テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。

■ YouTube Selection (予告編)


♪クラプトン♪

激しい季節

2018-10-22 | ドラマ
(1959/ヴァレリオ・ズルリーニ監督・共同脚本/エレオノラ・ロッシ=ドラゴ、ジャン=ルイ・トランティニャン、ジャクリーヌ・ササール、フェデリカ・ランキ/93分)


 先々月のポートレイトクイズの女優さんが主演の、大昔から観たかった映画でありますが、ツタヤの準新作コーナーで見つけました。最近DVD化されたんでしょう。
 監督は「鞄を持った女」のヴァレリオ・ズルリーニ。長編劇映画の監督としては2作目だそうで、1926年生まれですから当時33歳くらい。エレオノラさんとはほぼ同級生でありました。

*

 1943年の夏、イタリア東部のアドリア海沿岸の避暑地が舞台。
 第二次世界大戦の真っ只中ですが、映画の中盤で時のムッソリーニ政権が倒れ、この後南北に国が分断されてしまうのですから、「激しい季節」というのはその事なんでしょうかネ。エレオノラさんとトランティニャンとの激しい恋がメインストーリーと紹介されていたので、何となくそっちの意味合いかなぁと刷り込まれておりましたが、両方含んでいるのかも知れません。当時の雰囲気が認識出来てるともっと理解し易いんでしょうが、映画もその辺の空気感の共有が前提として描かれているみたいで、観ながら原作小説があるのだろうと勝手に思っていました。しかしクレジットにはなかったですね。
 脚本は監督とスーゾ・チェッキ・ダミーコ、ジョルジオ・プロスペリとの共作らしいです。

 さて、物語について。
 戦争真っ只中にも関わらず、お金持ちの子弟達は自前のヨットで海で遊んだりテニスに興じたりダンスパーティーを開いたりとのほほんと暮しています。そんな中にムッソリーニ政権に近しいファシストの重鎮を父に持つカルロ(トランティニャン)がいました。映画の冒頭でカルロはローマ辺りから避暑地に列車で戻ってきた様子で、他の若者たちは歓迎していました。

 オープニングクレジットのバックで、港で大勢の群衆が見守る中、小舟に乗せられて一人の若者が4、5人の警官だか軍人だかに救出されるシーンがあって、その後のシーンと結びつかなくてその意味合いが理解できてないんですが、あの若者はトランティニャンだったと思うので、事故だか何らかの事件だかで都会の病院に療養に行っていたのでしょう。自信は無いですが、そんな風にとりあえず考えています。

 そんな若者たちが海で遊んでいる時に軍用機が低空飛行をして海水浴客を脅し、泣き出した女の子をカルロが介抱、その子供の母親がエレオノラ・ロッシ=ドラゴ扮するロベルタだったんですね。
 ロベルタはつい最近海軍将校である夫を亡くしたばかり。避暑地の別荘に実の母親と共に暮していたのでした。
 若者達の中にはカルロに思いを寄せる少女ロッサナ(ササール)もいましたが、ロベルタに逢ったとたんに彼は恋に落ちました。

 ロベルタの夫の妹マッダレーナ(ランキ)が戦火を避けてロベルタの所にやってきますが、ロベルタは年が近いカルロ達を紹介し、自然ロベルタも若者達との交流に付き合う事になっていきます。こうして、前半は段々と近しくなっていくカルロとロベルタとの関係と、それに嫉妬するロッサナの様子が描かれます。

 ロベルタの母親はカルロの素性を察して、ロベルタに彼との交際を止めさせようとしますが、最初は自重していたロベルタも或る夜のダンスパーティーでカルロと踊った時から、自身の抑えきれない想いを感じるのでした・・・。

*

 ダンスシーンで流れるサックスの曲は昔聞いた覚えがありますが、実にセクシーな音楽でしたねぇ。
 後半のストーリーは“ネタバレ注意”の中で書きますが、先行きの見えない未亡人と若い青年の恋は混乱の時代の波に飲み込まれていきます。
 燃え上がる二人は、ついにはロベルタが深夜にカルロを自宅に招き入れるシーンまであるのですが、どういうわけかその夜のシーンがジャンプカットのように消えてしまっていて、ここがDVDに特典映像として収録されている二人のベッドシーンなのかも知れません。
 ロベルタと母親との軋轢、マッダレーナの離反、カルロの父親のシーンなど、主役二人の周辺事項も盛り込んだストーリーは所謂求心力を薄めていった感がありくい足りないので、お勧め度は★二つ半です。


▼(ネタバレ注意)
 ロベルタとカルロの恋は、ロベルタの母親にも反対され、マッダレーナも離れていき、ロベルタ自身が先行きが明るくない事を承知していました。しかし、彼女が母親に告白するように、ロベルタにとっては初めて自分を解放した恋だったのです。母親に言われるままに年の離れた夫と結婚した。そんな想いもあったのでした。
 ムッソリーニが失脚し、カルロの父親の資産も差し押さえられ、逃れられていた徴兵にも応じなければいけなくなり、ロベルタとカルロは確たる計画もなく逃れるように列車に乗り込みますが、大きな駅に着いた頃、突然列車を爆撃機が襲います。
 大勢の乗客が混乱する中、一度は別れ別れになったカルロとロベルタは、死者や怪我人が横たわり悲鳴を上げながら逃げ惑う人々の中で再会。線路に横たわる少女の遺体を見るにつけロベルタに我が子を案ずる気持ちが湧いてきたのを感じたカルロは、彼女を一人列車に乗せ家族の元へ帰るように言うのです。そして自分はここに残る、と・・・FINE。

 特典映像を改めて観ると、ロベルタのセリフは夜明けの海辺の砂浜の上でカルロと抱き合った時のものとほぼ同じでした。つまり、ベッドシーンを砂浜のシーンに差し替えた模様です。
 いずれにしても、若いズルリーニの過激な演出はプロデューサーにカットされて、思い通りには出来なかったのかも知れませんね。
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お薦め度【★★=エレオノラさんは、悪くはないけどネ】 テアトル十瑠
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黄昏 (1951)

2018-09-26 | ドラマ
(1951/ウィリアム・ワイラー監督・製作/ジェニファー・ジョーンズ、ローレンス・オリヴィエ、ミリアム・ホプキンス、エディ・アルバート、ベイジル・ルイスデール、レイ・ティール/122分)


 マーク・ライデルの「黄昏 (1981年) (1981)」が出るまでは「黄昏」といえばこの映画を思ったものだけど、TV放映もあったのかなかったのかも記憶になくて、ずっと未見だった。数年前にDVDを買ってやっと観た。とは言っても実はもうひと月前のことで、気分がのらなくて備忘録は放置していた。

*

 「陽のあたる場所【原題:アメリカの悲劇】」などで知られる作家セオドア・ドライサーの小説「シスター・キャリー」が原作。
 脚本はルース・ゲイツ、オーガスタ・ゲイツの共作。この二人は「女相続人」も書いているけれど、その名前からしてご夫婦でしょうな。

