尚、シュルマンは「さよならコロンバス (1966)」でも脚色賞候補になったそうです。これも観たいなぁ。

ウィキでは152センチと紹介されていたナタリー・ウッドが好演。「草原の輝き」に続いて2度目の主演オスカー候補になったそうです。





・お薦め度【★★★=一見の価値あり】 テアトル十瑠
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終着駅

2016-12-08 | ラブ・ロマンス
(1953/ヴィットリオ・デ・シーカ監督・共同製作/ジェニファー・ジョーンズ、モンゴメリー・クリフト、リチャード・ベイマー/89分)


 アメリカ、フィラデルフィアの主婦メアリーは姉家族の住むローマを訪れ、そこで現地の青年ジョバンニと恋に落ちる。メアリーにはキャシーという7歳の娘がいたが、ジョバンニはキャシーと三人で彼の実家のある田舎町ピサで暮らそうと言う。一旦はその気になったメアリーだが、日が変わると怖くなり、ジョバンニと別れて家族の元に帰ることにした。
 せめて別れの言葉を残そうとジョバンニのアパートのドアの前まで来るが、ノックが出来ずにそのまま踵を返して駅に向うメアリー。荷物もまとめずに、姉にさよならを言う余裕もないほど悩んだのだ。
 公衆電話で甥っ子のポールに荷造りを頼んで、パリ行きの切符の手配をし、キャシーへのお土産に駅の中の店でドレスを買う。ジョバンニへ電報を送ろうとしたが結局出せなかった。何を書いても彼を納得させることなど出来ないと思えたからだ。
 列車に乗り込んだものの大勢の客でごった返し五月蠅くて息苦しい。席を離れて通路の車窓からプラットホームを見ていると、そこには慌てた様子のジョバンニの姿があった・・・。

*

 不倫モノは嫌いというお馴染みさんにはプラトニックと言っていい「逢びき」も敬遠されましたので、こちらは最悪でしょうな。明らかに男女の切実な想いが伝わってきますし、子供も巻き込みそうな設定ですからね。
 しかしそこはそれ、狂おしい想いに寄り添って観れば別れの辛さも、家族への申し訳ない気持ちも伝わってきますし、映画の醍醐味も堪能できるってもんじゃないでしょうか。恋に盲目になるのは若者だけの特権では無いと思うんですが。





 <ハリウッドの映画プロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックが映画「逢びき」に匹敵するメロドラマを作ろうと、イタリア「ネオレアリズモ」の巨匠ヴィットリオ・デ・シーカ監督を招いて作りあげた恋愛映画の名作>とウィキには書いてありました。
 確かに人妻の不倫と別れ、舞台として駅が出てくるところなどD・リーン監督の「逢びき」を彷彿とさせますが、「終着駅」では出逢いは描かれずに別れだけ、そして2時間足らずの物語の殆どが駅構内で展開されるというコンパクトに纏められた緊迫した映画となっていました。

 主な登場人物は三人。
 メアリー・フォーブスにはセルズニックの妻ジェニファー・ジョーンズ。当時34歳くらい。「慕情」の2年前ですね。お色気あり過ぎです。
 ジョバンニ・ドリアにはモンゴメリー・クリフト。33歳。同じ年にジンネマンの「地上(ここ)より永遠に」とヒッチコックの「私は告白する」にも出ているので、まさに旬の俳優だったんでしょう。
 劇中でジョバンニは母親がアメリカ人だと言っていました。スペイン広場でメアリーがイタリア語で話しかけたのが最初の出逢いだったらしいのですが、同じ年に作られた「ローマの休日」でもスペイン広場が印象的な場面に使われていたのを思い出しますね。
 メアリーの甥ポールにはクレジットではディック・ベイマー。後の「ウエスト・サイド物語(1961)」のトニー役、リチャード・ベイマーの少年時代であります。

 物語は二人の別れのドラマなので単調になりそうですが、巧妙なプロットで男女の想いのすれ違いを描いていて、イタリアの主要駅であるローマ・テルミニ駅の紹介を兼ねたような構内の描写、色々な職業の人々や様々な人生模様も点描されていて見応えがあります。
 全編に漂う緊張感にはBGMも大いに貢献しておりましたな。

 お勧め度は★四つ。
 万人にお勧めするには、ヒロインの性格設定に少し難があるかなと。
 優柔不断なのは惚れた弱さと割り切れても、お土産のドレスを買う時に自分の娘の身長も分からない母親ってちょっとおかしいでしょう。しかもひと月もほったらかしてるし。観る回数を重ねる度に気になりました。

 トルーマン・カポーティが脚本に参加しているのは有名な話ですが、クレジットではダイアローグ担当と明確に書かれていました。
 そして、ジェニファーさんの洋服はクリスチャン・ディオールのデザインであると、これもクレジットされていました。





・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】 テアトル十瑠
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フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ

2016-09-03 | ラブ・ロマンス
(2015/サム・テイラー=ジョンソン監督/ジェイミー・ドーナン、ダコタ・ジョンソン、マーシャ・ゲイ・ハーデン/125分)


 「アルジェの戦い」、「ひまわり」と旧い作品が続いたのでここらで21世紀の作品をとレンタル店を覗いて、エロティック系と分かりつつもジャケットの女の子が可愛いかったのでオヤジの助平心を解放してコレ借りてきました。
 僕が若い頃にも「キャンディ」とか「ファニーヒル」とか、そして代表的なものとしては「エマニエル夫人」なんちゅう所謂ソフトポルノ的な作品があって、ついふらふらと観に行ったもんですが、最近のは「シェイム」とか「インフォマニアック」とかなんか病んでる感じが強くてねぇ。
 なんて言ってますが、これも幾分病んではいますな。

*

 allcinemaの解説を読むと、<世界中の女性を虜にした一大ベストセラーを映画化した官能ラブ・ロマンス>らしいです。
 原作者のE・L・ジェイムズというのは実は女性。
 女子大生が、若くして巨大な会社を作った青年社長と偶然に知り合い相思相愛になるも、なぜか男の方は私に恋してはいけないと一線を越えない。謎めいた男に更に惹かれるが、男も彼女とは別れがたく、“ある契約”を結んでくれたら一緒のベッドに寝ることが出来るという。果たして男のいう契約とは・・・。

 女性の隠れた願望とでもいうんでしょうか。確かにエロ小説を書く女性作家って多そうですもんね。

 要するに青年社長はサドでありまして、女性にはサディズムの対象者としての服従を求めてるわけです。
 日常的には紳士であり、仕事も有能であり、しかも教養もある。
 処女であった女子大生は、彼によって徐々に性にも目覚めていくが、“契約”を結ぶ事には躊躇してしまう。なにせ鞭やら拘束ベルトやらありとあらゆるサディスティックな道具がそろってるプレイルームまで彼の豪邸には備わっているんですから。
 “契約”には交渉の余地があって、二人は一度はテーブルを挟んで条項の削除や変更もしたりするし、その間も彼女の許せる範囲でSEXを楽しむこともある。大学も卒業し、彼の近くに引っ越したりもする。
 さて、この“契約”は結ばれるのか? はたまた、二人の関係はどうなってしまうのか?

