テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

電話で抱きしめて

2006-01-30 | ドラマ
(2000/ダイアン・キートン監督/メグ・ライアン、ウォルター・マッソー、ダイアン・キートン、リサ・クドロー、クロリス・リーチマン/94分)


 先日NHK-BS2で放送された映画。レンタル店でも見かけてはおりましたが、未見だった作品です。ノーラ・エフロンの脚本でM・ライアン主演、そしてウォルター・マッソーも出ていて、監督がダイアン・キートンということで期待して観たのですが・・・。
 女性監督の作品には有りがちの、物語の芯がブレていて、観る側の集中力が無くなってしまう映画でした。アレもコレもと詰め込み過ぎで、映像のリズムも不規則な部分がある。

 ストーリーは、映画の脚本家であった父親マッソーが老齢のため惚けてきて、病院に入院するところから始まる。折々に過去の話が挿入されていて、年号も入ってくるけどあんまり気にしなくていい。観ていれば、この家族の歴史は大凡わかってくる。
 母親は離婚していて別の場所で一人で暮らしている。
 メグの子供時代のエピソードでは居間にジョン・ウェインと並んで撮った写真が飾ってあったり、病院ではウェインとの思い出話を父親が語ったりする。かつての家の庭にはプールがあって、この家庭が裕福だったことがわかる。

 メグは3人姉妹の次女で、長女がキートン、末っ子がクドロー。キートンは雑誌の記者から数年前に独立して、自身の名前を冠した雑誌を創刊したセレブの女性で、クドローはかつてはロック歌手で今はTVドラマの女優をしている。メグは夫と息子が一人いて、自身もイベント会社に勤めるキャリア・ウーマンだ。

 父が倒れて入院していても世話をやくのはいつも次女。映画は、彼女が父親との思い出を折々に思い出しながら、病院からの訃報を気にして過ごす数日間の話になっている。
 長女も三女も忙しいと言っては、次女一人に任せてしまっているのだが・・・。

 これは、ウォルター・マッソーの遺作らしいですな。

 脚本はノーラ・エフロンですが、実はコレには原作があって、原作者はデリア・エフロン。そう、デリアはノーラの姉妹(姉なのか妹なのかは知りません)で、デリアは脚色にも参加しています。更に、ノーラとデリアにはもう一人エイミーという姉妹もいて、父ヘンリーも母フィービーも脚本家だった。
 つまり、この映画はエフロン家の話だったんですな。

 仕事の打ち合わせ、姉妹とのやりとり、病院からの連絡などで携帯や自動車電話が大活躍し、メグにもストレスが溜まってくる。ある事故で知り合ったイラン出身の女性が、『そんな時には一度切ってみることも必要よ。』とアドバイスしてくれるのが、タイトル【原題:Hanging Up】の由来だ。

 自伝的な話を演出するのは気が引けたのか、ノーラは脚本と製作にまわっている。でも、彼女の監督作品「めぐり逢えたら(1993)」や「ユー・ガット・メール(1998)」の方が、映画としては纏まってましたな。

 母親役はなんと懐かしや「ラスト・ショー(1971)」のクロリス・リーチマンでした。上品な感じのおばあちゃんになってました。

▼(ネタバレ注意)
 映画では、離婚を切り出したのは母親の方で、父親の方はいつまでも元妻に会いたがっている。見かねたメグが、山奥の家で静かに暮らしている母親を訪ねて行くが、母親は頑として行かないと言う。
 父親のことだけじゃない、末っ子のクドローも相変わらずフラフラしていて大変なんだと言うと、母親は答える。『あたしは、母親もしたくないの。世間に流されて母親になったけど、正直に言うとあたしには“母親”は合ってなかった。』

 女性ならでは本であり、演出なのでしょうか。男はこういう風には描けないでしょうな。

 メグの家で、一人息子の誕生日に友達を呼んでパーティーを楽しんでいるところに、男やもめの父親が酔って訪ねてくるところがある。酔って暴れるので、パーティーは台無し、メグも辛辣な言葉を浴びせかけて父親を追い返す。
 そんな過去も有りながら、なお父親を愛している次女。実はこの寂しがり屋の父親に一番似ていたのが次女で、父親もこの娘を一番愛していたのでしょう。

 終盤、メグの会社のイベントに長女がスピーチを頼まれてやって来る。そこで彼女が父親の入院を自分を美化するような不幸話にしてしまい、聞きに来ていた三女も交えて姉妹間が険悪なムードになりかけたところに、病院から“父危篤”の連絡が入る。
 病院では仲直りする姉妹。臨終の場面ではマッソーらしいとぼけたシーンもある。涙腺の弱い人は涙を誘われるかも知れませんが・・・。
▲(解除)

 幾つか使われた楽曲の中に、ポール・マッカートニーの「ジャンクJunk」が有り懐かしかった。ビートルズ解散後に出した、最初のソロアルバムの中に入っていた小品で、映画では父親の脚本家時代の思い出の写真を懐かしそうにメグが見ている時に流れる。

ネタバレ注意2

・お薦め度【★★★=一度は見ましょう、マッソーの遺作だから】 テアトル十瑠

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4 コメント

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ふむふむ・・ (anupam)
2006-01-30 21:33:57
未見ですが、物語を読ませていただいただけでも内容が「ギュ~ギュ~」な感じですね。



ノーラは最近は「奥様は魔女」の監督でしたっけ。

何かだんだん尻すぼみになっているような・・



ウォルター・マッソーも亡くなっていたのですね、ジャック・レモンといい、なんだかね~さみしい話ですね。



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ちょっと追加記事 (十瑠)
2006-01-30 22:22:26
一般的に、脚本家上がりの監督は本を削ることが出来なくて、締まりがなくなったモノにすることが多いようです。ワイルダーは、削ることが出来た優秀な監督さんだったとのことです。



書き忘れましたが、キートンはだいぶん年の離れたお姉さんって感じでした。この時50歳すぎてましたからねぇ。長女役は誰かに任せた方が良かったような気も・・・。
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Unknown (TARO)
2006-01-31 00:33:40
わ、これってクロリス・リーチマンが出てるんですか。だったらちょっと見たいかも。

「ラスト・ショー」から30年かあ・・・
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TAROさん (十瑠)
2006-01-31 06:40:03
でも、クロリス・リーチマンの出演場面は少ないですよ。

メグが会いに行くところだけです。



「ラスト・ショー」もソロソロ見直してみようかなと思っている映画です。その後は「ペーパー・ムーン」と・・・。
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