「赤い河」のダンソンは、テキサスで大牧場を作るという夢を果たし、更にそれを実りあるものにするために、テキサスの外への過酷な旅に挑戦した。
一方、「ラスト・ショー」のソニーは、テキサスの小さな田舎町アナリーンからでさえ抜け出せない若者だ。大人達もそうだった。
さらに、冒頭に流れる「花嫁の父(1950)」。コレは(未見なのですが)、もうすぐ嫁ぐ若い娘と式の準備をテキパキとこなす母親、そして右往左往する父親などが織りなす、中流家庭の幸福な一面が描かれた映画とのこと。
この作品を映画館で観ている「ラスト・ショー」の若者達は、座席でキスを交わしたり、車でネッキングを楽しんでいて、ボグダノビッチはそれをあからさまに描いている。
「ラスト・ショー」が“ペシミスティックに青春を描いた”と言われるのは、この対比が見て取れるからかも知れない。
「ラスト・ショー」の舞台となっている1951年という年は、映画で考えると、アカデミー作品賞はミュージカル「巴里のアメリカ人」が獲ったものの、その他には「陽のあたる場所」、「欲望という名の電車」、「セールスマンの死」、「探偵物語」など、社会の暗い面を描いた映画が多かった年のようです。
そして、レッドパージ(赤狩り)が始まったのもこの年からだった。
一方、「ラスト・ショー」のソニーは、テキサスの小さな田舎町アナリーンからでさえ抜け出せない若者だ。大人達もそうだった。
さらに、冒頭に流れる「花嫁の父(1950)」。コレは(未見なのですが)、もうすぐ嫁ぐ若い娘と式の準備をテキパキとこなす母親、そして右往左往する父親などが織りなす、中流家庭の幸福な一面が描かれた映画とのこと。
この作品を映画館で観ている「ラスト・ショー」の若者達は、座席でキスを交わしたり、車でネッキングを楽しんでいて、ボグダノビッチはそれをあからさまに描いている。
「ラスト・ショー」が“ペシミスティックに青春を描いた”と言われるのは、この対比が見て取れるからかも知れない。
「ラスト・ショー」の舞台となっている1951年という年は、映画で考えると、アカデミー作品賞はミュージカル「巴里のアメリカ人」が獲ったものの、その他には「陽のあたる場所」、「欲望という名の電車」、「セールスマンの死」、「探偵物語」など、社会の暗い面を描いた映画が多かった年のようです。
そして、レッドパージ(赤狩り)が始まったのもこの年からだった。
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