 なんてね。

 監督は「ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ」のサム・テイラー=ジョンソン。
 なんと、この人もイギリス生まれの女性監督らしいです。

 青年社長クリスチャン・グレイに扮するのはジェイミー・ドーナン。ソフィア・コッポラの「マリー・アントワネット」に出てたそうですが、特別個性的でもないので覚えてないです。
 クリスチャン(皮肉な名前)は子供の頃に親から受けた性的虐待の被害者なんですが、映画はその辺の因果関係について追及することはなかったですね。

 僕が気になったジャケットの女の子、女子大生アナ(アナスタシア)・スティールを演じたのはダコタ・ジョンソン。こちら(↓)です。





 1989年10月4日テキサス州オースティン生まれ。
 父親はドン・ジョンソン、母はメラニー・グリフィスであります。ということは、お祖母ちゃんはティッピ・ヘドレンなんですねぇ。
 ついでにメラニーが再婚したアントニオ・バンデラスは義父にあたるわけです。
 僕の見た目では、お母さんより可愛いけど、色気は母方の血が薄い感じがしますね。

<2015年の2月に公開されたフィフティ・シェイズ・オブ・グレイでは、オーディションを受けて主役を勝ち取り、ヌードやラブシーンなどの難度の高い演技にチャレンジし話題になった。ダコタは、両親のドン・ジョンソンとメラニー・グリフィスは、サポーティブであるが今回の映画だけは見せたくない、そして両親も見ないと言っていると数々のインタビューで答えている。本作により、ピープルズ・チョイス・アワードのドラマ映画女優賞を受賞し、英国アカデミー賞のライジング・スター・アワード2016にノミネートされた>らしす。(ウィキペディアより)

 ヌードも綺麗だったけど、心理的な葛藤も繊細に表現されていて、個人的には更なる飛躍に期待大の女優さんです。

 2015年のアカデミー賞とゴールデン・グローブでそれぞれ歌曲賞にノミネート。
 不名誉なラジー賞(ゴールデン・ラズベリー賞)では、ワースト作品賞、ワースト主演男優賞、ワースト主演女優賞、ワースト脚本賞(ケリー・マーセル)を受賞、ワースト監督賞にもノミネートされたそうな。


・お薦め度【★★=助平心の解放と目の保養には、悪くないかもネ】 テアトル十瑠
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乱れる

2014-11-04 | ラブ・ロマンス
(1964/成瀬巳喜男 監督/高峰秀子、加山雄三、三益愛子、草笛光子、白川由美、浜美枝、北村和夫、藤木悠、十朱久雄、浦辺粂子/98分)


成瀬の「乱れる」を観る。初めてと思っていたけど、序盤からぼんやりと記憶があるような・・・。「乱れ雲」が好きなんだけど、これもイイなぁ。主人公らと同じような境遇の人がいたらバツが悪くならないかしら。なんて変なこと考えちゃいました。若大将が若い!酔っ払った時の喋り方がトシちゃんみたい。
[11月 1日 (Twitter on 十瑠 から)]

*

 昭和38年頃の静岡県のとある地方都市。小さな酒店を一人で切り盛りしている長男の嫁、森田礼子(高峰)がこの物語の主人である。
 18年前に嫁いできたが新婚生活はわずか半年足らず、夫は赴いた戦地で帰らぬ人となり、以来亡き夫に代わって一家の為に身を粉にして働いてきた。同居家族は年老いた義母(三益)と末の義弟、幸司(加山)。義父は数年前に病気で亡くなっていた。義妹が二人いるが、久子(草笛)も孝子(白川)も結婚して静岡市内に家庭を持っていた。
 世は高度成長時代。田舎町にもスーパーマーケットが進出してきて、昔からある小さな商店には死活問題となっていた。
 映画のオープニングがそのスーパーが開店1周年記念大売出しのコマーシャルを宣伝カーで放送しているシーンで、BGMに流れていたのは舟木一夫の「♪高校三年生」でした。

 幸司は大学を出てサラリーマンになったが1年も経たずに辞めてしまい、店の手伝いをするでもなくのらりくらりと暮らしていた。
 その夜も近くのバーで一人飲んでいるとボックス席の三人の男がホステス達にゆで卵の早食い競争をさせており、「馬鹿なことはやめろ」と文句を言った幸司と喧嘩となり、男たちに怪我をさせた幸司は警察の厄介になる。実はこの男達はスーパーマーケットの社員で、地元の商店仲間の日頃の鬱憤をついぶつけてしまったのだ。食べ物を粗末に扱う遊びにも腹が立ったのではあるが。
 翌日警察からの電話に応じた礼子は、義母には言わずに幸司を警察まで迎えに行く。幸司は礼子に「申し訳ない」と口では謝るが、その様子はまるで実の姉に甘えているようにも見えたし、礼子の態度にも優しい気持ちが表れていた。二人の会話でこれが3回目の警察沙汰だったことが分かる。

 久子が礼子に縁談話を持ってくる。
 いつまでもこの家に縛っている訳にもいかず、そろそろ幸司も嫁をもらってもいい歳だし、そうした場合礼子も暮らしにくくなるのではないかと言うのである。しかし、礼子は再婚する気はないと、それ以上は話に乗らなかった。夫の遺影を今でも毎日のように拝んでいるような女性なのだ。