 まずは備忘録にぴったしのちゃんとしたストーリー紹介がウィキにあったので転載しましょう。

<田舎娘キャリー・ミーバーは姉夫婦をたよってシカゴにやって来るが、働いていた工場で怪我をしたためにクビになってしまう。路頭に迷ったキャリーはシカゴに来る際の汽車で知り合った調子のいい男チャーリー・ドルーエを頼って会いに行く。再会を喜ぶチャーリーはキャリーに金を渡し、一流レストラン「フィッツジェラルド」での食事を強引に約束させる。その夜、キャリーは渡された金をチャーリーに返すつもりでフィッツジェラルドに行くが、支配人ハーストウッドの計らいもあり、結局、チャーリーと食事を共にすることになる。そしてチャーリーは言葉巧みにキャリーを自分の部屋に連れ込み、結局そのまま同棲に持ち込んでしまう。
 チャーリーとの同棲生活を仕方なく続けていたキャリーは近所の目が気になり、チャーリーにいつになったら結婚してくれるのかと問いつめるが、のらりくらりとかわすだけのチャーリーにキャリーは苛立ちを募らせる。そんなある日、チャーリーはハーストウッドを友人として家に招く。そして仕事で家を留守にする間、キャリーの相手をしてやって欲しいとハーストウッドに頼む。
 金持ちの妻との冷えきった夫婦関係に息が詰まっていたハーストウッドは素朴なキャリーに次第に惹かれて行く。キャリーもまたハーストウッドに強く惹かれて行く。そして、2人の関係がハーストウッドの妻に知られると、ハーストウッドは発作的に店の金を盗んで、キャリーと駆け落ちし、ニューヨークに向かう。
 ニューヨークで2人だけの新生活を始めたものの、盗んだ金を返さざるを得なくなったことから一文無しになる。 また金を持ち逃げしたことが知られたハーストウッドはまともな仕事に就けなくなり、2人の生活は困窮を極める・・・>

 原作のタイトルが「Sister Carrie」だし映画の原題も「キャリー」だから、本来はキャリーの成功物語がメインなんだろうけど、中盤以降は邦題の「黄昏」がなるほどと納得できるようなジョージが主人公のストーリーになっておりました。
 マーク・ライデルの「黄昏」はまさに年齢的なものが人生の黄昏時期になっている老人が主人公なんだけど、ワイラーの「黄昏」は経済的な困窮と共に人生が落ち目になっていく男を描いているんですな。
 結婚した時には自分より育ちのいいお嬢さんだったろう奥さんは、実は金に細かく、体裁を気にして何かと上から目線でモノを言う女性だった。そんな奥さんとの関係が冷え切っていたジョージは、たまたま出逢った田舎娘キャリーの美しさと無垢な心に惹かれていく。
 しかし、ま、自分が既婚者である事を黙っていたりと何かと中途半端な対応が見えるのがジョージの甘さでしょうか、段々とこの冷酷な奥さんに追い込まれていく過程が怖いです。お金の件も全然盗む気はなかったのに、「フィッツジェラルド」のオーナー社長から今後は君の給料は奥さんの口座に振り込むからと不倫のお仕置きを言い渡されて、絶望的な気持ちになり、偶々預かることになってしまっていた会社の大金入りの封筒をそのまま退職金代わりと持ち去っただけなんですね。
 結局、このお金は返さざるを得なくなり、しかも社会的な裏ブラックリストにも載ることになり、生活の歯車が狂ってしまうわけです。
 強欲女も怖いけど、不倫も怖いなぁ。

 初登場の時には、品があって頼もしさが溢れんばかりの中年男にぴったしのオリヴィエが、終盤ではみすぼらしいホームレスになっていく。流石の名演技でした。
 そのジョージの血も凍るような冷酷妻を演じたのがミリアム・ホプキンス。「女相続人 (1949)」、「噂の二人 (1961)」などワイラー作品への出演も多い女優さんです。
 狡賢さもみせるチャラ男チャーリーに扮したのが「ローマの休日」でひげ面のお人好しカメラマンを演じたエディ・アルバート。どちらかというとこういう悪役系の方が多い方の様です。

 51年は「陽のあたる場所」、「欲望という名の電車」、「セールスマンの死」、「探偵物語」など暗い映画が多いんですが、これもそんな一つ。
 翌年のアカデミー賞では、美術監督・装置賞(白黒)と衣装デザイン賞(白黒)にノミネートされたそうです。衣装は彼のエディス・ヘッド(Edith Head)ですね。


▼(ネタバレ注意)
 ウィキの後半のストーリーも載っけておきましょう。

<そんな中、キャリーは舞台女優になる。そしてハーストウッドを元の家族に返してやろうと、ハーストウッドに結婚した息子に会いに行くように言い、彼の留守中に姿を消す。ハーストウッドは息子に会いに行くが、遠くから息子の姿を見ただけでニューヨークに戻る。しかし、そこにキャリーの姿はなかった。
 数年後、キャリーは女優として大成功を収めていた。スターとなった彼女を訪ねてやって来たチャーリーの言葉で、ハーストウッドが店の金を持ち逃げしたために二度と家族の下に帰ることができないことを初めて知ったキャリーはハーストウッドの行方を探すが、浮浪者にまで落ちぶれたとの目撃情報しか得ることは出来なかった。
 ある夜、公演後の楽屋口でキャリーに物乞いをする浮浪者が現れる。それはまぎれもなくハーストウッドであった。その姿にショックを受けたキャリーは彼を楽屋に連れて行き、再びハーストウッドとやり直そうと当座の金を渡すが、小銭の方がいいと言うハーストウッドのために事務所に借りに行く。しかし、その間にハーストウッドはキャリーから渡された金の中から小銭を1つだけ取って出て行く>

 小説の方は、キャリーは無気力になっていったジョージを見捨ててしまい、ホームレスになった彼は木賃宿でガス自殺、有名女優になったキャリーに残ったものは虚しさと孤独感だった、というようなペシミズム感満載の終わり方らしいけど、ワイラー版はそこまでには描かなかったみたい。
 ジェニファー・ジョーンズ演じる映画版キャリーは最後まで善い人でした。

 ただねぇ。終盤のジョージの気持ちはよく分かりませんな。キャリーに会いに行ったという事はまだ生き抜いていこうという気持ちがあったはずなのに、小銭だけ取って姿を消す意味が分からない。
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 お勧め度は終盤のジョージの気持ちが測りかねるので★三つ半。
 若い人には薦めませんが、人生の修正がききにくい中年以降の男性陣には★半分おまけです。





お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】 テアトル十瑠
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セイブ・ザ・タイガー

2018-07-13 | ドラマ
(1973/ジョン・G・アヴィルドセン監督/ジャック・レモン、ジャック・ギルフォード、ローリー・ハイネマン、パトリシア・スミス、ララ・パーカー/101分)


