テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

「赤い河」と「ラスト・ショー」と、そして・・・

2006-02-06 | 『独り言』
 「赤い河」のダンソンは、テキサスで大牧場を作るという夢を果たし、更にそれを実りあるものにするために、テキサスの外への過酷な旅に挑戦した。
 一方、「ラスト・ショー」のソニーは、テキサスの小さな田舎町アナリーンからでさえ抜け出せない若者だ。大人達もそうだった。

 さらに、冒頭に流れる「花嫁の父(1950)」。コレは(未見なのですが)、もうすぐ嫁ぐ若い娘と式の準備をテキパキとこなす母親、そして右往左往する父親などが織りなす、中流家庭の幸福な一面が描かれた映画とのこと。
 この作品を映画館で観ている「ラスト・ショー」の若者達は、座席でキスを交わしたり、車でネッキングを楽しんでいて、ボグダノビッチはそれをあからさまに描いている。

 「ラスト・ショー」が“ペシミスティックに青春を描いた”と言われるのは、この対比が見て取れるからかも知れない。

 「ラスト・ショー」の舞台となっている1951年という年は、映画で考えると、アカデミー作品賞はミュージカル「巴里のアメリカ人」が獲ったものの、その他には「陽のあたる場所」、「欲望という名の電車」、「セールスマンの死」、「探偵物語」など、社会の暗い面を描いた映画が多かった年のようです。
 そして、レッドパージ(赤狩り)が始まったのもこの年からだった。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ラスト・ショー | トップ | ブリジット・ジョーンズの日記 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

『独り言』」カテゴリの最新記事