 幸司の麻雀仲間の店主が商売の先行きを悲観して自殺するという騒ぎがあり、幸司は商社に勤める久子の夫に今の店をスーパーにする計画について相談をする。会社組織にした場合には礼子を重役にする、というのが幸司の第一条件だったが義兄(北村)は難色を示した。
 幸司の兄の戦死公報が届いた日に店は空襲で消失し、一家は疎開をしたが、礼子だけは残って焼け跡にバラックを立てて店を続けた。今の店があるのも全て義姉さんのおかげなんだからと、幸司は母親にも力説するのだった。

 幸司を訪ねて一人の女(浜)が店にやってくる。幸司が彼女のアパートに置き忘れた腕時計を持ってきたのだ。
 礼子は蓮っ葉な印象の女に幸司との関係を知ろうと近くの喫茶店に誘った。女の話では1週間に一度くらいは逢っているらしい。しかもその時は泊まっていくと言う。
 「それなら、次に幸司さんが来るまで預かってもらったら良かったのに」
 「そうもいかないのよ。だって、付き合ってるのは幸ちゃんだけじゃないもの」。悪びれる風もなく、女はそう言った。

 女が帰ったその夜、パチンコの景品をたくさん抱えて帰ってきた幸司に礼子は話を始めた。
 会社を辞めたのはあの女と別れたくなかったからなのか? どこにも真剣さが見えないあんな女とは別れたほうがいい。結婚する気があるのなら、もっと良い人を紹介するから、などなど。幸司を代表にして店をスーパーにするという計画を義母から聞いて、本気で説教をする気になったのである。しかし幸司は今は誰を紹介されたって興味はないと言い切る。
 結婚もせずにいつまでもあんな女とダラダラと付き合っている幸司を礼子は男として卑怯だと言う。
 すると「卑怯とまで言われたから言うけども」と、幸司は礼子に意外な告白を始めるのだった・・・。

*

 ご紹介したストーリーは前半部分の内容で、一見地方都市の家族のあれこれが、変わりゆく世相の中で散文的に描かれているように見えるかもしれませんが、実はこれは後半の義理の姉に対する弟の愛情の深さを描く為にあったというのが後で分かってきます。

 幸司の告白はずっと義姉さんとこの家に居たかったから会社の転勤の要請に応じずに辞めたということ、好きだということはずっと黙っているつもりだったという事でした。
 思いもよらぬ告白に礼子は動揺します。礼子が19歳で嫁に来た時、幸司はまだ7歳の子供だったのですから。可愛い弟と思って接してきたのに、まさかそんなことを思っていたなんて・・・。

 オリジナル脚本が高峰秀子の夫で後に映画監督にも進出する松山善三。礼子の故郷が山形県の新庄市になっていますが、横浜生まれながら岩手県盛岡市の大学を中退した松山の経歴で納得しました。
 既にカラー映画も沢山出てたはずなのに、この映画はモノクロです。相変わらず成瀬監督の語り口は滑らかで淀みがなく、モノクロのおかげもあるかもしれませんが、俳優たちの演技もさりげなく微妙な感情を描き出しています。


▼(ネタバレ注意)
 弟に告白されて動揺する礼子。
 自分でも分からない内に幸司を意識してしまい、むしろ彼が家に居ない時がホッとする毎日。それまで雇っていた配達の店員が辞めていったのも良かったのか悪かったのか。

 スーパーの件や、自分を心配した義妹からの結婚話などにヒントを得たのか、礼子はこの家を出ていく決心をします。その為に好きな人がいるという嘘も準備して、尚且つ事前に幸司にも余計な事を言わないようにと釘を刺して。

 後半は礼子が故郷の山形に帰る列車のロード・ムーヴィー。黙って同じ列車に乗り込む幸司。満員列車で離れ離れに時をやり過ごす二人の距離が、段々と近づいていく様子が微笑ましくも初々しい。まるで新婚旅行のようでもあり、駆け落ち旅行のようでもある。礼子にとっては姉弟での旅にも思えたのかも知れませんが。

 礼子は故郷の手前、大石田駅で途中下車し、銀山温泉に泊まることにします。生まれ故郷に幸司を連れて帰るわけにもいかず、ひと晩かけて説得し、静岡に帰らせるつもりだったのです。しかし、幸司の想いは予想以上に強く固く・・・。

 突き放したような悲劇的な閉幕には驚きましたなぁ。高峰秀子の名演技!
▲(解除)


 映画サイトでは前半と後半でムードが違うのが失敗だとの意見も散見しますが、僕はムードの違いは感じませんでした。むしろ、ジャンルは違いますがフランスの「恐怖の報酬」のように、“あの前半あっての、この後半”という印象が観る回数を重ねるたびに強くなりました。

 三益愛子は優柔不断な母親を好演。
 草笛光子、白川由美の義妹も如何にもな感じがよく出ていました。(僕の狭い経験からですが)商売人の子供達ってあんな風に割り切っているのが多いですよね。義理の姉の努力は認めるも、「森田屋」という看板あってこその店の再興である、その程度にしか考えてないのだと思います。

 1961年に「大学の若大将」がスタートして、すでに青春スターとして歩き出していた加山雄三が幸司役。おぼっちゃまらしさと大学出の知性が自然と滲み出るのが適役ですが、そこに義姉に対する一途な愛情をも感じさせる青臭さが意外な程に合っていました。

 そしてなんと言っても、薄幸のヒロイン役の高峰秀子が最高。30代最後の出演ですね。
 ラストシーンのクローズアップが圧巻ですが、ヒロインの心情が色々と考えられるので、じつはもやもやとしております。「ノー・マンズ・ランド」等のラストのもやもやはぶつけ先があるんですが、これは何にぶつければいいのかと。このもやもやで★一つマイナスにしました。





※ おまけのYouTube動画(仲代達矢が語る成瀬巳喜男と高峰秀子)




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あなたにも書ける恋愛小説

2014-10-15 | ラブ・ロマンス
(2003/ロブ・ライナー監督/ルーク・ウィルソン、ケイト・ハドソン、ソフィー・マルソー、デヴィッド・ペイマー、ジョーダン・ランド、ロブ・ライナー/95分)