 大昔にジャック・レモンが主演オスカーを獲った映画として記憶しておりましたが、1973年でしたか。「ペーパー・ムーン」、「スティング」、「ジャッカルの日」など名作が目白押しの73年でしたので、賞レースにも関心が高かったんでしょうかね。
 『SAVE THE TIGER(虎を救え)』なんちゅうタイトルではどんな映画かも分からず、結局日本では未公開なので「SCREEN」でも紹介されませんでした。今回近所のゲオさんで見つけて内容不明のままレンタルしてきました。

 地味、であります。
 後に「ロッキー」を撮るアヴィルドセン監督らしからぬ地味さ加減であります。

 主演のレモンが扮するのは西海岸のビヴァリーヒルズに居を構える服飾メーカーの社長ハリー・ストーナー。ニクソン政権下で経済も悪くなっていた時代で、従業員100人に満たない中企業のオーナーの資金繰りに汲々している二日間を描いた作品であります。
 『SAVE THE TIGER』というタイトルは、街頭で絶滅にひんしている虎などの野生動物の保護を訴える男がチラっと出てくるのがヒントになっているんでしょうが、要するにストーナーさんもそういう絶滅危惧種の人間であるという事なんでしょうね。

*

 第二次世界大戦ではイタリアに従軍し大勢の仲間を失ったハリー。あれから数十年、会社を興してなんとかやって来たが、最近はやたらと昔を懐かしむことが増えてきて、妻には精神科のセラピーを受けるようにと言われている。毎朝、何かにうなされながら起きているからだ。
 一人娘はスイスに留学させており、それは妻の方針だった。この国の近頃の若者ときたら・・・、というのが彼女の考えだった。
 政治も文化も混迷を極めていた、そんな時代だったのでしょう。

 会社は今日、ホテルでの新作ショーという大きなイベントが控えているのだが、意見の合わないデザイナーと裁断師のもめ事や、資金繰りの対処を巡っての経理マン(ギルフォード)との意見のくい違いで神経は安まらない。時々、野球に夢中だった若い頃を思い出すのが心安らぐ時間だった。そして、カーステレオで聴くオールディーズも。
 ショーに合わせてバイヤーもやって来るが、老舗のバイヤーの変態社長の要望にも応えなくてはならない。ここでも経理マンとのやるせない口論が発生する。
 資金調達の案としてハリーは自社工場に放火をして保険金を受け取るしかないと言い出す。右腕の経理マンはそれは犯罪だからやめろと言うが、他に名案もなく、ハリーはその手のつてを頼ることにするのだが・・・。

*

 大きなドラマはありません。男同士の口論というか議論は何度も出て来ますが、決裂することはなく、淡々と流れていきます。
 特に若い人にはお薦めしにくい作品ですが、市内でヒッチハイクする娘(ハイネマン)との交流や、コールガールの登場やら、時代風俗などオジサン世代には懐かしいです。

 製作及びオリジナル脚本のスティーヴ・シェイガンの力作と言えるでしょう。
 アカデミー賞では、レモンの主演男優賞以外に、助演男優賞(ギルフォード)、脚本賞にノミネートされたそうです。

 一夜を共にしたヒッチハイク娘に語るハリーのこの言葉が印象的。
 『犬でも猫でもなんでもいい。何かを愛したい』





・お薦め度【★★★=一見の価値あり】 テアトル十瑠
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スティーブ・ジョブズ

2017-12-01 | ドラマ
(2015/ダニー・ボイル監督・共同製作/マイケル・ファスベンダー、ケイト・ウィンスレット、セス・ローゲン、ジェフ・ダニエルズ、マイケル・スタールバーグ、キャサリン・ウォーターストン/122分)


 スティーブ・ジョブズ。
 友人のウォズニアックと共にガレージでのパソコン開発を経て「アップル」を立ち上げるも、その後自ら招聘したペプシ・コーラのジョン・スカリーに会社を追われ、数年後には復帰し、iMacやiPod、そしてiPhoneを発売して伝説となった人物でありますな。2011年に50代半ばにして膵臓がんで亡くなった後、書籍や映画にも取り上げられたし、スタンフォード大学でのスピーチも感動的としてyoutubeで話題になりました。
 僕自身は実は「Apple」も「Macintosh」も使ったことがありません。MS-DOS時代はNECのPC-9801シリーズだったし、Windowsが発表されてからも3.1まではNEC、95からはdos/v機を使ってました。一応、「Apple」も「Macintosh」も名前は知っていたんです。MS-DOSを使っている頃に既にマウスを使ったり、グラフィックに強いという噂は聞いていたんですが、なにせ仕事でめぐり会うことがなくってですね。iMacが話題になった頃もパソコン店に行って触ったりしましたが、2台も買う余裕は無いし・・・。

*

 さて、そんなジョブズさんの半生を「スラムドッグ$ミリオネア」のダニー・ボイルが描いた作品です。
 半生というか、彼の有名な3作品の発表会に焦点をあてて、その舞台裏での出来事のように描きながら、彼を取り巻く人々との関係性を暴いた映画ですね。
 ケイト・ウィンスレットが扮するのはジョブズの立場が変わってもずっと彼の秘書的な役割を担った女性ジョアンナ・ホフマンで、映画的には狂言回しのような人物。二人の関係性についてはドラマ的には特に膨らみはもたせてないですね。
 その他に実在した人物で取り上げられているのは、冒頭に書いたウォズニアック、ジョン・スカリー、そしてプログラマーのアンディ・ハーツフェルドが大きいでしょうか。それと、認知拒否している娘リサとの関係も彼の人間性を描くのに大いに利用されているようです。

 彼の有名な3作品。
 最初は「Macintosh」。意気揚々と部下を叱咤しながら公表するも、思惑は外れて売上は予想外に伸びず、社を追われることになる。

 2番目はアップル退社後に立ち上げた新しい会社NeXTでのワークステーション「NeXTcube」。僕はこの立方体のNeXTcubeのことは知りませんでしたし、映画でもこれは失敗作として扱われていました。
 ところが、このNeXTがソフト会社と変貌していった先に待っていたのが、ジョブズのアップル復帰だったんですね。

 経営に行き詰っていたアップルを買収したジョブズは、1998年にiMacを発表して一代センセーションを巻き起こすのです。
 3番目のiMacの成功は彼の人間性も変えたようですが、確かに変わったと観客が納得するまでには描かれていないように感じました。

 3作品の発表会前の数十分を、彼と取り巻く人々との会話劇として描き出していて、とにかくクロスカットの連続で、しかもその一つ一つのショットが短くてせわしないのが第一印象。疲れました。「スラムドッグ$ミリオネア」も確かにスピード感に溢れた映画でしたが、ここまでせわしなくはなかったと思うけど。

