竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

深山の落葉

2010-12-14 09:57:24 | 日記
日本人のこころの歌―私家版・新古今集耕読(8)
 深山の落葉

 春日社歌合に、落葉といふことをよみて
 たてまつりし          藤原雅経
うつりゆく 雲にあらしの 声すなり 散るか正木の 葛城の山
 空を移ってゆく雲間から烈しい山風の音が聞こえる葛城山、まさきのかずらは散るのだろうか、この山風で

 藤原雅経は後鳥羽院の側近で、のちに蹴鞠と和歌の流派をなした飛鳥井家の祖である。この歌も前回
の祝部成茂の歌と同じく、院から御教書を賜って面目を施した歌である。
 「正木」は柾目の通った「真木」と呼ばれる杉や檜の類であろう。「マサキノカズラ」は、それにまつわりつく、例えば山蔦で、大和と河内の境にある葛城山に掛けている。
 作者は、「うつりゆく雲」の動きを視覚的に捉えて、その激しさから嵐の聴覚的イメージを喚起させたものであろう。上空の雲の動きを見て、風の音を推定し、「あらしの声を聞く思いがする」というのである。「飛び行く雲の中に、正木のかずらの葉の乱れ飛ぶ音がするというのは、少し作りすぎた作為のようであるが、しかしこの蕭殺とした張り切った調子には、激しい嵐の猛烈な動きがよく現れていて、韻律をもって嵐をとらえた歌と言ってよいほどである。」(石田吉貞)
 上の句の嵐の激しさと対照させた下の句の「正木のかづら」が散り舞う光景は、可憐で美しい。また、作者がかつて見て心に残っている葛城山の見事な紅葉の光景も想起させ、紅葉に対する哀惜の情が底流をなしている。
 緊張感のある声調と広大な景の美しさがよく調和した格調高い歌だと思う。