 処女小説がそこそこ売れたが2作目が手につかずにスランプ中のボストンの作家アレックス。しかし、今の彼を最も悩ませているのはキューバのサラ金から借りた5万ドルの借金のことだった。
 ついに彼のアパートまでやってきた取り立て屋は二人共剛力の持ち主で、危うくアレックスは窓から真っ逆さまに落とされそうになった。新作小説を書いたら倍の10万ドルを耳を揃えて返すからと、なんとか30日の猶予をもらって事なきを得たが、商売道具のパソコンを壊された為にアレックスは速記タイピストを雇うことにした。
 やってきたのはエマ。ところが募集をかけたはずの法律事務所には全然見えないアレックスの部屋を見てエマはてっきりスケベ目的のとんでも野郎だと勘違いする。口述の為の速記で報酬は後払いとなれば応募者が来ないだろうとみたアレックスの策略だったが、事情を正直に説明し、処女作の写真付きのハードカバーも見せて説得を試みるのだった。
 エマは小説を読むかどうか決めるのにまず結末を読むタイプで、アレックスの処女作はその点では合格点だったようだ。

 「新作のテーマは?」
 「恋に魂を抜かれてもがき苦しむ哀れな男の話だ」
 「またコメディ?」
 「そうだ」
 「結末を聞いたら怒るかしら?」
 「それは僕にも分からない」
 「それで小説が書けるの?」
 「登場人物さえ決まれば話は勝手に流れていく。小説はそんなもんだ」
 「・・面白そう」

 かくして、エマはアレックスの執筆に一役買うことを決めるのだった・・・。

*

 何十年も映画を観てきたので2000年以降の作品は僕にとっては新作なんだけど、前回が2012年のフランス映画でお薦め度が低かったので、今度は同じく新作のアメリカ映画を見ることにした。新作を楽しめないのが年のせいだと思われたくないからね。
 原題は【ALEX AND EMMA】。
 「恋人たちの予感」、「最高の人生の見つけ方」などでご贔屓のロブ・ライナーの作品で、少し前にブックオフで買っていた中古DVDだ。前回に続いて新しいロマンス映画をと選んだだけだったのに、偶然にもヒロインが先週見たのと同じタイピストだったのに驚き。そしてオープニングのクレジットロールも同じくレトロな雰囲気のカラフルなイラストがバックだったのにも驚いた。

 アレックスに扮するのはルーク・ウィルソン。
 映画サイトで彼のフィルモグラフィーを見たけれど、90年代からご活躍なのにどれも観てませんでした。顎が張ってて中途半端なハンサムぶりがラブコメにお似合いな感じ。中途半端なのでシリアスなドラマにも挑戦できそうです。
 一方のエマには「あの頃ペニー・レインと (2000)」のケイト・ハドソン。僕には2作目だけど、今回はコメディだし、主役だし、印象は前作より強く残りました。口元がお母さんに似てるけれど、お母さんの愛嬌のある大き過ぎる瞳は引き継いでいないみたいで、その点シリアスな感情表現が上手そうですね。
 そして、小説に出てくるセクシーなフランス女性ポリーナに扮するのがソフィー・マルソーでした。1966年生まれですからこの映画の時は30代後半。「ラ・ブーム」でアイドルとして騒がれた頃には、既にその手の作品には興味の無かった僕には馴染みの薄い女優でしたが、すっかり大人の女優として魅力的になっていましたな。

 さて、この後映画はアレックスのアパートで執筆に勤しむ二人の掛け合いと共に、アレックスが話す物語が映像となって流れてくるパラレルワールドになっていきます。
 アレックスの書きかけの小説が映像化されるわけですが、口を挟むエマに影響されて筋書きが変化していったり、またアレックスのヒラメキで人物像が変わったりと如何にもコメディらしい展開。ロブ・ライナーらしくユーモアにも軽い毒があって楽しいです。

 小説の舞台は1920年代のアメリカ北東部の避暑地。主人公は若い作家で、次回に予定している大作をものにする間の小遣い稼ぎにと、避暑地にやって来たフランス貴族一家の子供達の英語の教師を請けおったのだ。雇い主である子供達の母親は離婚したばかりのシングルマザー、ポリーナ。美しい彼女と逢った作家はひと目で恋に落ちたが、ポリーナには既にパトロンがいた。家庭教師の費用もその男からの借金で、休暇が終わる頃には、男は彼女に結婚を申し込もうと考えていた。
 てな具合に小説の人物設定はなっているのですが、再現映像の主人公の作家は当然アレックス。そしてエマは貴族一家の家政婦として登場します。この家政婦が、最初はスウェーデン人、その後ドイツ人に、最後はアメリカ人と設定が変わっていくので、ケイト・ハドソンの一人数役が見れるというお楽しみもあるわけです。

 期限までに小説は完成を迎えるのですが、その間にアレックスとエマにも親密な感情が生まれてくる。小説が複雑な三角関係をどう処理していくかで揉めるも、何とかエマも納得の結末となる。ところが、小説がアレックスの実体験を反映していることに気づいたエマは・・・という展開です。
 ラブコメらしく、終盤の二人のケンカと仲直りが観てる方がニヤニヤしてしまう程に二段、三段構えで語られていきます。
 おっと、シドニー・ポラックばりに監督ロブ・ライナーが役者としても顔を出していたことを付け加えておきます。役は出版社の社長さんでした。





・お薦め度【★★★=ラブコメファンには、一見の価値あり】 テアトル十瑠
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いつか晴れた日に

2013-05-03 | ラブ・ロマンス
(1995/アン・リー監督/エマ・トンプソン、アラン・リックマン、ケイト・ウィンスレット、ヒュー・グラント、グレッグ・ワイズ、エミリー・フランソワ、ハリエット・ウォルター/136分)


 ジェーン・オースチンの「分別と多感」【原題:Sense and Sensibility】を女優エマ・トンプソンが脚色・主演した作品。
 例によって、この時代のイングランドでは遺産相続権は男子にしかなく、しかも女性には外で働く仕事がない。そんな時代の女性を主人公にした物語であります。
 オープニングで一家の主が死んで、残された奥さんは後妻で子供は娘ばっかり三人。死の床で主は先妻との間にできた長男に後妻と娘達の世話を託すが、金にうるさい長男の嫁が何かと口出ししてきて後妻家族は冷や飯を食わされる。英国版「渡る世間は鬼ばかり」みたいですな。ただ善人も登場するところが「渡鬼」とはチト違う。いや、随分違う。女性に厳しい世相に見えて、どっこい母となれば今度はつまらぬ嫁を掴みそうな息子には遺産はやらないぞと脅す権利はあるようで、ここにも女の戦いのネタがあるわけです。