 お勧めは★二つ半。神経が疲れたので半分マイナス。
 暴露劇としては面白いかも知れないけど、ジョブズの人間味の発露を期待すると肩透かしを食うでしょう。
 天才かも知れないけれど、決して付き合いたい人間ではないですな。

 2015年のアカデミー賞では、主演男優賞と助演女優賞にノミネート。
 LA批評家協会賞では男優賞を受賞。
 ゴールデン・グローブでは助演女優賞と脚本賞(アーロン・ソーキン)を受賞したそうです。





・お薦め度【★★=悪くはないけどネ】 テアトル十瑠
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死刑台のメロディ

2017-11-26 | ドラマ
(1971/ジュリアーノ・モンタルド監督・共同脚本/ジャン・マリア・ヴォロンテ、リカルド・クッチョーラ、ミロ・オーシャ、シリル・キューザック、ロザンナ・フラテッロ/125分)


 高校生の時に封切りで観て理不尽な内容に強い憤りを感じたのを覚えていますが、ストーリーは殆ど忘れていた作品であります。その後、TVで吹き替え版も放送されたはずですが、観たかどうかは覚えておりません。とにかく、実話を基にした物語であること、悲劇的な結末であったことは覚えておりました。

*

 時は1920年前後のアメリカが舞台。
 1917年のソ連建国以降、アメリカにおいても社会主義者や共産主義者の活動が活発化していて、ついには組織的なテロ活動も発生。それに対して保守派の圧力も暴力的になっていったわけですが、アナーキストとして現政策に批判的な活動をしていた貧しいイタリア系移民の多くも迫害の対象になっていたのです。
 そんなボストンのイタリア系の一般市民である靴職人のニコラ・サッコ(クッチョーラ)と魚の行商人のバルトロメオ・ヴァンゼッティ(ヴォロンテ)は、官憲の一斉取り締まりは逃れたものの潜伏先で捕まり、サッコが護身用に持っていた銃が未解決の強盗殺人事件に使用された銃と同じだった為に、その事件の容疑者として起訴されるのです。
 ストーリーの殆どは裁判に絡んだエピソードで、検察側証人の証言に即して過去のシーンが挿入される編集などは、69年製作のフランス映画「」を彷彿とさせるし、そのドキュメンタリー的手法は今となれば若干劇的な印象も感じられるところもありますが、その分迫力はあります。
 当時のニュース映像も交えた編集もスムースに纏められていて、BGMに流れたジョーン・バエズの主題歌(↓youtube)も懐かしい。

 アメリカを舞台にしながら言語はイタリア語。明らかに英語を喋っているはずの人間もイタリア語なのでそこに違和感は感じますね。アメリカ資本も入れて、きちんとリメイクされても面白いと思います。

 無実の彼らが、政治的な思惑からスケープ・ゴートにされているのは明らかで、アメリカ国内からもヨーロッパからも批難声明が発せられるのに、無理やりに死刑判決までもっていく検察官や判事の様子が酷いです。
 検察側の証人も殆どは買収や脅しによる嘘の証言で、その嘘を撤回した証人は保守派の連中にリンチにあったりするし、真犯人に繋がる資料も知らない間に消されている。二度にわたって交代した弁護人も、検察官や判事の偏見に満ちた進行に嫌気がさして裁判所を去って行くシーンもある。

 アメリカは自由と民主主義の国というけれど、偏見と暴力の歴史に彩られた国でもあるのですね。その闇を自身で描くところがアメリカの素晴らしさなのですが、この映画はイタリア人ならではの悲壮感の打ち出し方に迫力が感じられます。

 1971年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドールにノミネート。サッコを演じたリカルド・クッチョーラが男優賞を受賞したそうです。
 お薦め度は★四つ半。昨今のきな臭い世界情勢を考えてもらうきっかけになってもらいたいという映画ファンとしては不純な理由で、★半分おまけしました。





・お薦め度【★★★★★=大いに見るべし!】 テアトル十瑠
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永い言い訳

2017-08-30 | ドラマ
(2016/西川美和 監督・脚本・原作/本木雅弘、竹原ピストル、藤田健心(=真平)、白鳥玉季(=灯)、深津絵里、堀内敬子、池松壮亮、黒木華、山田真歩、戸次重幸/124分)


-『悪いけど、後片付けはお願いね』
 これが妻と交わした会話の最後の彼女の言葉でした。-

 ってな具合で始まるのかな、小説は。
 去年、予告編を観て面白そうって思っていたこの映画。「ゆれる」の西川監督と「おくりびと」のモッくんのタッグだから絶対に面白いと思っていたのに、少し予想とは違う内容だった。

*

 テレビ番組にも時々出演することもある中堅小説家、津村啓(本名は衣笠幸夫)は、妻が友人とバス旅行に出かけた夜に愛人を自宅に呼び入れるが、翌朝、妻が乗ったバスが山道で事故を起こし友人もろとも氷の張った湖に沈んで帰らぬ人となった事を知る。
 妻の夏子とは大学時代からの知り合いだが、付き合いだしたのは卒業後だった。就職活動の最中に偶然入った美容室で、大学を中退していた夏子と再会したのだ。一年の時に母親が死んで大学を辞めた彼女は美容師の免許をとり既に自活していた。大学時代から作家になると公言していた幸夫は、以後夏子に助けられながら作家修行をしてきたのだった。
 夫婦になって二十年、夏子はともかく幸夫には妻は空気以下の存在で、その夜も髪の毛を切ってもらいながらもイヤミな話を彼女が出かける寸前まで続けていた。そんな状況で夏子は死んだのだ。
 有名人なので葬儀を行った山形まで芸能レポーターがやって来たが、幸夫には悲しみはこれっぽっちも湧いてこなかった。それでも悲しい顔をしないわけにもいかずインタビューにも応じた。家に帰ると早速ネットでエゴサーチをする幸夫。そんな彼の本心はすでに遺骨を抱えている時から所属事務所のマネージャーには見抜かれていた。
 バス事故遺族への説明会があった時に、幸夫は夏子の友人である大宮ゆきの夫、陽一と会う。彼とは初対面だったが陽一は『幸夫君』と名前で呼んできた。夏子が彼ら夫婦の前でそう呼んでいたからに違いなかった。長距離トラックの運転手をしているという陽一は、愛妻を失くした悲しみを隠そうともしなかった。

 サービスエリアで休憩中の陽一がいつものように携帯の留守録に残っている妻のメッセージを再生して涙に暮れていると、幸夫から電話がかかってきた。幸夫の家の留守電に連絡が欲しいと入れていた陽一への返信だった。
 陽一には二人の子供がいた。小学生の真平君と幼稚園の灯(あかり)ちゃん。
 四人で幸夫の行きつけのレストランで夕食を摂った時に、灯ちゃんがアレルギーのショック状態に陥る。陽一が灯ちゃんを救急病院に連れて行き、真平君と幸夫は家で待つことになるが、そこで幸夫はこの家の状況を把握することになる。成績優秀な真平君が今通っている進学塾を辞めざるを得ないという事。長距離トラックという仕事柄、陽一は週に2回は家に帰れない日があるという事。
 大宮家からの帰り、タクシーを捕まえようと道路傍に立っている陽一に幸夫が声を掛ける。
 『週に2回くらいなら僕が来ようか?僕の仕事はパソコンとノートさえあれば大丈夫だから・・・』

