竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

出家遁世の境涯

2010-12-22 08:15:32 | 日記
日本人のこころの歌―私家版・新古今集耕読(9)
  出家遁世の境涯(西行一)

                  西行法師
世をいとふ 名をだにもさは とどめおきて 数ならぬ身の 思ひ出でにせむ
 それでは、この世を厭離したのだという評判だけでもとどめ置いて、ものの数でもないこの身のこの世での記念としよう。

 西行法師は俗名佐藤義清(のりきよ)。同年齢の平清盛らとともに鳥羽院の北面の武士となったが、二十三歳の若さで、突然出家遁世した。
 これは、出家直前に詠んだ歌である。ことさらに自分を卑下するポーズがあり、かえって自意識の強さが感じられる。西行の出家は、この歌の思わくどおり「家富み年若く、心に愁ひなけれども遂に以て遁世す」と周囲の人々を驚嘆させた。しかし、肝心の出家に至る動機については、高貴な女性との禁断の恋に陥ったためとか、近親の若い親友の突然の死に遭遇したためとか、歌詠みに専心するためとか、さまざまな説があるが、西行自身は、何事も書き残していない。
 出家した時、彼には妻と子(一男・一女)とがあった。『西行物語』(作者未詳。鎌倉初期に成立)は、出家の決意を固め帰宅した西行が自分の煩悩を断つため、出迎えた四歳の女の子を縁から蹴落としたと伝えている。また鳥羽院に出家のいとまごいの挨拶に出かけた時「惜しむとて惜しまれぬべきこの世かは身を捨ててこそ身をも助けめ」と詠んだという。   この歌のとおり「現世は、所詮、惜しみとおすことのできないものとして、そういう現世を捨てることにより、生の充実を図ろうとしているのである。出家遁世するよりほかに、身を助ける道がないと感じたとき、彼は出家した。そこに西行という人間があざやかに出ている。」(安田章生)

 わたしもすでに古稀を過ぎ、いまはこれといった生業を持たない隠居の身であるが、西行のような出家遁世の境涯にあるとは、とても言えない。いまだに日々わが身に降りかかる雑事に翻弄されている。自分に残させた人生の時間は乏しい。早く現世の煩悩を去って、自分自身の生について、もっと深く省察すべきだと思うが、それができない。