 さて、冷や飯組の三人娘の長女エリノア・ダッシュウッドを演じるのが「日の名残り」のエマ・トンプソン。
 長女らしく分別があって、穏やかで、しかも人の心にも敏感な繊細な感性の持ち主。亡き父と暮らしたお屋敷を追い出されることになって、腹違いの兄から貰える財産に見合う質素な家を探したり、高価な食材を控えたり、もうすぐ別れる事になる使用人へのプレゼントを揃えたりと冷静さと配慮が賢妻の素質十分なのに、妹からするとお人よしに見えたりする姉であります。

 そのエリノアが恋するのが、腹違いの兄の嫁ファニーの弟エドワード・フェラーズ。扮するのは「ブリジット・ジョーンズの日記」などのヒュー・グラント。ラブコメでは女性の扱いが巧いイケメンのイメージですが、今作のエドワードは大人しく真面目で女性との約束は必ず守るタイプ。都会の喧騒よりも静かな田舎暮らしを切望する青年であります。
 兄嫁に乗っ取られたエリノアの生家に初めてやってきた時は、エリノアの12歳の妹マーガレット(フランソワ)に優しく対してくれてユーモアもあったのに、その後はひたすらぎこちなさばかりが目立って少し物足りなかったかな。

 エリノアの妹で、この物語のもう一人の主人公マリアンヌを演じたのが「タイタニック」のケイト・ウィンスレット。
 感性豊かで直情型のいかにも次女らしい行動派。土砂降りの雨の中、新しい家の近くで足を挫いて難儀していたところを助けてくれた若者に一目惚れ、この恋は彼女の生死にも関わるほどの事件に発展する。

 その男ジョン・ウィロビーに扮するのがグレッグ・ワイズ。
 初登場シーンは、マリアンヌが惚れるのも無理からぬ格好よさでありましたが、段々と遊び人らしさが露呈してくる男であります。オースチンの小説には必ず登場するタイプの人物。「渡鬼」のようにバッサリと切って捨てないところが深イイところか。でもやっぱし、ラストシーンの登場は蛇足の感が。
 データを見ていたら、なんとエマさんの(7歳下の)ご亭主でありました。

 ウィロビーの悪いところを知っていながら、ひたすらマリアンヌの幸せを願って遠くから見守る男、ブランドン大佐を演じるのがアラン・リックマン。「ラブ・アクチュアリー」ではエマ・トンプソンの旦那の役でした。
 若い時に恋人が貧しいからと親に結婚を反対され、その女性が後に貧困のうちに亡くなったという過去があり、恋には消極的になっている男盛りの35歳。マリアンヌのピアノの弾き語りに一目惚れ。ウィロビーとは因縁の関係にまでなるが、ついにはマリアンヌを振り向かすことが出来る。「ダイ・ハード」とは全然、全く違う役どころでした。

 その他、エドワードの内緒の婚約者ルーシーにはイモジェン・スタッブス、エリノア達のお母さんにはジェマ・ジョーンズ、そのダッシュウッド母子に自分ちのコテージを提供するママ・ダッシュウッドの従兄弟のジョン・ミドルトン卿にはロバート・ハーディ、最初にちょっとだけ出てくるパパ・ダッシュウッドはトム・ウィルキンソン、父親に頼まれながら結果的に反故にしてしまう先妻の息子ジョン・ダッシュウッドにはジェームズ・フリートが扮していました。
 ジョンの妻ファニーに扮したハリエット・ウォルターはドラキュラ役者のクリストファー・リーの姪っ子との事。そういえば、怖い顔が似てました。

 このありきたりに見える人間ドラマにオースチンらしい変化球を投じたのが、ジョン・ミドルトン卿の義母として登場するジェニングス夫人でした。義理の息子と同じく陽気でおしゃべりで世話好きな恰幅のいいオバアさん。エリノア達も最初はその詮索好きに辟易していたが、段々と彼女の人間らしい優しさが分かってくる。ミドルトン卿を含めて、いいアクセントになっていました。
 演じたエリザベス・スプリッグスは英国アカデミー賞で助演女優賞にノミネートされましたが、ケイト(ウィンスレット)に持っていかれたようです。2008年7月にお亡くなりに。合掌。

 ジェニングス夫人の娘夫婦についても書いておきましょう。
 母親と同じくお喋りな不細工娘シャーロットに扮したのは2004年の「ヴェラ・ドレイク」で主演オスカーにノミネートされたイメルダ・スタウントン。
 シャーロットは母親のような気遣いのできる女性ではなかったですが。
 そのご亭主で政治家のパーマー氏は「スチュアート・リトル」のパパ役、ヒュー・ローリーでした。

 NY批評家協会賞で監督賞を獲ったアン・リーの演出は、けれん味のない語り口ではあるが、悪く言えば個性がないとも言える。オススメ度は★四つ半。満点★にするか悩みながら、お話自体が「自負と偏見」に比べても弱い印象があるので四つ止まりにしました。ぶっちゃけ感想はツイッター(↓)から。
 なんて言いながら、後半では結構泣かされたんですがネ。
 人物のモデルについても触れていますが、ダッシュウッド家の三女マーガレットが後の「自負と偏見」のエリザベスになっているように思います。

*

(↓Twitter on 十瑠 より抜粋)

昨日の夕方、ゲオで「いつか晴れた日に」を借りる。
 [4月 30日 以下同じ]

「いつか晴れた日に」は夕べ観る。面白い。特典映像にGGで脚色賞を受賞したエマ・トンプソンのスピーチが入っていた。原作者J・オースチンが映画制作の感想を述べたらという仮定の文章をエマが作って語っている。傑作だった。漱石が写実の見本だといった彼女らしさがきっちりと出てた。さすが。

但し、ラストの結婚式はいるのかなぁ。「プライドと偏見」みたいに、そこは無しでも良かったのでは。「晩春」のように、巧い省略をして欲しかった。原作は「分別と多感」。エリノアとマリアンヌのことを言ってるみたいだけど、多分違うな。「自負と偏見」がダーシーとエリザベスのことでもないように。

J・オースチンのウィキを読むと、「分別と多感」は「高慢と偏見」より先に書かれた本のようだ。「高慢・・」はエリザベスがジェーン自身がモデルであるとすぐに想像できるが、「分別・・」は微妙だ。主人公のエリノアには、姉のカサンドラに自分を加えた性格を与えたような気がする。
 [5月 1日]