*

 妻の友人親子とのふれ合いの中で、妻を亡くしたという現実を徐々に受け入れていき、改めて妻への想いを深めていく主人公・・・みたいな、要するに失って初めて思い知る大事なもの、その相手への想いが描かれるのだろうと思ってたわけです。
 ところが、予想以上に主人公の頑なさは強固で、尚且つ妻への愛情もどれだけのものだったか些か疑いの目を持たざるを得ないような男でありました。
 奥さんを思い出すシーンなんか殆ど無かったですからね。中盤以降で唯一、深津絵里が出てくるのは、幸夫が陽一親子と四人で海水浴に行くシーンで、陽一が発した『夏ちゃんがいたらなぁ』という言葉に触発された幸夫の幻想の中だけでした。
 つまり、妻への想いが映画で描かれることはなく、妻への想いを深めていこうと“思い始める”までが描かれたと言っていいでしょうな。そんな映画です。

 西川さん、そこ面白いですか?その後の方が感動的だと思うんですけどねぇ。
 感動させようなんて思ってません、と言われればしようがないけど。
 ラスト近くの出版記念パーティーなんか没にして、もっと幸夫と夏子のシーンを増やして欲しかったなぁ。

 「人生は他者だ」
 終盤に辿り着いた彼の心境を表した言葉がこれでした。
 自分の事しか考えないで生きてきた主人公が、大宮家の力になっていって、しかし自分が必要とされなくなった後に初めて他者との関わり合いの大事さを知る。その事が、妻との関わり合いをもう一度考え始めることに繋がっていく。そういうプロットなんでしょう。
 「」や「ギター弾きの恋」のように、愛に取り残された男という見方もあるようですが、出版記念パーティーの様子を見るとそういう事でもないようですね。

 お勧め度は★二つ半。
 きめ細かい編集は相変わらずですが、原作にこだわらずにもっと感動的なエピソードが欲しかったです。

*

(↓Twitter on 十瑠 から[一部修正アリ])

西川美和の「永い言い訳」をレンタルで観る。予想とは違って切れが悪い。リズムも悪い。終盤の美容室のシーンをアップだけで済ますのは物足りないし、ラストの出版記念パーティーも白々しい。女性がどう感じるか分からないけど、僕には主人公達の言動が生々しくないな。演技のせいかもしれないけれど。
[ 8月27日 ]

「永い言い訳」2回目を観てる。やはり2時間は長すぎるな。そして主人公のキャラが一定してない感じがする。例えば序盤であんなにネットでエゴサーチしてた人間が、奥さんの壊れたと思ってた携帯が復活した時に、最初に観たメールがショックだったとはいえ、あんなに簡単に壊すかね。もっと見たくなるでしょう。
[ 8月28日 ]





・お薦め度【★★=悪くはないけどネ】 テアトル十瑠
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できごと

2017-07-28 | ドラマ
(1967/ジョセフ・ロージー監督/ダーク・ボガード、スタンリー・ベイカー、ジャクリーヌ・ササール、マイケル・ヨーク、ヴィヴィアン・マーチャント、デルフィーヌ・セイリグ/105分)


 イギリス映画に出てくる彼の国の慣習というか心情には不可解な部分があるのは「if もしも‥‥」なんかで承知していたけれど、この作品も似たような感触だった。脚本を書いたハロルド・ピンターが不条理演劇の大家と謂われるくらいだから余計にそんな感じを受けたのかもしれない。
 アメリカ生まれのジョセフ・ロージーも若い頃からヨーロッパ志向だったらしいが、今作のモヤモヤ感は自前のものかな?
 ピンター、ロージーコンビといえば「 (1971)」というジュリー・クリスティーとアラン・ベイツ共演のドラマを思い出すが、アレも女性の不可解な部分はあったけれど不条理劇ではなかったんだけどな。

*

 イギリス、オックスフォード大学の哲学科の教授スティーヴンが主人公である。
 オープニング・クレジットのバックにスティーヴン(ボガード)の家が写っていて、それは2階建ての上部に屋根裏部屋の窓もある家。深夜だが窓には明かりが点いていて、周りには樹が多く広い庭もあって、田舎に建っているこじんまりとした館という感じだった。
 クレジットが終わる頃、スクリーンからは急ブレーキをかける車の音がして、直後に車が何かにぶつかったような音がする。事故か。
 スティーヴンが家から出てきて前の道路を見てみると一台の車が横転していた。中で折り重なるように倒れていたのは若い男女。
 スティーヴンは横転した車の片側に登りドアを開けて声を掛けた。「ウィリアム」、「アンナ」。
 男の方は頭から血を流しており意識が無いようだったが、女は目を開けて腕を動かしていた。パーティー帰りのような白いドレスに身を包んだ若く美しい女性だった。
 ウィリアムの脈が無いのを確認したスティーヴンはアンナを車から出し、家まで連れて行った。運転をしていたのはアンナのはずなのに彼女はウィリアムの生死には関心が無い感じがした。スティーヴンは警察に電話をし、アンナにコーヒーを作ったが、彼女は意識が朦朧としているようだった。 
 警官がやって来たが、知らぬ間にアンナは別の部屋に移っていて、スティーヴンは彼女の事は警官に話さなかった。
 アンナは上階のベッドで寝ていて、呼吸も荒く、深い眠りに入っているようだった。

 と、ここまでがプロローグ。
 アンナの寝顔を見ながら、スティーヴンがこの数か月の出来事を思い出す形式で映画は進むんですね。
 各ショット、シークエンスにもモヤモヤ感が残るものが多いので、ストーリー紹介はあらましにしときましょう。

