竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

孤愁の素直な表出

2010-12-01 08:12:48 | 日記
日本人のこころの歌―私家版・新古今集耕読(6)
 孤愁の素直な表出

 題しらず             曽禰好忠
人は来ず 風に木の葉は 散りはてて よなよな虫は 声よわるなり
 訪れて来る人はなく、木の葉は風に吹かれてすっかり散ってしまい、夜ごと夜ごと聞こえてくる虫の声も次第に弱まってゆくよ。

 曽禰(そね)好忠は、王朝中期の歌人。かつて丹後(たんご)のじょう(三等官)という官位の低い地方官であったところから、当時の気位の高い歌人たちからは「曽丹」と蔑称で呼ばれていた。当人はそんなことは意に介しない自尊心の強い、ユニークな歌人であった。日頃から、格式ばった公家社会に反抗しながら、歌人として強い矜持を保っていた。
 九八五年、円融院が「子の日の遊び」(正月初めの宴遊)を催された折、お召しもなかったのに、普段着のまま現れ、「自分は、参会されている歌人たちに劣っていない。」と居直ったため、足蹴にされて追い立てられた話が、『今昔物語』にある。
 「新古今時代の歌の中におくと古色があるが、しかしこの中に詠まれた美には、健康な疲れない新鮮さがある。神経の疲れた、新奇ノイローゼにかかったような新古今歌人の歌に比べると、田舎娘の美しさとでも言いたいようなところがある。」(石田吉貞)

なけやなけ 蓬が杣(よもぎがそま)の きりぎりす 過ぎゆく秋は げにぞ悲しき
「後拾遺集 秋」所収のこの歌も、好忠の代表歌である。「杣」は、木を伐り出す山であるから蓬が繁茂するのはおかしいとクレームが付いたとされているが、作者好忠のはげしい悲しみの思いがにじみ出ている。この歌と同様に、新古今集所収の歌も虫の音にことよせて、人間の孤愁を素直に詠出しており、なつかしい親しみ深さを感じさせる。