「いつか晴れた日に」2回目を観る。なんだろう?魅せるんだけどウキウキ感がイマイチなんだよねぇ。マリアンヌとエリノアの姉妹の恋物語を両方同じウェイトで描いてるんだろうけど、ちょっと妹の方を引きずり過ぎかな。エリノアの大逆転をクライマックスにしてサッと撤収・・くらいがイイと思うなぁ。
 [5月 2日 以下同じ]

後半のマリアンヌが雨の中で行方不明になるシーンで、編集ミス発見。心配そうに外を眺めるエリノアに厄介になっているお屋敷の夫婦がティーカップを差し出すんだけど、夫がエリノアに手渡したすぐ後に別ショットでその妻の方が・・・。エリノアは妻の方のも普通に受け取るので観てる方は??となる。

特典映像をもう一度見ると、アレはジェーン・オースチンがあの授賞式に参列していたらどんな感想を書くだろうかというエマの創作でした。参加者についての感想が主だが、最後がエミリー・トンプキンソンについて。自分の小説を勝手に使った悪女だと言い切る、仮想オースチンでした。





・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】 テアトル十瑠
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突然炎のごとく

2011-07-22 | ラブ・ロマンス
(1961/フランソワ・トリュフォー監督・共同脚本/ジャンヌ・モロー、オスカー・ウェルナー、アンリ・セール、マリー・デュボワ、サビーヌ・オードパン、ミシェル・シュボール/107分)


(↓Twitter on 十瑠 から

トリュフォーの名作「突然炎のごとく」を観る。2回目だろうか? 数十年ぶりだ。前は十代で、全く印象に残ってない。前半はさらさらと進んでさほど面白くもないが、中盤から俄然面白くなる。中盤からの妖しい心理劇の為に、序盤はことさらサラッと描いた様にも見える。もう一度観なければ掴みきれない。
 [7月 20日]

「突然炎のごとく」2度目を観る。これって、カトリーヌとジムの関係がメインだよね。「アデル」は未だに観てないんだけど、カトリーヌってアデルみたいな女性だよね。“去ると追う”みたいな、まるで男のような女。若い時なら惹かれるかも知れないけど、それでもジュールのようにはなれないね。
 [7月 21日 以下同じ]

ロシェ原作、監督トリュフォーではもう一つ「恋のエチュード」を観ている。こちらは、一人の男と二人の女の話。主人公は男で、その彼がナレーションをして話が進む。「突然炎・・」の方は、ナレーションが誰だか分からない。ジュールが第三者のようなふりで話している感じもあるが・・・。

「突然炎」が公開された1964年の双葉さんのベスト10は、1位から5位まで全部フランス映画だった。「かくも長き不在」、「突然炎」、「シェルブールの雨傘」、「軽蔑」、「去年マリエンバートで」。ヌーベル・バーグ真っ盛りっつう感じですな。

*

 上のツイートに関して一つ訂正しなければいけないのですが、「アデルの恋の物語」のヒロイン、アデルはこの映画のカトリーヌとは全然違う女性のようです。狂気の女性という意味では同じみたいだけど。

 さて、昨年亡くなった双葉十三郎さんが最高点の90点(☆☆☆☆★★)を付けた15作品の内の一つ。<映像による文学>と絶賛されておりました。
 原題は【JULES ET JIM(ジュールとジム)】。
 トリュフォーは、若い頃からアンリ・ピエール・ロシェの原作本を愛しており、この本を映画にする為に映画監督になったとまで言ったらしいです。

 1912年のパリから物語はスタートする。
 共に文学を愛するオーストリア青年ジュール(ウェルナー)とフランス青年ジム(セール)はモンパルナスで出会い、意気投合する。友人の写真に写っていた南の島の彫像にそっくりの魅惑的な美女カトリーヌと逢った時も共に惹かれるが、付き合っている女性がいなかったジュールが猛烈にアタックして二人は結婚する。
 やがて第一次世界大戦が始まり、ジュールとジムは敵国同士となるも、幸いにも戦場で相まみえることはなく、終戦後、文通が再開した頃には、ジュールとカトリーヌには女の子が産まれていた。
 ジュールの誘いに応じてジムはドイツに住む二人の所にやって来る。駅ではカトリーヌと彼女の娘が出迎えてくれた。緑豊かな山間に建つ2階建ての家。表面上は穏やかに見えていても、ジュールとカトリーヌの信頼関係は既に崩壊していた。ジムが独身時代のカトリーヌに感じていた行動の奔放さは結婚後もおさまることはなかったのだ。
 「カトリーヌを失うことが怖い。君がカトリーヌと結婚してくれたら、僕は友人としていつまでもカトリーヌのそばに居られる」。そう言って、ジュールはジムにカトリーヌとの結婚を勧めるのだが・・・。


 <ある種の映画監督たちは人生の断面(きれはし)を映画に撮る。私はケーキの断片(きれはし)を映画に撮る>

 こう言ったのはトリュフォーが愛してやまないA・ヒッチコックですが、トリュフォーがいつものようにサラッと描いた様に見えるこの映画も、二度三度と観る内に、どのシーンにもトリュフォーの想いが詰まっているように感じてきます。つまり、ロシェのケーキのその美味しい所だけを並べた様に。
 ただし、監督の思い入れが強い分、作者(つまりトリュフォーです)としては充分に描けていると思っているシーンでも、もともと登場人物に距離を置いた描き方をするのがトリュフォーの特徴ですから、一般観客からすれば物足りないと感じるのではないでしょうか?
 ロシェのもう一つの小説をトリュフォーが映画化した「恋のエチュード」は、男一人対女二人という、この映画と反対の人物構成をもつ作品ですが、主人公である男性のナレーションで話が進むので感情移入がし易いのに比べて、コチラはナレーションが第三者の立場をとっているので、その辺りも取っ付きにくい感じがあります。

 男二人対女一人というと、漱石の幾つかの小説も思い出してしまうのですが、日本人が描く葛藤とフランス人のそれは全く違うということを記しておきましょう。

 自らの感情に従順で、男に束縛されるのが、いや何物にも縛られるのが嫌いな女性。それがカトリーヌでしょうか。昭和世代の進歩的といわれた女優の多くが、ジャンヌ・モローを憧れの対象として語っていたようにも覚えています。
 ジュールは彼女を女王様のように扱うことによって愛を得ようとしたけれども、ジムはそうしなかった。
 後半でジムと再婚したカトリーヌが彼とベッドで喧嘩をした後、隣の部屋のジュールに慰めてもらった時に、彼女はこの映画で唯一涙をみせます。
 カトリーヌにとって、唯一自由に出来ない男、それがジムだったのでしょう。ラスト・シーンの激しさは彼女の愛情の深さでもあり、そこにも世の女性が憧れる要因があるのかも知れません。