 アンナもウィリアムも彼の教え子で、アンナ(ササール)はオーストリアからの留学生、ウィリアム(ヨーク)は貴族の出身だった。ウィリアムはアンナに惹かれ、スティーヴンに名前と出身地だけ教えてもらう。
 ある日、二人が仲良くデートしている所に出くわしたスティーヴンは、彼らを自宅での食事に招待する。スティーヴンの家族は妻のロザリンド(マーチャント)と子供は幼い兄妹。ロザリンドは三人目を妊娠していた。
 その日、二人はやって来るが、一緒にスティーヴンの同僚でテレビ番組に出演したり小説も書いている教授チャーリー(ベイカー)もやって来た。チャーリーは近くを偶々うろうろしていて一緒になったと言ったが、結局夕食まで三人とも居続け、全員泊まることになった。チャーリーとはロザリンドも顔馴染みであり、チャーリーの妻のローラとも仲良くしていた。
 後に明らかになるが、アンナはチャーリーと数週間前から愛人関係にあった。その事をウィリアムは知らないようだった。
 臨月が近づいて子供達と一緒にロザリンドは実家に居候するが、スティーヴンだけになった彼の家をチャーリーとアンナは逢引きの場として利用することもあった。
 そんなある日、アンナはスティーヴンにウィリアムと結婚すると告白する。そしてその事をチャーリーに伝えて欲しいと言う。更には、その時の彼の反応を教えて欲しいというのだ。
 驚くスティーヴン。
 そこにやって来たウィリアムは幸せそうにアンナの髪の毛を撫でた。そしてその夜話があるのでパーティーの後にスティーヴンの家に寄っていいかと聞いた。それがウィリアムとの最後の会話だった・・・。

*

 登場する男たちは誰もみな陰湿に敵対的で、弱みを見せないようにふるまっている。
 スティーヴンは自分の弱みを見せることにそれ程の躊躇はないが、若い女への関心はひたすらに隠している。
 会話劇の様でもあるけど、その会話が成り立っていないのがモヤモヤする。裏の心理を読まないといけないからだ。かと言って、簡単に読めるわけでもない。作者にも分ってない可能性もあるからだ。ピンターの作劇ってそんな部分もあるらしい。

 お勧めは★二つ半だけど、三度は観たいと思わせたから★半分おまけ。

 その他の出演者で、デルフィーヌ・セイリグはスティーヴンが十年前に離婚した前の奥さんフランチェスカ役。大学の学長の娘という設定で、時々出てくる学長とスティーヴンとのやり取りもモヤモヤする。


▼(ネタバレ注意)
 上に紹介したストーリーの後、スティーヴンはアンナに肉体的な欲望を覚えて、事故後のアンナに暴行する。彼女も半分容認したような抵抗しかしなかったが、寮に帰ったアンナはその後帰国の途につく。
 アンナに夢中だったチャーリーには訳が分からないが、多分そんな彼を見てスティーヴンは勝利感を覚えたに違いない。

 俗物感が漂う登場人物が多いが、主人公もなかなかどうして俗物であるところが意外性を発揮して面白い。

 清楚に見えた若い女性が遊び人だったという所もいつの世にも起こりうる男性の錯覚でありましょうか。不思議に感じない程に今日的でもあります。
▲(解除)


 尚、奥さん役のヴィヴィアン・マーチャントはハロルド・ピンターの当時の奥様。
 ヒッチコックの「フレンジー (1972)」の5年前ですけど、役柄のせいか美人度が大分違ってましたな。





お薦め度【★★★=このモヤモヤ感、一見の価値あり】 テアトル十瑠
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ヴェラ・ドレイク

2017-06-13 | ドラマ
(2004/マイク・リー監督・脚本/イメルダ・スタウントン(=ヴェラ・ドレイク)、フィル・デイヴィス(=スタン)、ピーター・ワイト(=ウェブスター警部)、エイドリアン・スカーボロー(=フランク)、ヘザー・クラニー(=ジョイス)、ダニエル・メイズ(=シド)、アレックス・ケリー(=エセル)、サリー・ホーキンス(=スーザン)、エディ・マーサン(=レジー)、ルース・シーン(=リリー)/125分)


(↓Twitter on 十瑠 から[一部修正アリ])

マイク・リー監督の「ヴェラ・ドレイク」を観る。大体の内容は分かって観ていたが、一回目観終わって監督の掲げたテーマがはっきりと分からなかった。淡々と個人を見つめる描写だったが、観終わった頃には社会的な俯瞰的なテーマを狙っていると感じた。ちょっと手法と狙いがちぐはぐな感じだ。
[ 6月11日 以下同じ]

マイク・リーという監督は脚本を作らないんだそうだ。人物像を与えて、後は所謂即興的なシーン演出をするらしい。僕の感じたちぐはぐさは、そういう手法の影響だろうと思われる。いずれにしても、もう一度観なくては。

*

 「いつか晴れた日に」に出ていたイメルダ・スタウントンが主演オスカーにノミネートされた事で知っていた「ヴェラ・ドレイク」。マイク・リーはお初ですが、観照的な視点でリアリズムタッチで描かれた作品でした。セピア調のスクリーンで展開される戦後間もない頃の負の遺産の話。ストーリーは簡単なのでallcinemaの解説を引用しましょう。

<1950年、冬のロンドン。自動車修理工場で働く夫とかけがえのない2人の子どもたちと貧しいながらも充実した毎日を送る主婦ヴェラ・ドレイク。家政婦として働くかたわら、近所で困っている人がいると、自ら進んで身の回りの世話をする毎日。ほがらかで心優しい彼女の存在はいつも周囲を明るく和ませていた。しかし、そんな彼女には家族にも打ち明けたことのないある秘密があった。彼女は望まない妊娠で困っている女性たちに、堕胎の手助けをしていたのだった。それが、当時の法律では決して許されない行為と知りながら…。>

 事前情報を読んでまず気になるのは、何故主人公は自分だけでなく家族の破滅さえも招きかねない危険を顧みずに犯罪に手を染めたのかという事ですよね。これ実は中盤に警察が事情聴収に乗り込んでくる前の夫婦のベッドの上の会話にヒントが出されていたのですが、その後情状酌量の余地を残すものとして裁判に活かされるものと思って観ていましたら完全にスルー。裁判上は影響なしで仕方ないとしても、家族間の相互理解には重要な情報となると思って観ていたのですが、最期まで再び触れられることもなく肩透かしを食いました。
 それはこんな会話でした。
 引っ込み思案の大人しい娘のエセルが近所の青年からプロポーズを受けて夫婦共に嬉しい気分の中、昔を懐かしみながら今までの苦労を思い出していた時の事です。
 夫スタンはヴェラに『俺たちは幸せ者だ。お前は母親のようにならなかったし』と言います。
 ヴェラは『あの人は仕方ないのよ』と言いますが、どうやらヴェラの母親は若い頃は奔放な人生を送った女性だと僕は感じました。何故ならその後にスタンは更にこう聞いたからです。
 『父親は誰か聞いたか?』
 ヴェラは黙って首を振りました。要するに、ヴェラは父親の名前もどんな人かも知らずに生まれてきたのです。
 この設定はヴェラが犯罪に手を染める理由の一つとして何らかのエピソードを生む材料になると思ったんですけど、結局スタンの口からも家族に語られることはなかったのです。





 即興的な演出をすると言いながら、プロットは分かりやすかったですね。
 序盤から20分は、主人公や周りの人々の紹介。20分を過ぎてからヴェラの裏の顔が出て来ます。裏の顔と言っても彼女としては善意でやっている事なので普段と変わりない物腰なんですが。