 長編デビュー作「大人は判ってくれない (1959)」から数えて三作目。中盤の戦争シーンでは実際のニュース映像を盛り込み、男女の感情の機微を描くのにストップ・モーションや方形のアイリス・ショットなど実験的なテクニックも見せています。
 次回は最晩年に近い「隣の女 (1981)」を観てみようかと思います。





・お薦め度【★★★=一見の価値あり、出来れば二度以上観ることをお薦めします】 テアトル十瑠
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ロビンとマリアン

2011-03-17 | ラブ・ロマンス
(1976/リチャード・レスター監督/出演ショーン・コネリー、オードリー・ヘプバーン、ニコル・ウィリアムソン、ロバート・ショウ、リチャード・ハリス、イアン・ホルム/107分)


 時間が出来たので録画していた「ロビンとマリアン」を観る。1976年のリチャード・レスター監督作品。
 主演は、ロビンフッドにショーン・コネリー、恋人マリアンにオードリー・ヘップバーン。オードリーの遺作だったっけ、とか思っていたけど、違った。遺作は13年後の「オールウェイズ」だった。
 オードリー47歳の時の作品。ショーン・コネリーは一つ下だ。

 中世イングランドの伝説上の人物“ロビンフッド”の晩年を描いた物語で、十字軍の遠征に参加するも、王リチャードが亡くなったことから20年ぶりに故郷に帰ったロビンフッドが、かつての恋人で今は尼僧になっているマリアンと再会、再び愛を取り戻すのだが・・・というお話。

 リチャード王に扮するのが同じ名前のリチャード・ハリス。中世の騎士がお似合いのハリスやら40代のコネリー扮するロビンフッドが出てくるので、勇壮なドラマかと思っていたら、最後にはアッと驚く結末が待っていて、個人的には肩すかしの作品だった。

 脚本は68年の「冬のライオン」でオスカー受賞のジェームズ・ゴールドマン。
 時のイングランド王も出てきて、国民に重税を科している様子も出てくるので、伝説のように圧制者と戦う勇ましいドラマになるのかと思っていたら、allcinemaのジャンルもロマンスになっている通り、結末は蜂起した民衆は忘れ去られて、ロビンとマリアンの愛の結末だけを追ったものになっている。
 確かに、終盤にマリアンのロビンに対する深い愛情を示すシーンもあるにはあるが、構成的には結末は尻切れトンボで破綻している感がある。

 ロビンの相棒リトル・ジョンにはニコル・ウィリアムソン。同じ年に彼がシャーロック・ホームズに扮したハーバート・ロス作品、「シャーロック・ホームズの素敵な挑戦」が双葉先生の評価が高かったのを覚えている。
 ロバート・ショウはロビンの故郷の代官役。最後はロビンフッドとの決闘シーンがある。

・お薦め度【★★=終盤近くまでは、悪くはないけどネ】 テアトル十瑠
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バス停留所

2010-11-09 | ラブ・ロマンス
(1956/ジョシュア・ローガン監督/マリリン・モンロー、ドン・マレー、アーサー・オコンネル、ベティ・フィールド、アイリーン・ヘッカート、ホープ・ラング/95分)


 数十年前の十代の頃にテレビで観て好きになった映画で、マリリン・モンローの出演作の中でも一、二を争う面白さだし、彼女の演技としても最高の部類の作品ではないかと思っている。
 ちょっと頭の足りない、男好きの、でも根が優しい女性という彼女のお得意とされた役柄だけど、一つの映画の中で揺れ動いていくヒロインの心情が上手く表現できているし、特に終盤での、嫌いだった男の優しさに触れて心変わりしたけれど、その事を打ち明けられない女のいじらしさ、そこににじみ出る色っぽさには、今観てもノックダウンされる男性ファンは多いことでしょう。

*

 モンタナの農場で育った世間知らずのカウボーイが、ロデオ大会に出場するために大先輩と二人で大きな町に出かけ、そこで酒場の売れない歌手に惚れる。女に触れるのも初めてのカウボーイだったが、彼女はまさしく夢に描いた通りの彼の“天使”だった。身寄りの少ない流れ者の“天使”は、カウボーイの熱さと優しさに、つい『私も好きよ』と言ってしまい、単細胞の青年は勝手に婚約成立と決め込んでしまう。
 『明日ロデオ大会で優勝するから、その後会場で結婚式を挙げよう』
 思い込んだら一本道。大先輩の忠告も受け付けないカウボーイは、次の日の早朝に“天使”のアパートに押し掛け、ロデオ会場に連れ出していく。結婚指輪を買い、神父まで呼びつける段取りの良さに怖じ気づいた“天使”は、カウボーイの先輩や酒場の仲間に助けられて、彼に見つからぬようにこっそり町を出て行こうとするのだが・・・という話。

 “天使”は勿論、マリリン・モンロー。役名は“天使”が勝手に芸名としたシェリー。カウボーイは言いにくいからとチェリーと呼び替える。
 アクターズ・スタジオでお勉強をした後の出演だそうで、丁度30歳の頃の出演ですね。わざと下手に唄っているのも可愛らしいです。

 ジム・キャリーに似ているカウボーイは、これが映画初主演というドン・マレー(アカデミー助演男優賞ノミネート)。モンローより3歳年下ですが、映画の中では21歳という向こう見ずで元気一杯の若者を、それこそジム・キャリー風のハチャメチャとも言えるような怪演で見せる。今年の夏、BS放送を録画して数十年ぶりに再見した時には、こんなにも無茶苦茶な若者だったっけと、その強引さにDV男のような嫌なものを感じたのですが、先日久しぶりに観たら気にならなくなっていました。世間知らずの傲慢青年の若気の至りと思いながら観られることをお薦めします。
 役名はボーレガード・デッカ-。フランス人の母親が付けた“ハンサム”という意味の名前。通称ボーでした。

 ボーの人生の指南役がアーサー・オコンネル扮するバージ。ボーが幼い頃から父親代わりのように接してきたカウボーイの大先輩。こんな親子のような関係を清々しく描いた作品はアメリカ映画にもなかなかお目にかかりませんな。特に最近は。
 オコンネルは、同じローガン監督の前作「ピクニック」にも出ております。

 その他、序盤に登場し終盤には重要な役回りのバスの運転手がロバート・ブレイ、停留所のグレイス食堂の女将さんがベティ・フィールド、シェリーの酒場仲間にアイリーン・ヘッカート、そしてグレイスの知り合いの娘でバスの行き帰りに同乗するのがホープ・ラング。

 元々はウィリアム・インジの舞台劇とのことで、映画でも2回登場する軽食喫茶兼宿泊所付きのバス停留所やシェリーが勤めている酒場なんかが背景になっているんでしょうが、「七年目の浮気」や「ティファニーで朝食を」の脚本家ジョージ・アクセルロッドは、モンタナの農場、大平原を走る長距離バス、迫力あるロデオ大会のシーン等を挿入して空間的な広がりを印象付け、ロード・ムーヴィー的なムードも作り出しています。
 舞台劇を想像すると、まるで松竹新喜劇のような人情ロマンスで、ボーとシェリーの危なっかしいカップルとそれを見守る大人達の紆余曲折具合を、のんびりとした気分で観ていくのがよろしいでしょう。

 お好み度は★四つ、お薦め度は★一つ控え目に。





・お薦め度【★★★=一見の価値あり】 テアトル十瑠
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ホリデイ

2010-11-03 | ラブ・ロマンス
(2006/ナンシー・マイヤーズ監督・共同製作・脚本/キャメロン・ディアス、ケイト・ウィンスレット、ジュード・ロウ、ジャック・ブラック、イーライ・ウォラック、エドワード・バーンズ、ルーファス・シーウェル、シャニン・ソサモン/135分)


 最近、古い映画ばかり紹介しているので、この辺で先日TV放送された21世紀の作品をば。
 ナンシー・マイヤーズの、彼女なりの“映画愛”が詰まった作品、といったところでしょうか。

 遠くに住む者同士が旅の宿泊費用を安くあげようと互いの家を交換するのが“ホーム・エクスチェンジ”のはじまりのようですが、「ホリデイ」はロンドンとロサンジェルスに住む二人の女性が、失恋の痛手を癒そうと、クリスマス休暇に“ホーム・エクスチェンジ”をする話です。

 ケイト・ウィンスレット扮するロンドンの女性アイリスは新聞社の編集員で、長年付き合ってきた同じ会社の男性社員に『僕たちは合わない』と一方的に別れを宣言された上にクリスマス直前に彼氏の婚約を知らされてしまう。それでも付き合っていた頃の優しさが忘れられず、彼が『合わない』と感じたのは自分に非があるのではないかと思っている。

 キャメロン・ディアス扮するアマンダはロスの自宅兼オフィスで映画のPV製作会社を経営しているが、多忙な彼女に相手にされないのが不満な同棲相手が浮気をした事に腹をたて、ヒモ同然の彼を追い出してしまう。
 そんなアマンダがクリスマス休暇を遠くで過ごすことを思いついて、インターネットの“ホーム・エクスチェンジ”のサイトを探して、登録してあったアイリスの家を選んだという次第。

 面識のない相手に家の鍵を渡すなんてあり得な~いと思ってしまいますが、“ホーム・エクスチェンジ”のサイトは実在するし、彼方では結構古くからあるシステムのようです。実際の手続きを細かく描いたら倍くらいの面白エピソードが出来そうなのにと、最初は大雑把な脚本に不満でしたが、案外常識として定着してるのかもしれませんな。

 主人公達の心情のみを追いかけていて、それも細かな部分はバッサリと切り落とした印象がある本で、でも自分でも意外に楽しめてしまいました。特にアマンダとジュード・ロウ扮するグラハムのエピソードが好きで、本としても一番力が入っている部分ではないですかな。二人の恋愛の進展具合だけでなく、周囲の複雑な事情(^^)の明かし方も上手かった。それに正面から見たキャメロン・ディアスが思った以上に美人で可愛かったし、ロウのハンサムぶりもロマンチックな雰囲気に合っていたかなぁと。
 でも続けて2度目を観る気にはなりませなんだ。男女のああいう話って、もう何度も観たような気がしますからね。
 それと、時の流れが不明瞭な感じがしましたな。時差のある場所が平行して描かれてるからだけではなく、詰め込み過ぎたエピソードの整理が悪いんでしょう。

 『ナンシー・マイヤーズの“映画愛”が詰まった』と思うのは、ロスのアマンダの家の隣に住む老人アーサー(ウォラック)が著名な映画の脚本家という役どころで、偶然知り合ったアイリスにお薦め映画のリストを作ってあげたりとか、アマンダの仕事仲間で作曲家のマイルズが、レンタル店でアイリスに素敵な映画音楽の作品を紹介する場面(ダスティン・ホフマンが一瞬出てきます)があるからで、アレはまさにマイヤーズさんのお薦め映画に違いないんだろうなぁと。

 恋に恋する若い人にはお薦め度★三つ。

 ところで、カリフォルニアってクリスマスでも屋外プールで泳げるほど暖かいの?





・お薦め度【★★=悪くはないけどネ】 テアトル十瑠
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■ Information&Addition

※gooさんからの告知です:<「トラックバック機能」について、ご利用者数の減少およびスパム利用が多いことから、送受信ともに2017年11月27日(月)にて機能の提供を終了させていただきます>[2017.11.12]
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●映画の紹介、感想、関連コラム、その他諸々綴っています。
●2007年10月にブログ名を「SCREEN」から「テアトル十瑠」に変えました。
●2021年8月にブログ名を「テアトル十瑠」から「テアトル十瑠 neo」に変えました。姉妹ブログ「つれづる十瑠」に綴っていた日々の雑感をこちらで継続することにしたからです。
●コメントは大歓迎。但し、記事に関係ないモノ、不適切と判断したモノは予告無しに削除させていただきます。
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◆【管理人について】  HNの十瑠(ジュール)は、あるサイトに登録したペンネーム「鈴木十瑠」の名前部分をとったもの。由来は少年時代に沢山の愛読書を提供してくれたフランスの作家「ジュール・ヴェルヌ」を捩ったものです。
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テアトル十瑠★ バナー作りました。リンク用に御使用下さい。時々色が変わります。(2009.02.15)