 この映画がヴェラの人生だけを追ったモノでないのは、序盤から登場する、家政婦として通っているお金持ちの家の娘(「ブルージャスミン」にも出ていたサリー・ホーキンス扮する)スーザンがボーイフレンドに暴行されて後に堕胎するという一連のエピソードがあることで分かります。中盤で彼女の妊娠が分かった後に、ヴェラとの裏の接点が出来てくるのかと思っていたら結局何も繋がらなかったという、要するにこの映画には当時の堕胎を取り巻く社会事情を描いていくというテーマがあったんですよね、監督には。
 片方では個人の人生を深堀しながら、最終的には当時の間違った社会制度を網羅しようとする態度は如何なもんでしょうか。一つ一つのエピソードの描写は優れているのに、ヴェラの秘密の扱いと共に僕的にはお薦め度がマイナスになった要因でした。

 上映開始後一時間程たつと事件が発覚し警察が登場します。
 ドレイク家では長女の婚約祝いに向かって喜びが増幅していく中、警察は徐々にヴェラ逮捕に向かって捜査が進展していき、後半40分を残す頃についに警察はヴェラの家に乗り込んでくるのです。この後の展開への緊張感が増して素晴らしい編集でした。

 アカデミー賞では、主演女優賞、監督賞、脚本賞にノミネート。
 ヴェネチア国際映画祭では金獅子賞と女優賞を受賞。
 イメルダ・スタウントンは全米批評家協会賞、NY批評家協会賞、LA批評家協会賞でも女優賞を獲得したようです。
 母国英国アカデミー賞では11部門でノミネート。うち主演女優賞、監督賞(デヴィッド・リーン賞)、衣装デザイン賞(ジャクリーヌ・デュラン)を受賞したそうです。





・お薦め度【★★★=一見の価値あり】 テアトル十瑠
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ベニスに死す

2017-05-17 | ドラマ
(1971/ルキノ・ヴィスコンティ製作・監督・共同脚本/ダーク・ボガード、ビョルン・アンドレセン、シルヴァーナ・マンガーノ、ノラ・リッチ、マーク・バーンズ、マリサ・ベレンソン、ロモロ・ヴァリ/131分)


 「ベニスに死す」を観る。初公開が1971年だから約45年ぶりだ。
 実は2006年11月にNHK-BS放送を録画したDVDがあったのに今まで放置していた。11年も。
 ヴィスコンティは好きになれない監督って以前にも書いたことがあるけど、今思えば最初はこの映画が原因じゃなかったかと思う。双葉先生他沢山の批評家が絶賛していたので映画館まで観に行ったのにサッパリ感動しなかったからだ。
 大体、芸術家を主人公にした作品って監督本人の思い入れが強すぎて独りよがりの表現が多いと思うんだよな。フェリーニの「81/2」然り。
 あと、小説でいえば一人称で叙述されたような作品を映画にするのも危険が多いと思う。ベルイマンの「野いちご」のように夢や幻想で内面を表現できる分はいいけれど、マルの「鬼火」のように客観的な映像だけで内面まで描こうとするのは無理がある。主観ショットがあっても映像はあくまでも客観的なものだからだ。夢や幻想が無いのならモノローグくらい流して欲しいと思っちゃうんだな。
 「野いちご」や「鬼火」を持ち出したのは、今回「ベニスに死す」を観ながらそれらを思い出したからで、更に主人公が芸術家だから心情を理解するのは余計に難しい。勿論、僕の理解力不足もあるとは思うけれど、一般ファンへ大いにお勧めするとは言い難い映画であることは間違いない。

*

 原作はトーマス・マンの同名小説。原作では小説家が主人公だが、映画では音楽家になっている。

 ダーク・ボガード扮するドイツの作曲家グスタフ・アッシェンバッハが静養の為にベニスを訪れる所から映画はスタートする。港に着いた途端に何やら急に話しかけてくる化粧面の小男が居たり、言う事を聞かない小船の船頭が出てきたり、更に主人公の物腰も高慢そうなので不穏な雰囲気がする。
 ウィキでは老作曲家と紹介されている主人公は一人旅。気難しそうな彼が何故一人でベニスに来たのか? それは時々挿入される過去の映像から分かってくる。
 幼い娘の死、聴衆に受け入れられなくなった楽曲、友人との芸術論争。心身ともに疲弊していて、心臓も弱り、医者の勧めもあってベニスにやって来たのだ。ホテルの部屋に入った彼の荷物には、娘の写真立てと共に若い妻の写真立てもある。描かれてはいないが妻も亡くなっているのかもしれない。

 最初の夜。夕食の前に入ったラウンジで、グスタフは精錬された佇まいの一家に目を止める。
 これもウィキによるとポーランド貴族の一家なんだそうだが、幼い少女二人とミドルティーンくらいの姉、彼女らの家庭教師と思しき女性と気品溢れる母親、そしてグスタフが最も心を奪われたのがビョルン・アンドレセン扮する美しい少年タジオだった。

 友人との芸術論争において、美は芸術家の努力の賜物以外にないという立場のグスタフに対して、友人アルフレッドは美は天然自然の中から生まれるものであると言う。要するに、タジオという存在を美しいと感じる事は、友人との芸術論争で語った自身の言葉を否定してしまう事なのだ。

 映画の前半は、タジオの美しさを認める自分と、美を創造するのは芸術であるというこれまでの考え方を否定したくない自分とのジレンマに陥ってしまうグスタフが描かれている。
 居たたまれなくなったグスタフは急用が出来たと嘘をついてホテルを後にするが、最寄りの駅で手違いで荷物が指定してない場所に送られてしまった事が分かる。結局、グスタフの手元に戻るまでホテルに留まるを得ないようになり再び船で戻っていく。ついさっきまでベニスを出ようとしていたのに、出れなくなった途端ににんまりと一人笑顔になるグスタフ。又、タジオに会えることが嬉しいのだ。
 再度ホテルに戻った後、ビーチでタジオを見つけた後にグスタフがいそいそと書き物をするシーンがある。美少年にインスパイアされて曲が生まれようとしたんだろうけど、モノローグが無いのでどういう気持ちだったのか分からない。芸術的な美の創造について考え方が変わったのではないかと思うんだけど、この辺り物足りなかったなぁ。

 ここまでで上映時間は大体半分。ここまでは結構面白かった。

 後半はグスタフがストーカーのように街でタジオを尾行したり、物陰からジッと見つめたりするシーンが続いて些かうんざりする時間が多くなる。
 ドラマ的にはベニスの街に広がっていく疫病への恐怖を軸として、不穏な街の様子を調べていく過程とか、それが疫病と知った後はタジオ一家にその事を知らせるべきだが、それはタジオとの別れを意味することとなるジレンマとか、面白いエピソードになりそうなのに、どうも中途半端な印象しかない。
 疫病がアジアコレラと分かった後、タジオ一家にコレラの事を知らせて避難を促す救世主になる自分を想像するシーンはあるけれど、恐怖を募らせるよりもタジオへの想いが募るのが優先していて、つまりグスタフが思考停止的になっていて僕の関心も薄らいでいった。
 「アデルの恋の物語」もそうだけど、恋に盲目的になって思考停止状態になった主人公をどんなに描かれても、興味が無くなっちゃうんだよな。

 ということで、131分の上映時間中80分くらいまでは面白いけれど、後半の50分は僕的には冗長だ。

 後半に、客として娼館に入っていくグスタフのシーンがある。タジオが広間で「エリーゼのために」をピアノで弾いているのを聴きながらグスタフが過去を思い出しているように描かれているんだが、可愛らしい娼婦が相手をしてくれたのにどうやら肉体的な繋がりはなかった様だ。
 このエピソードは何を意味してるんだろう。
 アルフレッドには芸術家は不道徳であるべきなんて言われてたが、それを実践しようとしたということなんだろうか?

 結末は推して知るべし。
 45年前に感慨が残らなかったのが納得できた再見だった。

 アカデミー賞では衣装デザイン賞に、カンヌ国際映画祭ではパルム・ドールにノミネート。
 英国アカデミー賞では作品賞、主演男優賞、監督賞にノミネート、撮影賞(パスクァリーノ・デ・サンティス)、美術賞、衣装デザイン賞、音響賞を受賞したそうです。





・お薦め度【★★★=一見の価値あり】 テアトル十瑠
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さよならをもう一度

2017-04-25 | ドラマ
(1961/アナトール・リトヴァク監督・製作/イングリッド・バーグマン、イヴ・モンタン、アンソニー・パーキンス、ジェシー・ロイス・ランディス、ダイアン・キャロル/120分)


 フランソワーズ・サガンの「ブラームスはお好き」が原作の映画ですね。
 初めて観たのは十代の頃。多分『日曜洋画劇場』でしょう。淀川さんが解説してらっしゃったイメージが今も海馬に残っています。原作本も読みましたが、本まで買ったってことはこの映画が好きだったって事でしょうね。
 改めて数十年ぶりに観ても中年に差し掛かった女性の心情が良く描かれていると、老年男子ながら感心しました。但し、これは男性監督が描いたものだから所詮男性目線のモノなのかもしれませんけどネ。女性観客にはどう映ったんでしょう。

 因みに、多作だったと言われるフランソワーズ・サガンの小説を僕は三つしか読んだことがない。いずれも十代の頃で、御多聞に漏れず一つは「悲しみよこんにちわ」で、もう一つが「ブラームスはお好き」、三つめの「ある微笑」は本棚に有ったのは覚えているけど内容は全く覚えていません。
 十代に三つも読むなんて、少なくとも当時はサガンが好きだったんでしょう。そしてサガンを読むきっかけとなったのが、この「さよならをもう一度」だったのであります。

*

 舞台はパリ。
 ヒロインは40歳のバツイチ美女、ポーラ。インテリア雑貨の店を持ち、デザイナーとして室内装飾の注文を受けて忙しくしている女性だ。5年前に同じく離婚経験者のロジェと知り合い付き合っているが、お互い結婚には消極的で、束縛しない代わりに隠し事はしないのが不文律となっている。
 シカゴに本社を置く業務用トラック販売会社のフランス支社重役のロジェには出張が多く、週末には揃ってディナーを摂るのが習慣になっているが、最近は食事だけの逢瀬となっているのを寂しく感じるポーラだった。
 そんなある日、ロジェの知り合いに紹介されたアメリカ人女性の豪邸でポーラはその家の一人息子フィリップと出逢う。
 フィリップは25歳。代々弁護士をしている名門の出で、母親のつてでパリの法律事務所に勤めているが仕事はあまり熱心ではなく、その日も朝遅く出かけようとしてポーラと出逢ったのだ。
 フィリップの一目惚れだった。さらりと会話を交わしたが彼には衝撃の出逢いだった。一旦は出かけたふりをして、暫くして家から出て来たポーラを、フィリップはたまたま通りかかったと嘘をついて店まで車で送るのだった・・・。

*

 中年男女の結婚しないカップルの間に若い青年が割り込んだ三角関係の話ですね。
 なんといっても二人の男の間で心揺れ動くポーラを美しく、そして色っぽく演じたバーグマンが魅力的です。
 ロジェの若い女性たちとの情事にも寛容なそぶりを見せてきたが、流石に最近は嘘に気づかないふりをするのにもどこか侘しさまで感じてしまうポーラ。
 フィリップの繊細で上品だけど、でも一途で積極的なアプローチに少しづつ心を許していくのです。

 男達の描写もポーラの為のただの飾り物になっていないのがいいですね。
 週末のある朝、車を運転中のフィリップはロジェが若い女の子と待ち合わせて、旅に出ようとしている所を目撃する。タクシーで乗り付けた女性のスーツケースを自分の車に放り込むロジェ。明らかに週末の情事の小旅行だ。
 その後フィリップが家に帰ると、土曜日だというのにポーラが来ていて母親と打ち合わせ中。それとなくロジェの事を聞いてみると、彼は仕事で出張中だとポーラは言う。
 この辺の展開でも、フィリップがロジェの秘密をばらすことは無くて、それはその後においてもそうで、登場人物に品があるのがいいですネ。

 歳を重ねることで増していく独り身の中年女性の将来への不安。
 まだまだ元気な中年男性は浮気も楽しむ余裕があるが、彼女に近づいてくる若者の積極性に次第にイラついてくる。確かに夫婦じゃないから青年に面と向かって怒るのも大人げ無いかと無視を決め込むも、相手にしている彼女に腹が立つのだ。
 そんな気持ちのすれ違いのスキに、つい青年の情熱が愛おしくて一夜を共にしてしまうポーラ。これがロジェだったらどんなに良かったことか。





 てなわけで、モテ男がお似合いのイヴ・モンタンに、一歩間違えばストーカーといっていい「サイコ」の翌年のパーキンスと、皆さん役にはまって絶妙なアンサンブル。
 数十年前は、バーグマンの吹き替えをした水城蘭子さんの声が好きだったのと、若い青年が年上の女性に夢中になるという設定に、かなり感情移入したような気がします。
 終盤のヒロインの階段の上からの哀しい別れの言葉は数十年経っていても忘れていなかったけれど、フィリップはやっぱりただの甘えん坊で、あの結末は当然の成り行きではありましたね。

 時々、フィリップが若者らしいピュアな言葉を吐くのが印象的。
 曰く、『愛のない孤独な人生は最も過酷でつらい刑だ』、『男と女に必要なのは、愛することだけじゃなく愛されることだ』etc

 1961年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドールにノミネート。
 アンソニー・パーキンスが男優賞を受賞したそうです。






<ブラームス 交響曲第3番ヘ長調作品90>



・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】 テアトル十瑠
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